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山前院さんの言ってることがよくわからなかった。
いや、わからないふりをしていたかったんだと思う。
だからってこれはない。なんてアホなんだ。私……
あと後この時のことを思い出すたびにそう自分につっこんだ。
なぜならこの時山前院さんにかえしたのは……
「あ、そうなんですか」
という間抜けな言葉……
間抜けな顔で間抜けたことを言った私を笑うことなく、山前院さんはもう一度尋ねた。
「では、同席してもいいか?
雪菜とランチをとろうと私も早めに来たんだ」
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとう」
微笑みながら正面の席に座る姿をただボーっと見ながらも、想定外のことに私の頭の中は真っ白になってしまった。
冷静になれば、山前院さんの言葉に突っ込まなきゃいけないことが含まれていることに気づいたはずなんだけど……
今まで君って呼んでたのに、なぜいきなり名前なのっ、とか。
私が来てることを知っていて早めに来たみたいだけど、どうしてっ?、とか。
なにより、れ、恋愛を始めるっていうのは気が早いんじゃないですかっ?!(これが一番重要だっ)とか……
何か話さなきゃいけないというのはわかっているのに、何を話せばいいのか……一昨日の夜から何度もやっていたイメージトレーニングの内容よ、どこ行った……
だ、誰か助けて……
救世主は意外と早くやってきた。
山前院さんが席に座り、間抜け面のままボーっとしている私に向かって何か言いかけた時、ランチプレートを2つ持ったmakoさんがやって来たのだ。
「お待たせいたしました。
本日の特製ランチプレートです……おや? どうかしましたか? 雪菜ちゃん。
可愛いですが、なかなか個性的なお顔になっていますよ」
「ふぇあ?!」
「……誠」
「ああ、失礼しました。
皇雅さんの前で可愛いなどと言っては僕の命が危ないですね。
雪菜ちゃん、どうか今のは聞かなかったことにしてください」
片手を胸に当てて辛そうな顔をして見せた後、泣き真似までし始める。
そんなmakoさんを見てると、なんだかフッと力が抜けた。
「そんなに睨まないで下さいよ、邪魔をしに来たわけではないんですから。
当店自慢のランチをお届けしに来ただけではないですか。
ねぇ? 雪菜ちゃん」
「……はい、ありがとうございます」
「そんなお礼なんて必要ありませんよ。これは僕の大事なお仕事ですから」
お礼の意味をきっと気づいているのに、ただ笑って流してくれた。makoさん、ホントにありがとうございました。なんとか頭真っ白状態は脱却しました。
makoさんは山前院さんの前にコーヒーを置くと、何かを彼の耳元で囁いてから仕事に戻っていった。
何を言ったんだろう?
山前院さんが何かを考えているようにジッと目の前のプレートを見てる。
不思議に思ってその顔を見ていると、不意に顔を上げた山前院さんと目が合った。
目をそらすわけにもいかずに、ついへらっと笑ってしまう。
困ったときに笑うのは悪い癖だとわかってるけど、日本人だもん、しょうがない。(これを前に言ったとき、お兄ちゃんとマナちゃんに日本人を言い訳にするなと怒られた)
山前院さんはフッと笑うとフォークを持って私にも促してきた。
「冷めないうちに食べようか」
「は、はい、そうですね。
せっかくの特製ランチなので堪能しないとっ」
フォークをグッと握りしめてプレートを見る。おおっ、今日のもおいしそうっ。
幸せな味のミニドリアに舌鼓を打つ、おいしいよ~っと上機嫌な私の前で、同じように食べている山前院さんが話し始めた。
「食べながらでいいからきいてくれ。
私が今日この場に来たのは、君と恋愛を始めるためだと言っただろう?」
「んぐっ」
幸せドリアがのどにっ、まさかの窒息死の凶器になりそうになってしまったっ。
一気に心臓の鼓動が跳ね上がった私に気づいていないのか、山前院さんの話は止まらない。
「まずは雪菜にも私のことを知ってもらわなければフェアではない。
何か聞きたいことはあるか?」
「いえっ、あのっ、大丈夫ですっ」
「そうか?
