笑った顔を見せて欲しい
開いたメールを何度も読み直し、その内容を理解する。
理解すると、無性に笑い出したくなった。
「くっ……」
その笑いを押し殺し、落ち着くために一つため息をついた後、握ったままだった携帯を机の上に置いた。
やけに派手な音を立てたそれを捨て置き、椅子から立つと部屋を出るために扉に向かう。ドアノブに手を伸ばしたその時、扉が開き数馬が入ってきた。
「あれ? 皇雅さんどうしたんです?」
「数馬か……、何の用だ」
「ちょっと変更をお願いしたいことがあるんですけど、あの……どうかしたんですか?」
「仕事か?」
「え、は、はい」
「……」
「あと、確認して頂きたい書類もあるんですけど……」
伺うようにこちらを見る姿にまた小さく息を吐き、元いた場所に戻った。
椅子に座り先ず書類を渡せと手を出すと、数馬がそれを渡しながら奇声を上げた。
「こっ、こここ皇雅さん?!
コレ! 携帯どうしたんですか?! ああっ! 机に傷がっ! っていうかへこんでますけど?!」
「知らん。勝手に壊れたんだ」
「そんなわけないですよね?!」
「うるさい」
「うるさいって、だってこんな……」
一人で騒いでいる数馬を放っておき書類を片付けていく。
急を要するものを全て終わらせ数馬に渡している時、軽いノックの後誠が顔を出した。
「お邪魔します。少しお話したいことがあるんですが宜しいですか?」
「なんだ?」
珍しく真面目な顔をして入ってくると、今日陽だまり庵であったということを話した。
「雪菜ちゃんは今日のことを相当気にしているようでしたので、早めにお知らせしようと思いまして」
「……」
「なんだか問題が有りそうな妹ですね」
「有りそうじゃない。問題しかない妹ですよ、多分ね……」
そう言った誠が机の上にある携帯だったものを見ている。
先ほど雪菜から来たメール、そこには『ごめんなさい、マカロン一緒には食べれません。山前院さんはとってもいい人だと思います。だけど、お付き合いはできません。ごめんなさい』そう書いてあった。
「逃げた理由なんて関係ない」
「皇雅さん?」
「雪菜が逃げるというのなら、私は逃がさないように捕まえるだけだ」
「……皇雅さん、お気持ちはわかりますが……少し冷静になってください」
「私はいつでも冷静だ」
「物にあたる人間が冷静だとは思えませんが?」
「……」
誠の視線が机の上の携帯にいく。
「……置いたら勝手に壊れたんだ」
「そうですか。力の加減というのは難しいものですね」
「……」
「……」
「こ、こわい……」
「何がです? ポチ」
「こっちを見ないでくださいぃっ」
「……わかった。少し頭を冷やしてから雪菜に会いに行くことにする」
急きょ決まったことだが……明日から数日日本を離れるのは、いいタイミングだったんだろう。満足げに笑っている誠には苛立つが……まぁいい。
雪菜……いい人でいると君が逃げるというなら、私はいくらだって君を縛り付けられるよう悪人になる。
『優しくしてやりたい』その気持ちは間違いなく本心なのに、身の内から湧き上がる真逆の感情を、どうしても抑えることが出来なかった――
数日時間を置いたことで、荒れ狂うような感情は随分落ち着いた。だが、雪菜に猶予をやる気は変わらずない。
どんなことをしても手に入れる。そう思い、日本に帰国したその足で雪菜のバイト先まで向かう。
だが……泣きそうに私を見つめる顔を見てしまうと、泣かせたくないと思う。
小さい体を更に小さくしながら震えている姿を見れば、その怯えを取り除いてやりたいと思ってしまう……。
泣きそうな顔で必死に腕を伸ばされたら、その腕を取り抱きしめてやりたくなる。
「雪菜、何が怖い?
