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 皇雅さんが家に来てくれたあの日から、四日が過ぎた。

 十一月も終わりになると、登校時の空気は凶器のようだ。しかも今日は風が強くて容赦がない。

 この前、皇雅さんに貸してもらったマフラーで顔の半分を覆っているけど、とにかく頭と足が寒い。

 女子も冬服はズボンにならないかなぁ。更に裏起毛のモコモコならありがたい。

 私は暑さは平気なんだけど、寒いのはホントに苦手なんだよね。真夏日にも扇風機さえあれば平気だし。

 そんなとこも私と真逆なマナちゃんには、まだブレザーの下にセーターを着るだけでのりきれる気温らしい。私が校門をくぐったときに後ろから走ってきたマナちゃんは、走ったせいか「あっつー」とワイシャツの襟元をパタパタ扇いでいる。

 なんだろ。筋肉かな。筋肉の差なのかなぁ。

 私が思わず力瘤を作るように腕を曲げていると、隣を歩いているマナちゃんが「雪菜?」と不思議そうに首を傾げた。

 取り敢えずきっと力瘤がうかんでいるだろう腕をそのままに、マナちゃんに考えていたことを話すと、彼女も「うーん?」とうなりながら私と同じ格好をする。


「どうだろ。でも私からしたら暑いの平気なユキが凄い羨ましいけど」

「そうかなぁ」

「だって寒いのは着込めばなんとかなるじゃん。でもあっついのはさぁ、暑いからってポイポイ脱いでたらヤバイ奴じゃん」

「なるほど」


 確かにそれはお巡りさんがやって来る事件だ。

 マナちゃんの言葉に頷きながら教室に入ると、教壇の前で山田君が男子に囲まれているのに気付いた。数人で固まって話してるというよりは、なんだか山田君に男子がわらわらと群がっているみたい。

 珍しいその様子に、なんだろう? とマナちゃんと顔を見合わせる。ちょっと気になった私達は、すでに登校していた美也ちゃんに挨拶がてら何かあったのか聞きに行くことにした。


「おはよー美也」

「美也ちゃんおはよう。あの、山田君何かあったの?」

「おはようユッキー、真奈美。ええと……」


 笑顔で挨拶を返してくれた後、美也ちゃんが悩むように眉間にしわを寄せ、指で唇をいじる。


「美也ちゃん?」

「あのね、山田君たら彼女にふられたんだって」

「ふられた……?」

「うん。それで落ち込む山田君を慰める男子と、それを冷ややかに見る女子に別れてる状態かな」


 言われて教室をぐるりと見回すと、確かに女子が山田君やその周りの男子を見る目は冷たい。なんでだろ?

 確かに山田君はどんよりしてるけど、周りの男子は明るく励ましてる。朝からジメッとしてるからって理由がじゃないだろう。

 女子が冷たいのはどうしてだろう? と不思議に思っていると、美也ちゃんが続けて教えてくれた。


「まあ女子の視線は当然じゃないかな。だって彼ってユッキーと付き合ってるのによりにもよってその妹と浮気しておきながら、悪びれもせずに毎日ユッキーもいる教室でベタベタいちゃいちゃウザイことしてたんでしょ? 私だってどの面下げて教室(ここ)でへこんでいるのかなって不思議でしょうがないけど」

「み、美也ちゃんっ」


 一切声を抑えようとしない美也ちゃんの言葉に、一瞬で教室がしんと静まり返った。クラスメイトの視線を一身に浴びた美也ちゃんは、周りの視線を全く気にしていないようだ。

 そんな美也ちゃんの様子に笑って手を叩いてる子達や驚いたように目を丸くしてるのが女子で、顔色を悪くしていたり睨んでくるのが男子たちだ。

 美也ちゃんは、正反対な表情を浮かべてこっちを見ているクラスメート達に向かってニッコリ笑いかけたあと、私達を見上げて眉尻をへにょんと下げた。


「そんなことより、真奈美じゃないけど私も今日の三者面談がホントに憂鬱なんだ~。出席番号順のせいで、私トップバッターなんだもん。朝いきなり兄に自分が行くことにしたって言われて、もう最悪よ。あの人が来るなら先生が何を言うかで家で血を見ることになるから。どうしてああいうスペックが高い人間って、自分が出来ることは当然人も出来ると決めつけるんだろ。あ~やだなぁ」

