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負けるのも悪くない

大変お待たせして申し訳ありません……m(__)m

 仕事の合間に誠に電話をかけると、数回のコールの後にすぐに返事が来た。今の時間は店に出ていないだろうと思ったのは正解だったようだ。


「誠、少し聞きたいことがあるんだが」

『なんでしょう?』

「今週雪菜を千葉のテーマパークに連れて行こうかと思ってな、雪菜が喜びそうな情報を何か知らないか?」

『……雪菜ちゃんを連れて行くのはいいと思うのですが、僕はあまり詳しくありませんので。詳しい資料をお持ちするよう数馬に伝えておきます』

「なんだ、お前は知らないのか?」

『僕がああいう場所に好んでいくタイプではないのはご存知でしょう?』

「だが昔数馬を連れてあそこに出かけていただろう」

『……いったい何年前の話をされてるんですか……』


 雪菜をどこに連れて言ってやれば喜ぶだろうかと考えていた時、昔……あの場所に行きたいと駄々をこねた数馬を、誠が連れて行ってやっていた事を思い出した。よっぽど楽しかったのか、暫らく数馬は会えばそのことばかり話していたのもよく覚えている。

 誠も「子供のお守は大変です」と言いながらも、何度か連れて行ってやっていたのだからそれなりに楽しめていたんだろう。


「ふねが言うには数馬の部屋には未だにお前が買ってやった人形があるらしいぞ」

『……』

「まぁいい。では資料を頼む」

『はい』


 通話を切ると、ああ……甘いものが好きな雪菜に、ミルクティーを飲ませてやったら喜ぶだろうかと思いついた。飲み物もそうだが、ドーナツだ。あれも雪菜が好きだった。

 当日までに用意するものも、知らねばならないことも多そうだ。


「ふっ……」


 だが、それが楽しい。


 雪菜、君が……いや、私達が一生忘れられない日にしよう。


 閉じた瞼の裏に浮かぶのは、陽だまり庵で雪菜が春樹に向けていたあの笑顔。あの顔を、私にも向けて欲しい……。

 数馬が戻るまでの一時は、そうして週末に思いを馳せている間に過ぎていった――



 

「すごいっ! 昔写真で見たままですっ!」


 運ばれてきたパンケーキを嬉しそうに見つめている雪菜を見ると、ここに連れてきてよかったと思う。ナイフとフォークを握りしめたまま、どうやら何かのキャラクターの顔の形に焼かれたそれを、飽きもせずに見つめている。


「雪菜、いい加減にしないと冷たくなってしまうぞ」

「あっ、そうですよね。あー、どこから食べるか迷っちゃいますよねっ」

「どこから? パンケーキには特別な食べ方でもあるのか?」

「だってこう……耳からいくべきかほっぺの方からいくべきか迷いませんか?」

「耳? 頬?」


 言われて自分の前にも置かれたパンケーキを見る。

 ……もしかしてこのキャラクターの耳と頬の事か?

 どこから食べようが味は変わらないと思うんだが、雪菜にとっては違うのか?

 雪菜が何をそんなに迷うのか分からずにいると、雪菜が違う事を聞いてきた。


「こっうがさんは、たい焼きとか頭からいく派ですか? 私はしっぽ派なんです。お兄ちゃんやマナちゃんは頭派なんですけど、最後までしっかりあんこやクリームがあった方がなんだかお得な気がしちゃって」


 私の名前を呼ぶ時に少し頬を染めているその顔を楽しんでいると、聞きなれない物がでてきた。名前は知っているが、私は口にしたことがない。こんなことなら一度口にしておくべきだった。


「すまない。私はたい焼きを食べたことがないんだ。

雪菜はたい焼きが好きなのか?」

「そうなんですか? 私もお兄ちゃんも好きなんでたまにおやつに食べるんです。

うちの近くに美味しいお店があるんですっ、今度一緒に行きませんか?」

「ああ、一緒に行こう」


 私の返事に嬉しそうに笑うその顔を見ると、胸が暖かくなる。

 雪菜の口から自然と次の約束がでてきたその事も、嬉しくて仕方がない。

 

『山前院さんっ、ここに連れてきてくれて……本当にありがとうございましたっ!