私は君が好きだ。君が私に少しでも好意があるなら、私を君の恋人にしてくれ」
「ひっ……」
目を見開き、小さく悲鳴を上げて体を遠ざける雪菜を、決して逃がさないと逃げ道を腕で塞いだ。目を泳がせて震える姿を見て胸が痛むが、今を逃すと次に雪菜を捕まえるチャンスは遠いことはわかっていたから、手を緩めることはない。
「雪菜……本当に断りたいのなら、メールではなく顔を見て言え。
私では君の相手にはならないか? これから時間をかけても君が私を見ることはないのか?」
「わ、私は、山前院さん、とは」
「雪菜、さっきは何故泣いた?」
雪菜の口からまた否定の言葉が出てきそうだったのを遮り聞くと、真っ赤な目を見開きこちらを見つめてきた。
その瞳をしっかり見つめもう一度聞く。
「私の顔を見て何故泣いた?」
「それは……」
「もう一度言う、私は君が好きだ。君は? 私をどう思っている?」
私から逃げるように何度も視線をさまよわせた後、震える声で言う。
「私だけって……言ってください……」
「雪菜?」
「今だけでいいから、私だけって言ってくださいっ」
「今だけなわけがない。
私にはこの先君だけだ。
それを雪菜が信じられないのなら、一生をかけて雪菜に信じさせてみせる。
雪菜……私には君だけだ、君だけが好きだ。私と付き合ってくれ」
なぜそんな言葉を求めるのかわからなかった。
だが、雪菜が求めるなら欲しがるだけ言葉をやりたい。
私の言葉を聞いた後……ますます瞳に涙を溢れさせ、何かを言おうとしているのか唇を震わせている。その唇に触れたいと、自然と顔を寄せていったとき……今までにないほど瞳に力を籠めた雪菜が私を真っ直ぐに見つめてきた。
「私も、すっ、好きですっ。
あ、なたの、彼女に、してくださいっ!」
その言葉を最後まで聞くことなく雪菜の頭を抱き込んだ。
込み上げてくる愛しさにそのまま体もきつく抱きしめる。
しばらく固まったように動かなかった雪菜が、恐る恐るというように私の背中に腕を回すその仕草に、堪らない感情が湧き上がってくる。その衝動のまま体を少し離し、その唇に顔を寄せていくと……雪菜が目に見えて怯えたように体を震わせた。
これ以上は可哀想だな……
そう思い、少し軌道をずらし鼻の頭に口付けると、それだけでも驚いたように目を丸くしている。その愛らしさに額にも軽く口付けた後、名残惜しいがゆっくりと体を離した。
「雪菜……これから食事にでも行くか?」
「……え? あ、の……」
「今からだと少し遅くなってしまうな……。君は明日も学校だろう? あまり遅くなると春樹君に心配をかけるか……」
「うぇっ、はっ、はいっ」
真っ赤な顔のまま顔を上下にしているところを見ると、今日はもう帰りたいということだろう。
そう思い、そのまま車で雪菜を家に送り届けた。
雪菜が春樹と住んでいるマンションに着き、部屋まで送り届けた際に出てきた春樹に雪菜と付き合うことになったと伝えると、本当に嬉しそうに笑った後……深々と頭を下げられた。
「山前院さん……雪菜をお願いします」
もちろんだと答えてマンションを出ると、ここまで乗ってきた車の運転席に数馬が乗っていた。その姿を認めて後部座席に乗ると、どうなったのかうるさく聞いてくる。
「捕まえた」
「ってことは付き合うことになったんですねっ。
よかったですね、皇雅さんっ」
「そうだな」
「……あれ?
あまり嬉しそうじゃないですね?」
「嬉しいさ。雪菜を捕まえたことはな」
「何か気になる事でもあるんですか?」
「……誠に、明日顔を出すように伝えておいてくれ」
「誠さんですか? わかりました」
気になること……、さっきの春樹の態度が妙に気になる。
結婚するという報告をしたわけではない。高校生の妹の交際の報告で……兄があんな態度を取るものか?
……まぁいい、とにかく雪菜を捕まえる事が出来た。
雪菜……大事にする。
決して君を傷つけることないよう……優しくする。
だから、早く笑ってくれ……。
初めて君を見たときに浮かべていたように、暖かく柔らかいあの笑顔を……私に見せてくれ。
困惑している顔も、泣きそうな顔もいいが……やはり、笑った顔が見たい……。
空港で別れて会社に戻っていた数馬からの報告を聞きながら、焦がれて仕方ない恋人の笑顔を見るには何をしたらいいのか考えた――