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バイトが入ってなかった日曜日に、山前院さんと出かけることになった。
何度か電話で「どこか行きたいところはあるか?」と聞かれて、毎回どこでも大丈夫ですっと答えていたら、山前院さんがオススメの場所に連れて行ってくれることになった。
どこに行くのか気になって聞いても、山前院さんは「秘密だ」と言うばかりで教えてくれない。
土曜の夜に、電話で「明日は車で移動するから少し早めに迎えに行く」と言われて、どこに行くのか考えるだけでなかなか眠れなかった。
……だけど、寝るまでに時間はかかるけど、結局しっかり朝まで寝ている私は……やっぱり真の乙女にはなれないんだろうな……と、起きてから少しへこむ。
ここはドキドキしすぎて徹夜になっちゃうとこじゃないのか?! なんでしっかり六時間も寝てるの自分?!
と、目覚まし時計を見つめながら、自分の残念さに朝から泣いた……。
何度も何度も時計と鏡を確認する。
さっき見た時からまだ2分しか経ってない……。
落ち着かなくて今度は鞄の中身の確認をした。ハンカチにティッシュ、ポーチにお財布……。
そして時計を見るけど、やっぱり2分しか経ってない……。
もう一度鏡で全体の確認。
昨日バイト前にマナちゃんに付き合ってもらって買った、赤のチェックのワンピース。マネキンが来ていた時は膝上のミニだったけど、私が着ると調度膝が隠れるほどの丈になってしまう。
でもマナちゃんも店員のお姉さんも、お兄ちゃんも似合うと言ってくれたからきっと大丈夫。
……大丈夫……だよね?
髪も雑誌を見ながら何度もやり直したけど、何とか綺麗に編み込めたし、色つきリップもしっかり塗った。
山前院さんと一緒に歩くなら……お化粧もした方がいいかなと思って、マナちゃんと陽だまり庵で雑誌を広げながら勉強していたんだけど……makoさんに止められてしまったのだ。
「雪菜ちゃん、無理して背伸びをしなくてもいいんですよ」
そう言って、このリップを私とマナちゃんにくれた。
知り合いの会社の試作品って言っていたけど、つけるとなんだかいい匂いがするし、私がいつも使っている薬用リップより唇がプルプルするような気がして、どこのメーカーのものなのか今度聞こうと決めている。
そうして部屋の中で落ち着きなく動いていたら、部屋をノックした後お兄ちゃんが入ってきた。
「おはよう、準備は万全か?」
「おはようー……万全かな? この格好どう? 変じゃない?」
「可愛い可愛い。頭も綺麗にできたじゃないか」
「適当だ~っ」
「ちゃんと褒めてるよ。それよりそろそろ山前院さんが来るんじゃないか?」
「ほんとだっ! わ、私もう一回トイレ行ってくるっ」
時計を見ると、約束の七時まであと少しで……慌てて部屋を出ていく私の背後で、お兄ちゃんが笑ってた。
マンションに着いたとメールが来たから急いで降りて行くと、マンション前に止まっているのは思っていた車と違った。
CMで見たことあるやつだっ。何だっけ? プリウスっていったっけ? ……あれ? でもこの前はタクシーみたいな車じゃなかった?
不思議に思いながらシルバーのその車に近づくと、運転席のドアが開いて山前院さんが降りてきた。
ベージュのジーンズにオフホワイトのサマーセーターを着た山前院さんは、なんだか真っ直ぐ見れないほどかっこよかった……。
山前院さんを見たら、なんだか私の格好がとても子供っぽい気がしてくる。
本当にこの格好でこの人の隣にいて大丈夫か不安になってきて、つい自分の格好を見下ろしてしまう。そんな私に、山前院さんが不思議そうに声をかけてきた。
「おはよう、雪菜。どうした?」
「お、おはようございますっ。
あの、わ、私……こんな格好で……」
「格好? ああ……よく似合ってる。可愛いな」
「ふぇっ?!」
違うっ! 言われると思っていた言葉と違うっ!
なんですかっ、何なんですか!
なんでそんな事をサラッと言えちゃうのっ?!
突っ立ったまま顔に熱を集めながら心の中で叫んでいると、山前院さんが私の背中を押して車へと誘導して行った。大人しくされるがままに車に乗ると、車を発進させた山前院さんが聞いてきた。
「ヘアスタイルも自分でやったのか? それとも春樹君が?」
「自分でやりました。その……本を見ながらやったんであんまり上手に出来なかったんですけど……」
「綺麗に出来ている」
「そ、うですか?」
もしかして山前院さんは褒めて伸ばすタイプの人ですか?!
