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 職員室に入った私は、先生が座った隣の席の椅子に座るよう促された。

 まだHRが終わっていないからか、職員室にいる先生は疎らだ。

 椅子に座り鞄を抱え込んで俯く私に、先生が声をかける。


「澤木、鞄の中の物を全部出しなさい」

「っは、はぃ……」


 言われた通りにしようとするのに、何故か体が動かない。頭の中は早く鞄の中の物を出して、アレは私のじゃないって言わないと! と思うのに、どうしても手が動かなかった。


 どうして、どうして私の鞄に煙草の箱が入ってるの?

 どうしよう、どうしたらいいのかわからない。

 皇雅さん、皇雅さんっ。私っ……


 これからどうなるのか、何を言われるのかわからない恐怖に、体が震えて閉じた瞼の奥から涙が溢れてくる。

 その時、そっと温かい手が右肩に置かれた。


「澤木、背中を伸ばせ。俺に言いたいことがあるだろう?」


 最初に肩に置かれた手を。そしてそれを辿るように視線を上げた先には、真剣な表情で私を見つめる担任の田所先生。

 今年五十歳を越えた先生は、大きな体で座るとポコンとお腹がでる。先生の教えてくれる歴史の授業は、教科書に載っていない豆知識が多くて生徒に人気だ。

 怒ると恐いけど、普段はくだらないことで生徒と一緒に大きな口で笑う先生。私も田所先生が担任で良かったな、と何度も思った。

 今、私を見る先生の表情はとても厳しい。だけどその目は決して冷たくなかった。

 それに気付いた瞬間、頬に涙が伝う。


「先、生……私……のじゃない。わ、私どうしてっ、鞄あけたら、知らないのにっ」

「澤木、俺が代わりに鞄の中に手を入れてもいいな? それとも自分で出すか?」

「……っ、ごめんなさい……出して下さい」


 もう一度がんばったけど、どうしても手が震えるから先生に鞄を預けた。

 一度頷いたあと、田所先生は私にも見えるように鞄の中身を机の上に並べていく。

 いつもHRが終わってから持ち帰る教科書やノートをしまうから、それはすぐに終わった。

 机の上には携帯とお茶のペットボトル、予備の未開封のカイロとのど飴の袋。小さなポーチの中にはリップと目薬、ハンドクリームが入っていて、それも出してみせた。そして最後に煙草の箱が一つ置かれる。

