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家に一人でいても落ち着かないから、ちょっと早いけど陽だまり庵に行くことにした。
お店の扉を開けると、中は結構混んでいて、お兄ちゃんを含めた店員さんたちが忙しそうに動き回っている。
真っ先に気づいてくれたのはmakoさんで、驚いた顔をしながら出迎えに来てくれた。
「いらっしゃいませ、雪菜ちゃん。
今日の約束は15時だったと思ったのですが…」
「あっ、はい。
ここで人と会う約束はそうなんですけど、ちょっと暇だったのでランチを食べてお茶でも飲んでようかと思って。
……あの、お兄ちゃんmakoさんにその…、私が来るって言ってたんですか?」
「え? ああ…春樹は僕に何も言っていませんよ。
春樹に聞いていませんか? 今日雪菜ちゃんに紹介するのは僕の知り合いなんですよ」
「そ、そうなんですか……」
makoさんの知り合いなんてきいてないよっ、お兄ちゃんてば実際に会ってみれば素敵な人だって思うからとかいって、ちっともその人のこと教えてくれなかったし……
これから紹介してもらうのがばれているのはなんだか恥ずかしいよ……ん? …makoさんの知り合い?
「ではお席に案内しますね、こちらへどうぞ」
「は、はい」
にっこり微笑むmakoさんに案内してもらったのはお店の一番奥のテーブルだった。
ここは観葉植物で周りを囲ってあって、周りのお客さんからは見えない作りになっているんだけど、今までマナちゃんと来た時に通されたことはなかった。
他にも空いてるテーブルはあるのにどうしてここなんだろう?
私の顔で思ってることが伝わったのか、makoさんがメニューを差し出しながら教えてくれた。
「ふふっ、この席だと周りの目が気にならないでしょ?
まぁそのかわりに、ここで何かあっても周りからはわからないということですけれど」
「?」
「わかりませんか? ふふ……雪菜ちゃんは可愛いですね」
「ええっ!!」
「おや、顔が赤くなってますます可愛いですよ。
では、ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
爽やかに笑いながら去っていくmakoさんの背中をついつい凝視してしまう。
makoさんってあんなこと言う人だったっけ?!
か、可愛いとかビックリしたな……
まだドキドキする心臓を深呼吸で落ち着かせてからメニューを広げる。
陽だまり庵でランチは久しぶりだし、この後のことを一瞬でも忘れて時間をつぶすために早めに来たんだから、ここはいつもより高い特製ランチにしようかな。
1 500円のこれより、いつもマナちゃんとくるときは780円のお財布にやさしいランチにするんだけどね。
うん、気合を入れるためにもこれにしようっ。
店員さんを呼ぶボタンを押すと、今度はお兄ちゃんがやってきた。
「雪菜、随分早く来たんだな。
楽しみで待ちきれなかったか?」
笑っているけど、その顔は面白がっているときの顔だって知っているんだからねっ。
ついつい軽くにらんでしまうのはしょうがないことだろう。
「そんなんじゃないってわかってるくせにっ」
「ははっ、どうせ家にいても落ち着かなくて早めに来たんだろう?
そんなに緊張しなくても大丈夫だって、ホントにいい人なんだ」
「そうだっ、お兄ちゃんその人がmakoさんの知り合いってどうして教えてくれなかったの?!」
「別にそこは関係ないだろう?」
不思議そうな顔をしているけど、お兄ちゃんはわかってないっ!
私は最近『類は友を呼ぶ』という言葉を実感しているんだからっ、makoさんの知り合いということは、もしかしたら類友ということでイケメンという可能性があるではないかっ!
イケメンにはもれなく肉食女子という怖い人たちがついてくるかもしれない。
今週私はイケメンというのは、見るのはいいが知り合いになるのは勘弁だと実感したんだからっ。
不安になったことをすぐ解消しようと、お兄ちゃんの腕をつかみ、否定を願いながら聞いてみた。
「私が今日紹介してもらう人って、イケメンさんではないよね?」
「それは……違うと言ってほしいのか?」
「その返事はイケメンってことだね?! イケメンさんなんだね?!