……まずはもう一度自己紹介からにするか……」
「お、お名前はもう憶えてます」
「本当に? 私の下の名も?」
「はい、あの、makoさんが皇雅さんと呼んでいますし……」
「そうか、知っているのならばいい。
ではこれからは皇雅と呼んでくれ」
「それはちょっとハードルが高いと言いますか……難しい…です」
正直に無理っと言いたかったけど、なんだか言いづらい空気に負けて遠まわしに断ってみる。
「ハードルが高い? 難しい……何がだ?」
「ええっと、年上の男の人をその…いきなり名前で呼ぶのは…」
「だが誠のことは呼んでいるだろう?」
「makoさんの場合はmakoさんとしか知らないんで、他に呼ぶとしたら店長さんになっちゃいますし……
ずっとmakoさんと呼んでいたんで、今更変えるのもどうかと思いますし……
あ、あのっ、聞きたいことありましたっ」
「そうか、なんだ? 何でもきくといい」
明らかに納得していないという山前院さんの顔を見て、話をそらそうと思って言ってみたんだけど……ビックリするほどいい笑顔を返された。
ど、どうしよう、ききたいこと……ききたいこと……
「えっと、山前院さんはお幾つなんですか?」
「私は今年26になる」
「お、お仕事は何をしてるんですか?」
「山王グループを知っているか? 今はその本社で管理職をしている」
「山王グループ?! 本社?! えっ、すごいエリートさんじゃないですかっ!!」
何でもないように言っているけど、山王グループと言ったら日本が世界に誇る超一流企業のはずだ。
私も詳しいことは知らないけど、その名前は知っている。
去年お兄ちゃんが就職活動しているときの第一希望が山王グループ本社だったのだ。
つい嬉しくなってしまってフォークを握ったまま意味もなく手を上下に振ってしまう。
「実は私のお兄ちゃんが来年からそこで働くんですっ!」
「ああ、誠にきいたよ。春樹君を採用したものは見る目がある」
「さすが山王グループの方ですよねっ! 私お兄ちゃんなら絶対に受かるって思ってたんです!
お兄ちゃんは結果が来るまで五分五分だって言ってましたけど、お兄ちゃんが落ちるわけっ…、あの……すみません」
「なにがだ?」
興奮してついつい声が大きくなってしまったのに気づいて、慌てて小声で誤るけど、山前院さんは不思議そうにしていた。
「いえ、大きな声をだしちゃったんで、…それにお兄ちゃんの話は山前院さんには関係ないですし」
「雪菜の兄なのに私に関係ないわけがない。
雪菜が笑顔を見せてくれるのならどんなことでも話をきこう、たとえ春樹君のことを嬉しそうに話す雪菜を見て、内心彼に妬いてもな。
まぁ、早く私のことをそんな笑顔で話してくれるといいんだが」
「なっにを、言ってるんですかっ」
「そう思っているから口にしたんだが、何か問題でもあったか?」
「も、問題ありますっ」
「どんな?」
「ここはお店の中ですし……そんなことを言われると……私の心臓が持ちません……」
顔が熱い。きっと心臓は過去最高の速さで動いている。
本気なの? からかわれているとは思わなかったけど、…私をからかったところで彼に得することなんてないだろうし。
でも、山前院さんにこんな風に言われる理由がわからない、だって彼とは今週初めて会った。
お兄ちゃんに紹介されるなんてことでもない限り、まともに知り合うこともなかったはずだ。
大人で、誰が見てもかっこいいと思う人で、いい会社で働いている男の人が、なんでまともに話したこともなかった女子高生にこんなこと言うの?
「心臓がもたないというのはよくわからないが……その顔は私を意識し始めた顔だ。
雪菜、もっと私のことを意識しなさい。一人の男として、君の恋の相手として……」
男の人に色気というものを感じたことなんてなかったのに……山前院さんは艶やかに微笑んだまま、そっと私の頬へ手を添えた。
一瞬ビクッと体が揺れる。
そらしたいのにそらせないその視線に囚われたまま、ただ山前院さんの顔を見ていることしかできない。
「私はね、雪菜の笑顔を始めてみた時から君に囚われている。
君のことが好きだ。どうか私と付き合ってほしい」
頭の中で山前院さんの声が回る。
何か言おうと思っても唇が震えるだけで声が出ない。
その時、頬に添えられていた手の親指がそっと私の唇に触れ、そのままその手は離れていった。
何も言えずにそれを見ている私を、さっきまでの顔と違い、見慣れてきた優しい微笑みを浮かべた山前院さんが見つめ返してくる。
「悪かった、私はまた気が急いていたようだ」
「あ…のっ」
「私は本気で君のことを好きだ。それは伝わったか?」
言葉じゃなく頭を上下に動かすことで返事をした。なんでかはよくわからない。でも、山前院さんが本気で私に付き合ってって言ってるとは思う。
「とりあえずはそれでいい。
ああ……少し冷めてしまったな、すまなかった。さぁ、食べなさい」
また頭を上下に振り、握ったままだったフォークでランチを口に入れる。
「おいしいか? ……そうか、ならいい」
口いっぱいにランチを頬張りまたまた頭を振る。
……正直味なんてもうわかりません……だ、誰か助けて~
私の心の叫びに気づいてくれる救世主は、ランチが終わるまで来なかった……