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 私は平日に二日、そして土日の片方で、週に三日バイトをしている。

 付き合い始めてから、バイトが終わると皇雅さんが迎えに来てくれるようになった。最初、私は補導されることはあっても襲われることはないからって断ったんだけど、皇雅さんに心配なんだって言われて、素直に甘えることにした。

 でもお店まで来てもらっちゃうと肉食女性達の目が怖いから、駅で待ち合わせすることは私も譲れなかった。歩いて五分の距離だしね。

 バイト終わりに、皇雅さんの車で家まで三十分。私達は週末にどこに出かけようかと話しながら帰るのだ。




 バイト時間も残り少しとなった時、お客さんが一人店内に入ってきた。「いらっしゃいませ」と声をかけてからその人を見て、一瞬で私の顔が強張った。

 そこには珍しく一人でいる茜が、私の顔を見て楽しそうに笑っていたから。


「茜……」

「隆君からお姉ちゃんのバイト先教えてもらったから、見に来ちゃった。こんなとこでバイトしてるんだぁ」


 迷わず私のいるレジの前にやって来た茜は、メニューを見ずに「ホットの抹茶ラテ。Mね」と注文する。


 突然なに? 学校だけじゃなく、今度は私のバイト先にも何かする気なの?


 他の人の手前、内心の動揺を押し殺して対応する私を、茜は表情を変えずに見つめている。

 会計を済ませて店長さんが作ってくれたドリンクを手渡すと、それを受け取った茜が店長さんに声をかけた。


「お姉ちゃんがいつもお世話になってま~す」

「あら、澤木さんの妹?」

「はい!」

「へえ、あまり似てないのね」

「よく言われます」

「茜……仕事中だから……」

「あ、そっか。お姉ちゃん、ごめんなさい……」


 私の言葉に茜が肩を落とすと、店長さんが苦笑しながら私に小声で告げた。


「もう時間だし、澤木さんあがっていいわよ。妹ちゃんと一緒に帰ったら?」

「え、いえ、まだあと五分あるんで――」

「いいんですかぁ? 良かった。じゃあお姉ちゃん、私そこに座って待ってるね」

「っ……」


 茜に真っ直ぐに見つめられ、どうしても断る言葉が出ない私に、店長さんが遠慮しなくてもいいわよといい笑顔で追い出しに掛かる。

 いつも優しい店長さんが好きだったけど、今はその優しさが辛い。店長さんが好意で言ってくれてるのは分かってる。分かってるから……はぁ。

 何とか店長さん達に挨拶をすると、私は足取り重く、着替えるために奥に引っ込んだ。




 ゆっくり着替えて恐る恐る店を覗くと、さっきと同じ席に座り、茜がまだ私を待っていた。


 駅まで歩いて五分。走れば三分くらいになるはず。


 よしっと気合を入れた私と茜を、店長さんがにこやかに見送ってくれた。




 並んで駅に向かって歩き出してすぐに、茜が話しかけてきた。


「お姉ちゃんさぁ。また懲りずに男作ったんだね」

「っ!!」


 茜に皇雅さんの事がバレた!? 何で?


 驚いて足が止まりかけたけど、私は何とか動揺を隠して足を動かし続けた。


「次は社会人だって~? お姉ちゃんに手を出すなんて、そいつロリコン? って超ウケたよ」

「……」

「どんなキモオタかと思って見に行ったけど、本当にお姉ちゃんと付き合ってるの? ってくらいイケメンでビックリした~」

「えっ……」


 今度は我慢できずに立ち止まった私に、茜は私の進行方向を遮るように立ち塞がる。

 そして背後に両手を回し、私の顔を覗き込むように首を傾けた。


「澤木雪菜の妹で~すって言ったら、色々教えてくれたよ~」

「……」

「陽だまり庵? だっけ。あの店で知り合って、あっというまに付き合いだしたらしいじゃん。……私ね、それを知って、少し悲しかったんだけど……それ以上にすっごく嬉しかったよ!」

「嬉しい……?」


 私に彼氏が出来て茜が嬉しい? どうして?


 自然と眉間にしわを寄せて茜を見つめると、彼女は本当に楽しそうに嗤った。


「だって、またあんたを傷つけてやれるでしょ?」

「っ!」

「すぐに次の男を作ったって知ったときは、隆君は私を騙す為の捨て駒だったのかな~って悔しかったけど、もういいわ。だってあっちのほうがいい男だもんね。アレも私が貰うから。いいよね、おね~ちゃんっ」


