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 茜が私のバイト先に来てから一ヶ月経った。けど私は、まだ皇雅さんに茜のことを聞けずにいる。何気なく「皇雅さん、私の妹を知ってますか?」って聞いてみようと思うのに、どうしても聞けなかった。

 もしかしたらいつものように、茜の作り話かもしれないのに。

 皇雅さんに聞いたら「知らないな」って言われるかもしれないのに。


 もやもやもやもや。

 胸の奥が気持ち悪い。


 あの日から、茜は学校でよく私に話しかけてくるようになった。話す内容は、連日通っているらしい陽だまり庵の事。

 あの家から陽だまり庵は随分遠いのにと思うと、あの日の茜の宣言の本気度を感じた。

 茜の話では、毎日皇雅さんに会えるわけではないらしい。それでも会えれば皇雅さんや彼のお友達が、茜に優しくしてくれる。そんな話が多い。

 マナちゃんは絶対茜の嘘だから気にするなって言ってくれるし、美也ちゃんもあまり気にしないほうがいいよと言ってくれる。

 二人にそうだねって返事をする私は、皇雅さんに確かめる勇気が足りない。そんな自分に嫌気が差す。


 あんなに大事にしてもらっているのに、どうしてこんなに私はグズグズ女なんだ。


 私が茜の嘘だと言い切れないのには理由がある。それは最近、茜の雰囲気が変わったように感じること。


 マナちゃんに話してみたら首を傾げてたから、もしかしたら私の気のせいかもしれない。

 でも、ふとした時の表情や皇雅さんのことを話すときのあの瞳が、私を不安にさせていた――





 茜が山田君に会いに来る回数が、日に日に減っている。それもあの日からの変化だ。

 二人が付き合いだしたころ、茜は休み時間のたびに山田君に会いに教室にやってきていた。それが、茜が皇雅さんに会ったと言ってからだんだんと来ない時が増えてきて、最近じゃお昼の時間もクラスメイトと食堂にいたりする。

 山田君はそれをクラスに友達が出来たみたいと喜んでいるようだった。友達に「最近彼女来なくね」と言われても、笑顔でそう話しているのが聞こえてきたから。

 今まで茜に友達がいなかったかは知らないけど、私は今日学食で、初めて茜の無邪気な笑顔を見た。

 女子五人で固まって座っていた茜は、本当に楽しそうに笑い声をあげていて、私はその表情から目をそらせなかった。

 そんな私に、斜め前に座っていた紀之先輩が不思議そうに声をかけてきた。


「どうした? 澤木」

「あ……なんでも、ないです」


 妹の笑顔に目が奪われたとは言えず、誤魔化すように笑うと、それ以上は聞かれなかったからホッと短く息をつく。

 皆の会話に相槌をうちながらも、どうしても茜をチラチラ気にしてしまう。

 今までも友達に囲まれて楽しそうにしている姿を何度も見てきた。でも何か違う。

 誰かに今までと今の茜の何が違うの? と聞かれても、ちゃんと答えられる自信がない。

 だけど、茜の雰囲気が……なんだか変わった気がする。雰囲気や笑顔が、柔らかくなったというのが一番しっくりくるかもしれない。

 こんな短期間に何が、誰が(・・)茜を変えたんだろう。そう考え出すと、私はなかなか目の前のたぬきソバを飲み込めなかった。




 学食の麺類は基本軟らかいんだけど、ボーッとしていたせいで、目の前のお蕎麦の膨張率が凄い。はっと我に返ってどんぶりを覗いた私は、肩を落としながらも箸を動かす。

 お腹の容量と相談しつつ、食べ物を残すことができない私が、これはまいったなぁとモソモソ食べ続けていると、そんな私に気がついた美也ちゃんが、自分のチキンカツサンドを一つあげるから、お蕎麦と交換しない? と聞いてくれた。

 私にとってはありがたいけど、美也ちゃんに申し訳ないくて首を振って断る。


「でも、もう結構伸びちゃってて」

「いーのいーの。私、軟いの好きだから。はい、交か~ん」


 そう言って私にチキンカツサンドを一つ渡すと、美也ちゃんはどんぶりの乗ったトレイ自分のほうへ引き寄せる。そしてお蕎麦を四口で食べきった美也ちゃんに、マナちゃんが「分かる~」と笑った。


「私も麺は基本伸ばして食べる。カップ麺はプラス二分おくかな」

「そうなの?」

「お前の場合は固さより量が増えるからだろ」

「その通り。よくわかってんじゃん」


 大きく頷いたマナちゃんに、私は笑いながらもらったチキンカツサンドをかじる。それは冷たいのに噛んだ瞬間ジュワッと肉汁が出てきて、ざく切りキャベツやマスタードと絡んでとっても美味しい!