「美也ちゃんも? 私も明日お兄ちゃんが来てくれるんだ」

「そっか。ユッキーのとこは優しいから安心だよね」

「うん……」

「私も来るのがお母さんじゃなくて春樹さんなら困らないんだけどなー」

「でもお兄ちゃんも怒ると怖いよ」

「え~でも私、春樹さんって怒るとこ想像できないや」


 マナちゃんの言葉に美也ちゃんが「なんて理想のお兄様」と泣きまねをする。確かにお兄ちゃんは滅多に怒らない。ただでさえ黙ってるだけで不機嫌そうと誤解されることがあるから、気を付けてるんだって前に聞いたことがある。だけど私は、お兄ちゃんは心が広大なんだと思っている。

 マナちゃんと美也ちゃんは嫌なことより楽しい話をしようと、せっかく今日から短縮授業になるんだから遊ぼうと相談を始めた。美也ちゃんはこの後に楽しいことがあると思って、先生とお兄ちゃんとの三者面談を乗り切りたいらしい。その話を聞きながら、私の意識は違うところに向かう。

 チラッと山田君に視線を向けると、周りに慰められている彼は、ますますうな垂れてしまっていた。

 彼を私達のことに巻き込んでしまった罪悪感に、胃がきゅうっと縮むような痛みがはしる。

 でも私が山田君に何かを言う立場じゃない気がして、そっと目をそらす。

 今は山田君も辛いだろうけど、これ以上は迷惑がかからないだろうから。小さく「ごめんね」と呟いて、マナちゃんたちと放課後の相談をした。






 皇雅さんが家に来てくれたあの日から四日。

 それはつまり、茜の皇雅さんへの気持ちが変わっている事に気づいてから四日だ。

 あの日バイトが終わって帰ってきたお兄ちゃんは、一人じゃなかった。




 20時を少し過ぎたころ、お兄ちゃんが帰ってきた。なぜかマコさんを連れて。

 お兄ちゃんに続いてリビングに入ってきたマコさんの姿を見た皇雅さんは、とても迷惑そうな顔で手を追い払うように振っている。


「なんでお前がいるんだ」

「それはもちろん、僕も夕食にご招待されたからですよ。あ、雪菜ちゃんこれお土産です。春樹が料理は足りていると言ったので、飲物だけなんですが」

「わ、ありがとうございます。あ……これワインですか?」


 マコさんに渡された白く細長い紙袋には、同じように細長いビンが入っていた。せっかく持ってきてもらったけど、前にお兄ちゃんがあまりワインは好きじゃないって言っていたのを思い出して、チラッとお兄ちゃんを窺ってしまう。

 するとマコさんが「違いますよ」と笑った。


「それは苺のジュースなんです。毎年苺の収穫期に何本か買っているものなんですが、雪菜ちゃんは苺がお好きですし、ちょうどいいかと思いまして。冷やして飲むと、とても美味しいですよ」

「わぁっ、ありがとうございますっ」

「牛乳や炭酸水で割るのもおすすめです」

「なるほど」


 つまり高級イチゴ牛乳とイチゴソーダになるのか!

 こんな高そうなビンに入っているジュースなんて初めてだ。さっそく冷蔵庫で冷やそうと早足でキッチンに向かうと、後ろで皇雅さんとマコさんが何か言い合う声が聞こえてきた。


「誠、急に人数が増えると雪菜の負担になるだろう」

「僕は春樹にちゃんと僕も訪ねていいか聞きましたよ。そうしたら、きっと雪菜ちゃんがはりきってご馳走を用意しているだろうから、ぜひどうぞと言われたんです。そうですよね、春樹」