 先生はもう一度鞄の中を確認すると、小さく息を吐いた。まるで失笑のようなそれを、呼吸も忘れて見ていると、私に向き直った先生が微笑んだ。


「なあ澤木。これをどう楽しむかわかるか?」


 これと言いながら人差し指でトントンと煙草の箱を叩く先生に、「火をつけて吸います」と答える。

 その通りと頷いた先生が続けた言葉に、私は小さく声を溢した。


「こいつを楽しむには火がいるんだよ。ライターかマッチでもなきゃ、これはただの草の詰まった箱だ」

「あ……」

「出来ればこれを入れた奴が、自分でもやったことがなくて入れ忘れたことを願うが……ただのド阿呆かもなぁ」

「先生……」

「最初からお前のもんだとは思ってなかったぞ。今まで一度もお前からこいつの臭いがしたことはなかったしな。二年お前らを見てきたんだ、それくらい感付く」

「……っ」


 さっきまでの不安が解けていき、ようやく動いた両手で顔を覆った。

 嗚咽を漏らす私に何も言わずに、先生は黙って待っていてくれた。


 担任の先生が田所先生で良かった。


 自分の幸運に、私は心の底から感謝したのだった。




 暫くして泣き止んだ私が顔をあげると、先生が「まぁ飲め」と私に机の上にあったペットボトルを渡す。

 素直に一口飲む私に、先生は「正直に答えなさい」と言った。


「はい」

「お前、虐めにあっているのか?」

「違う……と思う」

「澤木、こういうことは正直に話した方がいい。一人で悩んでいても勝手に解決なんてしないんだ」

「はい……。でも正直、誰にも――」


 昔と違い、高校生になってから虐められたことなんて本当になかった。だから今回の事も本当に驚いたんだけど――そんなことを考えて、ふと疑問が出てきた。


「先生、どうして急に持ち物検査をしたの?」


 あまりにもタイミングが良すぎる。だって持ち物検査がなかったら、私が家でビックリして終わることだ。

 先生はきっとクラスの誰か……ううん、私の鞄の中から煙草が見つかると分かっていたんだ。

 先生に話した人が、きっと私の鞄にアレを入れた。

 そう思い誰に言われたのか聞く私に、先生は口を引き結び答えてくれない。どうして教えてくれないのかと私が身を乗り出したとき、勢いよく職員室の扉が開いた。

 ガシャンッと物凄い音をたてて扉をあけたのは、美也ちゃんだった。

 職員室にいる先生達が呆気にとられているなか、無表情で視線を巡らせた美也ちゃんは、私を見つけるなり駆け寄ってくる。


「朱崎、自習してろと――」

「ユッキー! あぁ、大丈夫? ちょっ、目が真っ赤だよ!? 泣いた!? 泣いたんだね!?」

「美也ちゃん、私は大丈夫。あの、扉が」


 未だにガタガタ小刻みに音をたてている扉を指差すけど、真っ青な顔色で私の全身に目を配る美也ちゃんには聞こえなかったようだ。

 クルッと体を反転させた美也ちゃんは、目を丸くしている田所先生にハッキリと言った。


「先生、ユッキーは何も悪いことしてないから。ユッキーの鞄にそれを入れたのは茂木たちだよ」

「美也ちゃん?」

「朱崎、証拠もなくそんなことを言っては駄目だ」

「大丈夫。証拠はないけど、本人らが認めたから」


 にっこり笑う美也ちゃんを、先生と一緒に口を開けたまま見上げる。

 茂木君は少し前に茜を虐めるなと私を囲んだ一人だ。『たち』ってことは、あの時一緒いた二人としたのかもしれない。

 本人が認めたのなら、彼らがしたことなんだろう。こんな……こんなことをするほど、彼らにとって私は許せないやつで、茜は大事な子なんだ。

 驚きと恐怖、不安、安堵のあとのせいか、何だか悲しいより疲れたなと感じた。

 思わず大きくため息をついていると、美也ちゃんが先生に茂木君たちもすぐに来ると伝えている。

 マナちゃんが連れてきてくれるらしい。


 暫く待つと、息を切らしたマナちゃんが職員室に駆け込んできた。右手に茂木君の手首を掴んでいるマナちゃんは、美也ちゃんを見るなり「誰が、運動苦手だって?」と詰め寄る。


「まぁまぁ。それよりあとの二人は?」

「遅いから置いてきたけど、あんたのおかげで逃げることはないでしょ」


 マナちゃんが手を放すと、茂木君は両手で脇腹をおさえて荒い呼吸を繰り返す。

 いったいどれ程全力疾走したんだろ?


 茂木君の呼吸が整う頃、恐る恐るというように職員室に残りの二人が入ってくる。三人が揃ったところで、田所先生が確認した。

 本当に茂木君たちが私の鞄に煙草を入れたのかと。

 すんなりと認めて私に謝った彼らから出てきたのは、茜の名前だった。

 話を聞いた先生は、私に言った。


「澤木、今日のお前の面談、一番最後に変えるぞ」

「え?」

「親御さんと一年の澤木も入れて話す。20分じゃ終わらんだろう」

「あの、今日来るのはお兄ちゃんで……」

「それも気になっていたんだ。家の方には俺から電話をしておく。進路相談は別の日に調整するからな」


 これは決定と言い切った先生は、茂木君たちに厳しい表情を向ける。


「お前らがやったことは、軽い冗談なんかでは済まないことだ。軽はずみにしていいことじゃない。どう処分するかは日をおって伝える。それまで各自、自分のしたことをしっかり振り返っていろ」

「……はい」


 その時チャイムが鳴り、先生は私達にクラスのみんなへ「解散」と伝言を頼んだ。

 私はマナちゃんたちにお礼を言い、私と先生が出ていってからの教室の様子を聞きながら、数年ぶりに会うかもしれない(ひと)のことで、頭の中がいっぱいだった。

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