恥ずかしいけど……何度も失敗しながら頑張ったから嬉しくて、ついヘラッと笑ってしまった。そんな私をチラッと見ながら、更に反応に困ることを言ってくる。
「雪菜は器用だな」
「いえ、どちらかというと不器用なほうなんで、これも何回も失敗しちゃったんです。
本当はもっと可愛いのとかいっぱいあったんですけど、難しくてよくわかんなくなっちゃって……」
「ふっ……」
「わ、笑い事じゃないんですよっ。もうやり直そうとしても髪の毛が絡まっちゃったりして、大変なんですからっ」
「すまない、雪菜を馬鹿にしたわけじゃない。
雪菜が私と出掛けるために頑張ったその時間が……とても嬉しかっただけだ」
「うっ」
「私が今日を楽しみにしていたように……雪菜も楽しみにしていたのかと思うと、つい口が緩んでしまった」
「にゅっ」
恥ずかしさに変な声が出そうで堪えたら、変な声が出た。失敗だ……。にゅってなんだ、にゅって……。
ドクドクドクドク……と耳の中でうるさく響く鼓動を落ち着かせようと、ばれないように窓の方を向いて小さく深呼吸をする。
吸ってーー吐いてーー吸って、と。
しかしこんな事をどんな顔で言っているのかな? もしかしたら私と同じように赤い顔をしてたりして。そう思うと気になって、チラッと山前院さんの顔を盗み見てみると……。
ふっつーな顔ですかっ、そうですかっ。
私だけが恥ずかしくて、テンパっちゃってるんですねっ。ふーんだ。
……でも山前院さんは大人の男の人だもんね。きっと今までにもこうやって彼女と出かけたりしてたんだろうし……たぶん山前院さんとお似合いな大人の女の人と……。
そんなの当たり前の事なのに、私の前にここに座った人の事を考えると……何だかさっきまでのふわふわしていた気持ちが、萎んでしまった。
急に黙り込んだ私を不思議に思ったんだろう。
山前院さんが心配そうに声をかけてきた。
「どうした? 車に酔ったか?」
「えっと、たぶん」
「なら何か飲み物を飲むといい。
雪菜の後ろの席にある鞄に水筒が入っている、好きな物を飲むといい」
言われて後ろを見てみると、大きめのトートバックがあった。
そのまま手を伸ばしても届かなかったから、背もたれを下げて手を伸ばし、バックごと掴んで膝の上において中を見た。
やけに重たいそのバックの中には、350mlくらいの水筒がたくさん入っていた。
その中のピンク色の水筒を出してみると、山前院さんがそれを見て「それはアイスティーのはずだ」と言った。
「えっと……もしかして他のは中身が違ってたりするんですか?」
「赤はホットティー、黒はホットコーヒー、白がアイスコーヒーで緑が緑茶。
青が烏龍茶で水色がスポーツドリンク、黄色がオレンジジュースだったか。ああ、茶色はロイヤルミルクティーだ」
「……」
「どうした? 気に入るものがないか? それなら何処かに寄るが」
「い、いえっ。
あの……今日って結構遠くまで出かけるんですか?」
「いや、後一時間程で着くだろう」
「……」
出かける時ってこれが普通なのかな? そんなわけないよね? 山前院さんが変わってるんだよね?
黙って水筒を見つめる私を、山前院さんが不思議そうに見ていた。
悩みながらも茶色のロイヤルミルクティーを貰って飲んだ。
ホッとする甘さの中にしっかりと紅茶のいい匂いのするそれは、とっても美味しかった。
それをお礼と一緒に伝えると、嬉しそうに笑ってくれて……その顔を見てると、どうしようもない事を気にしてもしょうがないって思った。そんなことを気にするよりも、一緒にいられる時間を楽しもう。うん。
そのまましばらく走っていると、同じ看板が何度も出てくるようになった。
それを見るたびにもしかして……と胸が騒ぐ。
山前院さんに確かめようと思ったけど、答えを聞くのが怖くてやめてしまう。
千葉県にあるその場所は、私の憧れの場所で……そして一生行くことはないと思っている場所だから--