「はい」

「雇用主に頼まれたら春樹君も断り辛いだろう」

「うちの店はそんなに怖いお店じゃないですよ。それにちゃんとポチには待てをしてきましたから」


 私のことを気にして注意してくれている皇雅さんの声に、優しいなぁと口元が緩む。

 でもいつもお兄ちゃんと二人だから、たまにこうやって人が来てくれると本当に楽しい。後でそう皇雅さんにも伝えよう。また遊びに来てもらえるように。

 私は取りあえずミモザサラダと取り皿、割り箸を持ってリビングに戻る。そして話が聞こえてきたときに気になったことを、マコさんに聞いてみることにした。


「マコさん犬を飼っているんですか?」

「いいえ。一緒に育った子を亡くしてからは、そんな気分になれなくて。どうしても彼らは僕らより先にいなくなってしまうでしょう?」

「そうですね」


 私達はペットを飼ったことがないけど、マナちゃんから話は聞いている。今マナちゃんの家は猫を二匹飼っているけど、中学のときは三匹いたんだ。高校に入ってすぐのころに、マナちゃんが家に帰ったら一匹いなくて……散歩にでも出かけてるのかと思っていたら、二日帰ってこなかった。

 そんなに帰ってこないことがなかったから心配になって家族で探すと、道場の倉庫で冷たくなっているのを見つけたそうだ。超年寄りだったからしょうがないと言っていたけど、しばらくマナちゃんは元気がなかった。

 どんなに大事にしても人より早くいなくなってしまう家族。なくしたときの悲しみが深すぎて、マコさんはそれきり動物を飼わない選択をしたってことなんだろう。


 ん? じゃあポチって?


 私がそんなことを考えていると、マコさんがにっこり微笑んだ。


「ですので、僕は簡単には死なない子を愛でる事にしたんです」

「じゃぁポチってオウムとかですか?」


 確か前にテレビでオウムは三十年くらい生きるって言ってたよね。


 そう思って聞くと、また「いいえ」と言われた。


 他に長生きの動物ってなんだろう? 亀とか?


 悩む私に、深くため息を溢した皇雅さんが教えてくれた。


「雪菜、ポチというのは黒崎数馬という人間だ」

「へ?」

「誠は素直じゃないからな。愛情表現が随分人とずれているんだ。まあ数馬も気に入っているようだから、私は放っておいているが」


 つまりアダ名がポチっていうお友達がいるってこと?

