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たぶん時間にすると数十秒。
私は山田君が去っていった方向を見つめてつっ立っていた。
ようするに、山田君は何かあって茜の浮気を疑っていたけど、本人にはそれを聞けない。
でも気になる。
どうしよう。
よし、澤木に聞いてみよう。
――となって、さっき私に声をかけてきたってことだよね。
それなのに、私が何も言わないうちに自分の中で答えを見つけて、一人だけスッキリ爽快と去っていったと。
……なんてはた迷惑な……
「はあ……」
山田君に対して、思わず溜息がもれる。その時、頭上から数人の男子の笑い声が降ってきた。
「何、もしかしてよりが戻せるとか期待した~?」
「無理無理、茜ちゃんと付き合った後にお前に戻ることなんて絶対ねえよ」
「んな本当のこと言ったらショックで泣き出すんじゃね?」
聞こえてきた『茜』の名前に、もしかして私のことで笑ってるの? と、声がした階段を見上げる。
そこではクラスメイトの男子三人が、ニヤニヤしながら私を見下ろしていた。
状況が飲み込めずに黙って見上げる私に、彼らは更に笑い声を大きくする。
一通り気が済んだのか、三人は笑いを治めた。そして何故か揃って私を睨みながら階段を降りてくる。
状況がのみ込めなくて困惑していると、彼らは私を囲むようにして立ち止まった。
「澤木~、一応忠告しとくけど。これ以上茜ちゃんを虐めたら、俺らがお前を許さねぇから」
「いじめ……私が茜を?」
思わず聞き返す私を見る三人の視線は、更に険しくなった気がした。
「今までお前があの子にしたこと、俺ら全部知ってんだよ」
「可愛い妹に嫉妬して虐めとかマジねえわ」
「私、茜を虐めてなんかいない」
「今は茜ちゃんが止めるから俺らも我慢してるけど、あんまふざけたことすんなよ」
「……」
自分達の言いたいことだけ言って去っていく彼らの背中を見ながら、分かったことがある。少し前から、私はあの三人に嫌われているんじゃないかと思っていたから。
ノートを集めるために声をかけても無視されたり、席の近くを通る時に足をかけられたり……そんなことが何度かあった。
去年までは仲がいいわけじゃないけど、別に悪くなかったのに、急にどうして? と不思議だった。最近ではマナちゃん達に近づかないようにしなと心配してもらって、あの人たちに用があるときは代わってもらったりしてたけど、そうか……茜か……
理由が分かると、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。
小学校でも中学校でも。状況は違うけど、茜は昔から私を孤立させるために、色んな嘘をついてきた。また茜が動き出しているってことかな。
取り合えず、今まで以上に気をつけよう。
軽く頭を振ってから気合いをいれ、マナちゃんたちがいる教室に戻った。
その日の放課後。
私はマナちゃん、美也ちゃんと一緒に、陽だまり庵へお茶をしに向かった。私たちがお店に入ると、いつものようにカウンターにいるマコさんが、笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「マコさんこんにちは」
「こんにちは~」
「……お邪魔します!」
「はい、こんにちは。どうぞゆっくりしていってください」
四人用の丸テーブルに案内され、ケーキと飲み物を注文する。すると、すぐに戻ってきたマコさんが、チョコが二粒乗った小皿をそれぞれの前に置いた。
「マコさん?」
頼んでいないのにとマコさんを見上げると、人差し指を立て、内緒話をするように小声で教えてくれた。
「皇雅さんからです。このお店のチョコが女性に人気があると聞いて、雪菜ちゃんに食べさせたくなったそうですよ。もし此処に雪菜ちゃんが来たら、出して欲しいと渡されてたんです」
「でも、何で陽だまり庵に……」
チョコは嬉しいけど、毎週会ってるのに、どうしてわざわざマコさんに頼んだんだろう? と、首を傾げてしまう。
そんな私の様子を見たマコさんが、笑いを堪えるように頬を震わせた。
「ご自分があげると、雪菜ちゃんが遠慮するからと……ぼ、僕に、それはもう悔……ふ、フフフッ」
「え?」
「失礼しました。平日はなかなかお二人の時間が合わないから、僕に預けたんですよ」
「そう、なんですか」
「ええ、すぐにお飲み物もお持ちしますね」
楽しそうにカウンターに向かうマコさんを見送ると、マナちゃんがニヤリと目尻を下げる。
それを見て、私はパッと彼女から視線をそらした。
「山前院さん、やっさし~い」
「うん」
「うちらラッキーだったね美也」
「ホント。ユッキーの彼氏はとても優しい人ね」
