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どうしたらいいのか、どうしたいのか、とにかく私はテンパってしまっていた。
鞄を手に取り、勢いよく立ち上がると、山前院さんに向かって頭を下げる。
「すっ、すみませんっ!
急用を思い出してしまいましたのでこれで失礼しますっ!!」
まさしく言い逃げで席から離れレジに向かう。
ちょうどレジで違うお客さんを見送っていたmakoさんが、私を見ると驚いたように目を丸くしていた。
「雪菜ちゃん? どうしたんですか?」
「あの、きゅ、急用を思い出しまして。お会計お願いしますっ」
「いきなりどうしたんです? 皇雅さんに何か変なことでもされましたか?」
「さっ、されてないです!」
「人聞きの悪い事を言うな」
すぐ後ろから聞こえた声に体が震えた。そりゃこんな風に言い逃げしたら追いかけられてしまうか…、でもできればこのまま帰して欲しかった…。
makoさんが一瞬私の後ろを見た後、心配そうに眉根を寄せた。
「本当ですか? 正直に仰ってもらっていいんですよ?
周りから見えないことをいいことに、どんな無体なことをされたんです?
まさかこんな場所でキス以上のことはしないと思いますけど、もしされたのなら警察に通報しましょうか?
大丈夫。僕はいつだってできれば雪菜ちゃんの味方でいたいなと思ってはいるんですよ。
さぁ、何をされたのか教えてください」
「えっ、えっ、…え?」
「誠、いい加減にしろ。
雪菜、会計は気にしなくていい。急用なんだろう? 送って行くから出よう」
背中に自然に添えられた手に出口へと誘導される。ビックリしながらmakoさんのほうを見ると、笑って手を振っていた。
ちょっと待ってっ、き、気にしないってこれって無銭飲食になりませんか?!
それに山前院さんから逃げてしまおうと、とっさに急用なんて言っちゃったんです!
それなのに送るって言われても…どこに行くの私?!
陽だまり庵を出てすぐ、山前院さんが私の顔を覗き込んできた。
「雪菜、場所は遠いのか? なら車を回すが」
「あのっ、すみませんっ、あのっ」
「どうした?」
微笑まないでっ! 嘘をついてる私に微笑まないでください~!!
痛む胸を押さえながら(自業自得)、何とかこの場を切り抜けようとした。
「急用といってもあの急いでないのでっ、いや、違うっ、あのっ」
「わかってる、気にしなくていい。家でいいのか? 送って行こう」
大きな手で頭を撫でられる。見上げた顔は優しく微笑んだままで…。
私の急用が嘘だって気づいてるってことだよね…? 何で怒らないんだろう…。
今日会ってからずっとまともに会話もできなくて、終いには嘘までついて帰ろうとしたのに、山前院さんは私を責めない。
罪悪感で俯いた私の背に、また手を添えて歩き出しながら、変わらない声で話しかけてきてくれる。
「今日はいい天気だ、歩いて帰ろう」
「はい…」
「雪菜、本当に気にしなくていい」
「でも…私…」
「雪菜、私は優しい人間ではない。君がそんなに申し訳なさそうにしているなら、それにつけこむことだってできる。そのことに罪悪感もない。
私につけこまれてもいいなら別だが、そうじゃないなら何も気にせずに笑っていなさい」
貴方は十分優しいと思います。
そう思ったけど、声に出せずに飲み込んだ。
今の私は、山前院さんにつけこまれてもいいとはまだ思えないから…。
その代わりに、陽だまり庵の無銭飲食のことを話す。今すぐ戻って会計しなくちゃと言う私に、山前院さんは笑った。
「心配せずとも後で戻って済ませておく」
「じゃあ私の分を渡しておきますね」
鞄からお財布を取り出しながら言った私の言葉に、今度は声を上げて笑い出した山前院さんに、何か変な事を言ったのかと慌てた。
山前院さんはまた私の頭をなでると、私のお財布を鞄に戻させる。
「雪菜、私は君より年上で、社会に出てそれなりの収入もある。
高校生の女の子に払わせるわけにはいかない」
「で、でも奢ってもらうわけにはっ」
「雪菜、君のその考え方は好ましいが、大人の男のプライドも知らなければいけない。
覚えておくといい。
私は今後、私といるときに君に財布を出させることはない」
「今後…」
この話は終わりと歩き始めてしまう横顔をコッソリ見つめながら、『今後』という言葉が頭の中でグルグル回った。
……余談であるが、後日この日のことを思い出し、自分の言動や行動のアホさで、恥ずかしさに悶え死にそうな私に、ある人はこう言った。
『そんなに気にする必要はありませんよ、貴女と一緒にランチを取れただけで見たことがないほどご機嫌でしたから、彼の方は。
あの日は雪菜ちゃんが予定より早めに来店されたでしょう?
これはあの方にお知らせしないと、後がめんど…怖いなとお知らせしたら、どこにいたんだって速さで来店されまして。
貴女に会うのが待ち遠しかったんでしょうね、いや~あの姿、とってもいいものを見させてもらい雪菜ちゃんに感謝しましたよ。
本当は何かプレゼントを用意したかったらしくて、前日に何とか時間を作ろうと数馬をおど…説得したらしいのですが…難しかったらしいですね。
それなら誰かに用意するように言えばいいのに、どうしても自分で選んだ物を渡したかったんですかね。貴方は高校生かと笑えましたが、一応努力はしたと思って、手ぶらで来たことは許して差し上げてください。
どうしても許せなかったら、僕に言ってもらえればそれなりのことをしますので。
え? なんです? 数馬。いえいえ、代わりに贈り物をしたらさすがに命がないので、僕がするのはポチの躾です。
おや? 申し訳ありませんがこれで失礼しますね。逃げたポチを捕獲しなければならないので……。
雪菜ちゃんも覚えておいたほうがいいですよ、逃げたら余計に追われるだけだと…ふふ』