……私やっぱり帰る……」
「おい?!」
立ち上がった私の肩を押さえつけて座らせるお兄ちゃんの顔は、なんだかとっても焦っているようだ。
けど私だって焦っている。
確かにドタキャンは人としてどうかと思うけど、私はこれ以上イケメンな知り合いはいらないのだ。
今ならまだセーフだろう。お知り合いになる前に逃げなければっ。
「お兄ちゃん、私はイケメンな知り合いはもういらないんだよっ。
お願い、今回はお兄ちゃんから断っておいて」
「顔がいいのが何でダメなんだ?
確かにお前に今日会わせたい人は特別かっこいい人だと思うけど、それよりも…」
「特別かっこいい?!
無理無理、私にはもったいないって、うん、私やっぱり帰るっ!!」
「だから待てって……座りなさい。雪菜」
急にトーンを変えたお兄ちゃんの声に、体が条件反射で固まる。
このトーンはお兄ちゃんが怒る一歩手前なのだ。
ちょっとビクビクしながらお兄ちゃんを見ると、その顔はやっぱり眉間にしわを寄せたお怒りの表情で……
その顔を見た私はおとなしく座った。
「雪菜、いったいどうした?
俺はお前を人を見た目で判断する人間に育てた覚えはないよ。
美形だろうと、醜悪だろうと、大事なのはその中身だ。俺はお前にそう教えてきたし、お前も身をもって知っているはずだろう?」
「はい……」
すぐにそれが私たちの両親と妹のことだとわかった。
見目の整った肉親たちだが、その中身は決して善良な人たちではない。
生まれ持ったもので人を判断してはいけないって、お兄ちゃんにはいつも言われていたのに……
お兄ちゃんやマナちゃんみたいに、人より整った容姿を持っていても、それを嫌がっている人もいるのだ。
会ってもいないうちからイケメンらしいってことで避けるなんてしちゃいけないよね。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「別に俺に謝る必要はない。わかったのならいいんだ。
俺も急に話を進めようとしすぎてた、ごめんな。
ランチ頼んでおくから、届いたらゆっくり食べなさい」
お兄ちゃんは私の頭をなでると仕事に戻っていった。
一人になり、さらに反省する。
なんだろう、前はこんなに美形な人への拒絶感はなかったんだけどなぁ。
最近のバイト中にちくちくある佐藤さん達の地味な嫌がらせがきいてるのかなぁ
そんなに堪えてるとは思わなかったんだけど……
何回目かのため息の後、ふとランチが来るのが遅いな、と思った。
いつもは10分ほど待てば来るけど、今日は日曜だし混んでるのかな?
お兄ちゃんの仕事の邪魔して悪かったなぁ……
あ~あ…と机に突っ伏した瞬間、今週毎日のように聞いた美声が頭上に降ってきた。
「ため息などついてどうした?
どこか体調でも悪いのか?」
ビックリして顔を上げると、そこには心配そうな山前院さんが立っている。
「顔色は悪くないが、これから病院に行くか? ならすぐに連れて行くが」
「あのっ、だ、大丈夫ですっ」
「そうか、ならいい」
そういって微笑む山前院さん。
仕事中のときと違い、山前院さんも今日はお休みなんだろう。黒いシャツに白いパンツで、髪も柔らかく整えているだけだ。
私服姿も素敵なその姿に一瞬見とれてしまう。
「山前院さんも陽だまり庵にランチを食べに来たんですか?」
「まぁ、そうだな」
「私もそうなんですよ」
「そうか。
同席してもいいか?」
「え? あ、でもこの後ここで約束があって、人が来るんです」
約束までだいたい後1時間。
ランチを食べる時間くらいは大丈夫かもしれないけど、もし相手の人も早めに来て、その場に関係ない男の人がいたら失礼だろう。
山前院さんには申し訳ないけど、山前院さんなら他のお客さんだって同席を許すだろうし、しょうがないよね。
断る私に柔らかい微笑みを浮かべたまま、山前院さんは私に爆弾を落としてきた。
「それは心配ない。
今日君を紹介してもらうのは私だ。
私は今日、君と恋愛を始めるために来たんだよ。雪菜」