 首を傾げて笑う様子は、きっととても可愛いのだろう。茜はその笑顔だけで、いつも簡単に欲しいものを手に入れてきたんだから。

 目を見開いたまま茜を凝視していると、私の様子を見た茜が、片手で口元を隠す。


「やだぁ。ただでさえブスなのに、更にブサイクが酷くなってるよ。今更そんな驚くことかなぁ? 誰だって、あんたより私のほうがいいに決まってるじゃん」

「……」

「アレ、結構お金持ってそうだし楽しみ~」

「……ない……」

「何か言った?」

「あの人のこと、アレなんて言わないで!!」


 思わず叫んだ瞬間。自分の声に茜と二人で目を丸くした。今まで、私が茜に怒鳴ったことがあったかな? いつも黙って茜達の興味が移るのをただ待っていた私が、きっと初めて茜にはむかった。そのことに私以上に驚いたのか、暫く茜が無表情で私を見つめていた。

 きっと茜を怒らせた。でもどうしても我慢できないことだったから……

 震える足で踏ん張って、茜から視線を逸らさないでいると、茜がゆっくり俯いて、肩を震わせた。

 きっと私の反抗に、茜はいつも以上に怒り出すだろうと身構えていた分、予想外の反応にどうすればいいのか分からない。


 まさか私が怒鳴ったくらいで泣いたの? 茜が? 本当に?


 何か声をかけようか、それとも今のうちに走って逃げてしまおうか――

 悩む私の耳に、小さな笑い声が聞こえてきた。


 茜は泣いてるんじゃない。笑ってるんだ。


 私がそれに気付くのと、茜が顔を上げるのは同時だった。


「きゃははははっ。ぷっ、くふふふふ。……へえ、そう。そんなにアレ(・・)が好き? お姉ちゃん。ふ~ん……き~めたっ。次のおもちゃはあの男にする」

「やめてっ!」

「人ん家のことめちゃくちゃにしたお前が、懲りずに人並みに男を作るなら、優しい私がまたちゃんと教えてあげるしかないじゃん。お前なんかが幸せになれるわけないんだって」

「……どう、して」


 なんで、どうして私は茜にここまで嫌われているの?


「取り合えず知りたいことは分かったから、今日はもういいや。それじゃあまた学校でね、おね~ちゃんっ」


 楽しそうに手を振って背中を向けた茜の後姿を、私は呆然と見送るしか出来なかった。




 重い足を何とか動かして駅にたどり着くと、駐車場に停まっている皇雅さんの車が目に入った。

 私に気付いた皇雅さんが、運転席で私に向かって手を振っている。駆け込むように車に乗った私に、皇雅さんが左手を伸ばしてきた。

 彼の手の平が優しく私の右頬に触れると、その温かさに勝手に目が潤んできてしまう。

 私は誤魔化すように目を閉じると、「あったかいです」と笑った。


「雪菜、やっぱり店まで迎えに行こう。可哀想に鼻も頬も真っ赤だ」

「確かに最近寒くなってきましたけど、全然平気ですよ。それにお店の近くって、あんまり車を止める場所ないですし」

「君が嫌がるなら……そうしよう。それならもっと温かい格好をしなさい。ああ、これをやろう」


 そう言った皇雅さんが、上半身を後部座席に乗り出して、そこに置いてあったんだろうマフラーと手袋を手に取った。

 体を戻した皇雅さんは、真っ黒なマフラーで私の顔半分をグルグル巻きにしながら、手渡してきた同じく真っ黒な手袋を「嵌めなさい」とすすめてくる。

 大判のマフラーも、言われたとおりに手に嵌めた手袋もとっても温かくて。

 ……本当に、温かくて。


「皇雅さん」

「どうだ? 少しはマシになったか?」

「大好きです」

「……………………」


 さっきまで冷たくて堪らなかった胸の奥が、じんわり温かくなって。どうしても伝えたくなった言葉が口からこぼれ落ちた。

 そんな私を、皇雅さんは暫く、瞬きもしないほど動きを止めて見ていた。


「あの、えっと」

「…………ふう」


 あまりにジッと見られたことで、正気にかえったようだ。自分の言った言葉が恥ずかしくて、うあーっと視線を彷徨わせると、皇雅さんの深い溜息が聞こえてきた。


 そりゃそうだよっ。いきなりあんなの言われたら、皇雅さんだって恥ずかしいよね!

 何を、何をポロリと口走ってるの~!

 今すぐ窓に頭をぶつけて反省したい……


 恥ずかしくなって俯く私の肩に手を置くと、皇雅さんが真顔で言った。


「雪菜。このまま一緒に市役所に行くか?」

「市役所? え? 何でですか?」

「……」

「あ、でも市役所って五時までですよね?」

「……いや、やっぱりまたにしよう」

「は、はい」


 もう夜の十時だけどと困惑していると、皇雅さんは軽く息を吐いてから、私のおでこにチュッと唇をくっつけた。

 私が反射的にその場所を手で覆うと、皇雅さんは微笑みながら「さあ帰ろう」と前へ向き直る。

 私は皇雅さんに返事をしながら、マフラーより、皇雅さんのせいで体温が上がってしまったと思ったのだった。

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