「うん」
「あははっ、ユキ顔真っ赤」
「う……」
知ってるよ。だから二人から顔を背けてるんじゃないっ。
二人の視線から逃げるように口に入れたチョコは、甘いのに少し苦くて、オレンジの香りがしたのだった。
皇雅さんからのチョコで、私の気持ちがふわふわしていると、話を変えるように「で?」とマナちゃんが、鼻息も荒くテーブルに体を乗り出した。
その様子に私も気持ちを切り替えて話す。
「んー……山田君ね、茜が浮気してるんじゃないかって心配だったんだって」
学校では話し辛いから、お昼のことは放課後に教えると二人に約束していた。その山田君の話を簡単にすると、マナちゃんの目が途端に釣りあがってしまう。
「なにそれ! あの野郎そんなくだらない話で雪菜を呼び出したの!?」
「まぁ、きっと他に聞ける人が思いつかなかったんじゃないかな」
「それなら本人に直で聞けっての! マジで一発入れてやろうか……」
俯きながら拳を握りしめるマナちゃんの隣で、美也ちゃんがコテッと首を傾げた。
「山田君はユッキーの妹とうまくいってないってこと?」
「……わかんないや。私、妹とあまり話しないから」
本当は話をしないってレベルじゃないくらい仲がよくないんだけど、何となく誤魔化すように笑ってしまう。
幸い美也ちゃんはそんな私に追及することはなく、何かを思いだそうとするように目を閉じる。
「でも、山田君が戻ってきて、ユッキーが教室に戻るまで、結構時間あったよね?」
「あー、うん。実はそのことで二人に相談があって……」
「相談って、山田以外のこと?」
心配そうなマナちゃんと、不思議そうにしている美也ちゃんに、あの三人の話をした。クラスの男子三人に、どうやら茜を虐めていると誤解されているみたいと伝えると、マナちゃんが「あんのクソビッチー!!」と叫んだ。
待って! ここお店の中だから!
慌てて人差し指を自分の口元に持っていき、マナちゃんに向かって「シーッ」と訴える。私を見たマナちゃんは、急いで口をギュッと閉じると、何度も頷いた。
マナちゃんが落ち着くと、私はホーッと息を吐いて美也ちゃんの様子を見る。そしてギョッと目を見開いた。
美也ちゃんが、真っ青な顔で私を見つめていたから。
「美也ちゃん? どうしたの?」
「ゆ、ゆゆゆゆゆ雪菜ちゃんっ。いや、ユッキー。その、クラスの男子に、囲まれたの? それは、とても、怖かったって感じだよね?」
どうやら美也ちゃんは、私が怖い目にあったんじゃないかと心配してくれてるみたいだ。親身になってくれる彼女に悪いなと思うけど、でもちょっと嬉しくて。
私は二人に向けて、そんなに大したことはなかったよと、力いっぱい笑った。
「ちょっとだけね。でも別に何かされたわけじゃないから大丈夫だよ」
「でも、階段下で、男子に、三人で、その」
「雪菜ちゃん、何かあったんですか?」
「マコさん」
大丈夫って言ったのに、更にどんどん顔色を悪くしていく美也ちゃんに、思わずマナちゃんと顔を見合わせた。
すると、タイミングよく、頼んだものをトレーに乗せたマコさんがテーブルにやってきてくれた。
「すみません。少しだけお話が聞こえてきてしまって……雪菜ちゃん、学校で何かあったんですか?」
「あ、いえ、そんなたいしたことじゃないんです」
変にマコさんに話してしまうと、皇雅さんやお兄ちゃんにまで心配をかけてしまう。だから手をパタパタとふって、本当にマコさんが気にすることじゃないと伝えた。
暫くジッと私を見つめていたマコさんは、ふいに「安心しました」と言って微笑んだ。弛んだ空気につられるように私達も笑うと、マコさんは近くに座っていた美也ちゃんの肩に、ポンと軽く手を置いた。
「最近怖いニュースをよく見るので、もしかしたら雪菜ちゃんに何かあったのかと心配してしまいました。何もないなら、本当によかったです。階段下で、クラスメイトとはいえ、自分よりも体の大きい男三人に囲まれた……なんて聞こえたものですから」
「いっぃぃいぃぃイ~~~!」
「美也ちゃん!?」
「ちょっ、美也!?」
さっきまで真っ青になっていた美也ちゃんが、今度は体を震わせて涙ぐむ。これはもしかして私が心配をかけたからじゃなくて、体の調子が悪かったのかと慌てると、彼女は勢いよく首を振って「全然元気だから!」と叫んだ。
「本当ですか? 美也ちゃん。僕にも顔色が悪く見えますけど。良ければ奥の休憩室で休んでいきますか?」
「まったく、なんにも、問題ありませんっ!」
「それならよかった」
「ハ、ハハハ」
「フフフ」
笑顔でマコさんを見上げる美也ちゃんと、本当に安心したといった顔で美也ちゃんを見下ろすマコさん。
見つめ合ったまま動かない二人に、私とマナちゃんはどうしようかと顔を見合わせたのだった。