 それはなんというか……

 チラッとマコさんを見ると、彼はニッコリ笑った。


「雪菜ちゃん、誤解しないでくださいね。僕は別にポチを虐めてそう呼んでいる訳じゃないですよ。いつだって彼が僕に泣いてお礼を言うほど可愛がっているんですから」

「泣いて……?」

「そうですよね、皇雅さん」

「心底嫌なわけではないだろう」


 まぁ人にはそれぞれの愛の形があるってTVで美のカリスマが言ってたし、きっとそれだけマコさんとポチさんは仲のいい関係なんだろうな。


「ミモザサラダですね、とっても美味しそうです。雪菜ちゃん、他の料理を運ぶのを手伝いましょうか?」

「店長は座ってて下さい。俺と雪菜で大丈夫ですから」

「すぐ準備しますね!」


 私達の言葉に微笑みながら頷いたマコさんは、皇雅さんの隣に座って違う場所に座れと怒られていたのだった。





 二時間ほどの夕食会は、とても楽しかった。


「皇雅さん、二人は明日も学校がありますから、そろそろ……」

「そうだな。雪菜、春樹君。今日はお招きありがとう」

「また、また来てください! 今度はもっといろいろ用意しますからっ」


 マコさんの言葉で二人が立ち上り、二人が帰ってしまうことが寂しくて勢いよく言った言葉に、自分の必死さが出ていて恥ずかしい……

 視線を下げた私の頭にポンと手を置いた皇雅さんが、嬉しそうに微笑んだ。


「ああ。ぜひまた招待してくれ。次は余計なものは来させないから」

「皇雅さん、僕のお土産を「美味しい」ととっても喜んでいた雪菜ちゃんは可愛かったですね」

「…………」


 まるで睨んでいる様にマコさんを見る皇雅さんを、マコさんはいつものようにニッコリ微笑んで見つめ返す。

 数秒見つめあったかと思うと、皇雅さんが瞼を伏せてゆっくりと息を吐き、マコさんは私たちに向き直った。


「今日は雪菜ちゃんにお料理をご馳走してもらったので、次は僕がご馳走しますね」

「あ、は、はいっ。楽しみにしてます!」

「雪菜、林檎は好きだったな?」

「好きです」

「葡萄も?」

「好きです」

「そうか」


 頷く私の頭を撫でた皇雅さんは、お兄ちゃんに挨拶をして帰っていった。




 皇雅さんとマコさんが帰った後、片付けを手伝ってくれているお兄ちゃんに、私は話があるんだと切り出した。


「どうした?」

「あのね……」

「……あとは皿を拭いてしまうだけだ。俺がやるから、雪菜はお茶を淹れてくれるか?」

「うん」


 いざとなるとどう話そうかと迷ってしまい、そんな私をジッと見たお兄ちゃんは考える時間をくれた。

 ありがたくお茶を用意する時間を使って、もう一度頭の中を整理する。

 そして二人分のお茶をマグカップにそそいで、リビングのソファに座った。

 私の隣じゃなく、一人用の背もたれのない椅子に座ったお兄ちゃんが、お茶を一口飲んだのを見てから、私はお兄ちゃんが帰ってくる前にお祖母さんとした約束を話した。


「お兄ちゃん、私……再来週の日曜日に、お祖母さんの家に行ってくる」

「お祖母さんって……三池のか?」

「うん」

「急にどうして……まさか何か言われたのか!?」


 眉間にシワを寄せて身を乗り出すお兄ちゃんに、慌てて違うよと首を横に振る。


「私がお願いしたの。教えてほしいことがありますってお願いしたら、ならうちに来なさいって言ってくれて」

「教えて欲しいこと?」


 座り直したお兄ちゃんに、「私があの人達に嫌われている理由」と言うと、お兄ちゃんの目が驚きを表すように見開かれた。


 皇雅さんにどっちの後悔を選ぶ? と聞かれたとき、ほんの少し迷った。知らないままあの人達を避けているほうが、楽なんじゃないかって思う自分がいたから。

 でもそれじゃ駄目なんだ。

 それじゃあ私はいつまでたっても皇雅さんに追い付けない。


「お兄ちゃん私ね、ちゃんと知りたいと思ったんだ。あの家が壊れたのが、茜たちが言うように私のせいなのか。ならどうしてなのか。正直……理由が解っても、私達の関係が変わるかわからないけど、私が変わるために、お祖母さんに話を聞きたいの」

「……」

「お祖母さんにもそう話したら、『私が知っていることは全てあなたに話します』って言ってくれて……。お祖母さんの予定が空いているのが再来週の日曜日だったから、じゃあその日に行きますって約束したんだ」

「……」


 黙って私を見つめるお兄ちゃんから視線を逸らさずにいると、しばらくしてから大きなため息が聞こえた。


「……はあ」

「勝手に決めてごめんね」

「いや……改めて山前院さんは凄いなと思った」

「え?」


 なんで急に皇雅さん? と首を傾げると、お兄ちゃんは「なんでもない」とゆっくり首を横に振る。そして自分も一緒に行くと言ってくれた。


「いいの?」

「当たり前だろうが。向こうもそのつもりだと思うが、俺からも一度連絡をしておく」

「うん」






 お兄ちゃんとあの話をしてから週が変わったから、お祖母さんの家に行くのは来週の日曜日。

 私の心臓がそれまで持つかな……と思いながらも、マナちゃんと三者面談が終わって涙目で合流した美也ちゃんと一緒に、放課後のん気に遊んだ次の日。

 帰りのHRで、とても厳しい表情をした先生が「これから持ち物検査をする」と言った。

 高校に入ってから始めてのことに、クラス中が口々に不満を言いながらも、みんな表情は不安で曇っている。

『どうして急に?』『何かあったのかな』小声でされる会話はみんな同じで。

 先生に「全員鞄の中が見えるようにして机の上に置きなさい」と言われ、スクール鞄のチャックを開けた私は、自分の鞄の中にある物に目を見開いた。

 まるで内側から叩いているかのように、ドキドキと激しく動く心臓の音が煩い。

 自分の鞄を覗いたまま動けなくなってしまった私の隣に立った先生が、「澤木」と呼んだ。

 のろのろと顔を上げると、私の鞄に視線を向けた先生が一度きつく目を閉じ……開く。

 まっすぐに私を見下ろす先生の表情は、なぜか辛そうだった。


「澤木、鞄を持って職員室に来なさい」

「……はい」


 先生の言葉に答えた私の返事は、自分でも驚くほど小さく……そして震えている。

 すがるように抱きしめた私の鞄の中には、一箱の煙草が入っていた――

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