私……私こんなに楽しいの初めてですっ!』


 そう言った雪菜は、初めて私にあの顔を見せてくれた。白い頬を薄紅色に染めながら、私を見上げてくるその顔を見ていると、ここが車の中だったら……と、心から悔やんだ。車でなくても、もう少し人気のない場所だったら……いや、待て、せっかく彼女の警戒心が緩んできたのに、それではすぐに逆戻りだ。

 我慢できずに腕の中に囲った雪菜の身体の強張りに気付き、冷静になれと自分に言い聞かせた。もし……私があの時何を思っていたのか知ったら、雪菜はやはり逃げるだろうか? それとも……

 私がそんな事を考えている間にも、結局耳から食べることにしたらしい雪菜が口いっぱいにパンケーキを頬張っている。「おいしいっ」と幸せそうに笑うその顔を見れたのだから、ここに連れてきてよかったのだろう。

 ……春樹の言葉で予想はしていたが、それでも雪菜を泣かせてしまうのは本意ではなかった。どんな傷でも、癒そうと薬をかければ痛む。古傷なら尚更。

 私以外のものが雪菜の心に深く根付いていることが許せない、それは私のエゴだ。雪菜には可哀想なことをした、だが後悔はない。

 現に今、彼女はとても楽しそうに笑っているのだから……。



 雪菜は乗る物、食べる物、全てに歓声をあげていた。入口で配られたパンフレットを開いて、次はここに行ってみたい、これが食べてみたいと、目を輝かせてこちらを見上げてくる。その度に私は自分の理性と闘う事になった。

 午後になり人が増えてくると、はぐれない為とその小さな手を握った。雪菜が「汗っ、汗がーっ」と手を離そうとしていたが、当然無視をした。

 数馬からの資料に、ここでは人気のある乗り物では、長時間並んで待つことになるという記述があった。それを見たとき、私は一つの乗り物に乗るために長時間待つというのは、時間の無駄にしか思えなかった。だが、「待っている間にさっきの乗り物が楽しかったとか、次にどこに行こうとか話しているとあっという間ですねっ」と、楽しそうに言われてしまうと、なるほど……これも悪くないとわかった。


 夜になり辺りが暗くなってくると、雪菜とパレードを見るために移動をした。他にも多くの客が同じように待っている中、二人並んでその時を待った。

 電飾を大量に使用したそれは、その日一番の感動をくれた。

 今日雪菜と一緒にいて分かったのだが、雪菜は何かに乗ったり食べたりすると、必ず感想を聞いてくる。このパレードも間違いなくどうだったのか聞かれるだろう。その時にしっかり答えられるように、細部までしっかり見ていた。

 パレードも終盤に来た時に、ここまで見ていればもう大丈夫だろうと隣の雪菜の顔を見た。

 今までのように嬉しそうに見ているのだろうと思っていた。だが……雪菜は泣いていた。

 目をしっかり開き、微笑んでいるのに……その頬には絶えず涙が流れていた。

 

「雪菜……?」

「皇雅さん……私……このパレードが……とても……とても見たかったんです」


 そう言い私の方を見る彼女を見ると、もう我慢はできなかった。

 雪菜の腰に置いていた手を彼女の後頭部に持っていき、ゆっくりと顔を近づける。

 小さく震えた後後ろに逃げようとしたその頭をしっかり押さえると、少し冷たい唇に触れた。

 軽く触れた後、震える下唇をしっかりと食む。

 さっき渡したオレンジジュースだろうか、微かに甘いその唇を何度も味わっていると、雪菜が私の背中を叩いてきた。

 抗議の意思を感じて少し顔を離すと、暗闇でもわかるほど真っ赤に染まった雪菜が、小さな声で言う。


「皇雅さんっ、こんな、外っ、で、人もいっぱいいるのにっ」

「……誰もいなければいいのか?」

「ぁう……」

「冗談だ。悪かった。

まぁ、周りが見ているのは私達じゃない。誰も気づいていないさ」


 正直もっと触れていたかったが仕方ない。

 ちょうどパレードも終わったようだ。春樹には「門限は23時です」と言われているし、そろそろ帰ることにするか。

 まだ顔を赤くしている雪菜を促し、もう一度お土産を見たいという彼女を連れ出口の方へと進んでいった。


 今日は雪菜を楽しませてやろうと思っていたのだが、泣かせてばかりいたような気がする。

 それでも、楽しかったと隣で笑っていてくれている。

 雪菜の心をもっと私に向けたいと思って連れてきたが、結局私ばかりが想いを膨らませた一日だった。

 「恋愛は先に惚れた方の負けという言葉があるんですが、ご存知ですか?」この間誠に言われた言葉を思い出す。


 確かにそうだな。きっと私はこの先も彼女には勝てないだろう。

 だが、負けるのも悪くない。

 雪菜に振り回されるこの気持ちは、とても心地いいものだから――


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