 美也ちゃんのお母さんはとってもお料理上手だなぁ。毎日持ってきてるお弁当も美味しそうだもんな。


 自然と口元が緩んでニマニマしてしまう。美也ちゃんに感謝だ。


「美也ちゃんありがとうっ。スッゴく美味しいよ」

「ホント? 良かった」

「マジで! そんな美味しいの? ちょっと美也、私にもちょうだいっ」

「いいよ。じゃあその肉団子1個と交換ね」

「了解。最後のお楽しみだったけどしょうがない。…………ホントだ、うまっ」


 交換したチキンカツサンドを笑顔で頬張るマナちゃんに、紀之先輩が溜め息をついた。


「少し前まで憂鬱だって騒いでいたくせに……」

「うっさいなぁ。それはそれ、これはこれだって」

「憂鬱?」


 ボーっとしていたせいで聞いていなかった私がマナちゃんを見ると、彼女はあれよあれとホッペをチキンカツサンドで膨らませながら教えてくれた。


「ほら、来週は三者面談があるじゃん。あれ、うちはお母さんが来るんだけど、先生の話次第ではお小遣いが減額されそうでさぁ」

「そっか。そういえばそんなのがあったね」


 うちの学校では二年生の十一月にある三者面談で、大まかな進路を相談している。ここで進学希望か、就職か。進学ならどの学部かを相談して、来年のクラス分けの参考にされるらしい。

 少し前まで、私は高校を卒業したら就職をしようと思っていた。就職して自立しようって。

 いつまでも私と一緒に暮らしていたら、私を気にしてお兄ちゃんが結婚できないかもしれないから。

 でも最近、少し迷ってる。

 皇雅さんとお付き合いを始めて思ったんだ。私はやっぱりまだまだ何も知らないんだって。そして思った。もっと勉強をして知らないことを知っていきたい。そんな気持ちが出てきた。


 きっかけは皇雅さんに連れて行ってもらって、初めて美術館に行った時のこと。皇雅さんは館内に飾られている一枚一枚を見ながら、画家の話やその絵にまつわる話を聞かせてくれた。教科書で知っていた人の、教科書では教えてくれない話が楽しくて、私は夢中で皇雅さんの話を聞いていた。

 エジプト展とか博物館も、皇雅さんと一緒に行くと、あっという間に時間が過ぎてしまう。

 そして先週、全米大絶賛のファンタジー映画を観に行ったんだけど、その時に自分と皇雅さんが笑うタイミングが、少しずれることに気付いた。

 それに気付くとどうしてなのか気になってしまって、意識して皇雅さんを見ていて分かった。皇雅さんには字幕がいらないんだって。


 お兄ちゃんも英語を普通に話せるし、二人とも凄いなぁ……

 私も英語の成績は悪くない……ほうだし、もっと頑張ろう。それで皇雅さんと同じタイミングで笑いたい。


 皇雅さんが話してくれたエジプトの歴史が楽しかったから、半年に一回選ぶ選択授業で世界史を選んだ。

 皇雅さんが物知りで凄いとマコさんに話したら、皇雅さんは月に何冊も本を読むんだよって教えてくれた。だから真似して、毎週図書館で本を借りてくるようになった。


 少しずつでも皇雅さんに近づきたい。


 最初はそんな動機だったけど、それでも今までよりやる気があるせいか、この前のテストが少しだけいつもより点数がよかった。

 もちろん大学に行くとしたら結構なお金がかかるし、奨学金を貰うためにはどれくらいの成績を取らなきゃいけないのかもわからない。就職にするか進学にするか。

 来週の三者面談はお兄ちゃんが来てくれることになっているから、その前にお兄ちゃんに相談してみよう。


 私がそう決めている内に、マナちゃんは紀之先輩に愚痴を言い終わっていて、食べ終わった私たちは学食を出た。





 学食を出て廊下を歩いていると、後ろから「お姉ちゃん」と声をかけられた。思わず出そうになったため息を飲み込んで振り返ると、やっぱりその声の主は茜だ。 

 一人で私を追ってきた茜を見たマナちゃんが、私を隠すように一歩前に出る。


「なに。何か用?」

「あはっ。野原せんぱいってば、何いきなりキレてるんです? 可愛い妹が、お姉ちゃんにちょっと話しかけただけなのに」

「あんたが可愛い? 寝言は寝て言え」

「かっこいい~」


 仁王立ちで茜に言ったマナちゃんを見て、美也ちゃんが笑いながら手を叩く。

 二人の様子に一瞬顔を険しくした茜が、パッと表情を変えると、笑顔で首を傾げた。


「……せんぱい達って超目が悪いんですね~。あ、ごめんなさい。頭も悪いんでしたっけ?」

「あんただってバカでしょうが」

「私この前のテスト、学年で総合二十三位でしたけど、先輩は?」

「うぅぅ……」


 悔しそうに顔を歪めたマナちゃんの肩に、苦笑した美也ちゃんがポンと手を置く。いや、それ慰めになってなさそうだよ。


「お姉ちゃん」

「なに?」


 茜に返事をしながらマナちゃん達の前に出ると、茜が更に一歩近づく。

 向き合った茜の首もとを見つめる私に、茜は少し腰を曲げて囁くように聞いた。


「お姉ちゃん……先週、彼と映画観てきたんだってね。昨日お店で聞いちゃった」

「……」

「今週もデートするの?」

「……茜には関係ない……」

「するんだ」

「……」

「ねぇ。どうしてお姉ちゃんなの?」

「え?」


 茜が何を言いたいのか分からなくて、思わず茜の顔を見ると、彼女は無表情で私を見ていた。


「顔もスタイルも並以下なのに、どうしてお姉ちゃんなの?」

「それは」

「どうして私の……はいつも……」

「茜?」


 まるで泣いてるように顔を歪めた茜に、その瞳から目がそらせない。


「ユキ? 大丈夫?」


 目を見開いて茜を凝視している私に、マナちゃんが心配して声をかけてくれた。マナちゃん達からは茜の表情が見えないみたいだ。

 マナちゃんの声に、茜は俯きながら一歩私から離れる。


「野原先輩ってホントいつも失礼。まるで私が何かしたみたい」

「あんたの日頃の行いが酷いからでしょ」

「あははっ。まぁ……いいですけど。ねぇお姉ちゃん。取り引きしない?」

「取り引き?」

「私がママを何とかして変えるから、お姉ちゃんは彼と別れるってどう?」

「何を言って……」

「いいじゃん、家に帰ってこられるよ。隆くんの時だってあっさり私にくれたでしょ、今度だって……。あ、そうだ。隆くんを返したげる。だからトレード――」

「ふざけないでっ!!」


 茜の言葉にカッとなって叫ぶと、俯いていた顔を上げた茜が、私を真っ直ぐ見つめた。そして歪に口角を引き上げる。


「嫌なら別にいいし。せっかく優しくしてあげようかと思ったのに、怒鳴るなんてありえな~い。何マジになってんの。ダサッ」

「茜、いい加減私達の事に人を巻き込むのは止めて。山田君も皇――」

「五月蝿いなぁ。ホントにあんたってウザイ。何、私に説教する気? あんたが私に? ……いい気になってんじゃねぇよっ」

「茜っ」


 叫ぶなり私の横を走り抜けて行く背中に、思わず名前を呼ぶけど、茜は立ち止まらずに走り去っていった。

 私と同じようにその後ろ姿を見ていたマナちゃんが、ポツリと呟く。


「確かにあいつ変わったかもね」

「……」

「今までこんな人気のあるとこで、あんな態度とったことないじゃん」


 学食近くの廊下には、疎らだけど人がいて、残っている私達を興味津々で見ている。

 茜が走っていった先を見つめるように動かない私に、美也ちゃんが背中をトントンと叩いて「教室に帰ろう」と促した。


 茜は……茜はもしかしたら本気で好きになったんじゃ……皇雅さんのことを……


 そう思った瞬間、心臓が大きく跳ねる音が聞こえた気がした。

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