君に刻み込もう
視点変わります。ご了承ください。
君は今何をしている?
何を見て、何を感じている?
誰といて、誰を思っている?
少しでも私のことを思い出してくれているか?
ああ……一目顔を見るだけでもいい、君に会いたい……
日本での仕事の拠点である山王グループ本社ビルの最上階の部屋で、いつものように書類を片付けていく。
今日の面会者はもういないはず、ならこれを処理すれば少し時間が空くか。
「数馬、この後の予定はどうなっている?」
私の問いに、室内にある机についてパソコンに向き合っていた数馬が顔を上げた。
「この後は19時より桂木商事の創立50周年記念パーティーへの出席をお願いします。
会場への移動の時間を考えますと、後一時間半ほどでここを出発予定となります」
「そうか、ではこれを片付けたら少し出る」
「はい……えっ? しかし本日中に処理していただきたい書類はまだありまして、それに目を通していただく時間を考えますと、外に出る時間は…」
「書類は移動中でもいいだろう」
「しかし……」
「少し誠と用があってな、そう長い時間外すわけではない」
まだしぶる数馬にため息がでる。
何をそんなに難しく考えているのか、戻ってこないと言っているわけではない、仕事はしっかりやっている。
やはりまだ三ヶ月では仕事に余裕は持てないか。
数馬の説得に口を開こうとした時、部屋の扉が開いた。
「まったくポチはいつになったら仕事になれるんでしょうねぇ。
そんなガチガチな頭ではいつまで経っても透馬には敵いませんよ」
「誠」
「誠さん?!」
扉から入ってきたのはいつものように柔和な笑みを浮かべた誠だ。
まぁ、多少いつもより含みのある顔をしているが。
その含みを感じているんだろう、数馬が憮然とした表情で誠を見ている。
「いくら誠さんでもこの部屋に入るならアポイントメントをとってください」
「取りましたよ? もちろん。この部屋の主様からは許可をいただいております」
「えっ」
勢い良く私の方を見る数馬に軽く頷いておく。そういえば数馬に言うのを忘れていたか、まぁ、それは後で謝っておこう。
「では、皇雅さん向かいましょうか?」
「ああ」
立ち上がった私に慌てて数馬も席を立つ。
「ど、どちらに行かれるのですか?」
「雪菜にあってくる」
「雪菜? って、昨日の女子高生ですか?」
「………"雪菜"?」
今数馬は"雪菜"と言ったか?
数馬の口が彼女を呼び捨てにするのは許せない。
雪菜のことをそう呼んでいい男は彼女の家族以外では私だけだ。
つい鋭くなる視線に数馬の顔色が悪くなる。
「え? え? そ、そうですよねっ? 誠さんっ」
「そうですよ、でもポチが呼ぶなら"さん"か"ちゃん"をつけるべきですね」
「……あっ」
目を見開いたまま止まっている数馬に小さく息をつき、上着を持って誠の方へ行く。
慌ててその後をついて来ようとする数馬を振り向き止める。
「数馬は来なくていい」
「な、なぜです?」
「お前が来ると雪菜が怯えるだろう?」
「昨日の本気で言ってたんですか?!
あれはどう見ても皇雅さんに怯えていたじゃないですかっ!」
「何を意味のわからないことを……雪菜が私に怯えるわけがないだろう?
彼女は私の"珠"なんだぞ」
「でも昨日のは間違いなくっ」
「数馬に怯えていましたねぇ」
「あんた絶対面白がってるでしょっ」
「さて、何のことでしょう? ふふっ」
「とにかく数馬は来なくていい、パーティーに間に合うようには戻る。誠、行くぞ」
「はい、ではお留守番お願いしますね数馬君」
まだ何か喚いている数馬をおいて部屋を出た。
まったく、ただでさえ時間がないのに余計な時間を使った。
誠の話では雪菜は今日はバイトの日らしい。
働いている君もきっと魅力的だろう、早く会いたい……
雪菜のバイト先に着き中に入ると、彼女は目を丸くして誠を呼んだ。
できれば私の名前を呼んでほしかったが、彼女は知らないのだからしょうがない。
はやく、はやく私の名をその声で呼んで欲しい……
はやる気持ちに我ながら呆れる。
昨日出会ったばかりの少女にここまで心を乱すとは……
……本当ですね、祖父様。
”珠”とはその存在だけで山前院の者の心をかき乱す。
……それがこんなにも嬉しいとは……
いくら聞かされても想像もできなかったことが、今ならわかりますよ。
誠が言うには雪菜は少し人見知りをするらしい。よく行く喫茶店の店長というだけでも、自分が一緒のほうが雪菜も私と対応しやすいと言われ、誠の案内を承諾したが……
誠と楽しそうに会話を交わす雪菜を見てると、この場を誠に案内させたことを少し後悔した。
私はこんなに狭量な男だったのか……
「そうなんですか。
なんにしますか?」
「僕はブレンドを、皇雅さんはどうしますか?」
雪菜が何を注文するか尋ねてきたが、ざっと目を通しただけでも何を頼めばいいかわからなかった。
それなら彼女の好きな味を知っておきたい。後2日もあれば、紙の上で彼女の今まで歩んできたものを知ることはできる。だが彼女が好きなもの、嫌いなものは、文字だけでは私にはわからないことも、伝わらないことも多いだろう。
少しでも知るチャンスがあればそれを逃してはならない。
「そうだな……
君のお勧めは何かな?」
「え~…と、甘いものがお好きならキャラメルマキアートとか、ショコラフレーバーのものとか人気です。
makoさんの頼まれたブレンドと、エスプレッソも男性には人気かと…」
「君が一番好きなのは?」
「わ、私ですか?」
大きな目を丸くしながら人差し指で自分を指す雪菜。
その愛らしさについ頬が緩んだ。
彼女はそのままの格好でどんどん顔を赤くしていく。
一瞬熱でもあるのかと心配したが、そういえば誠が人見知りだと言っていた。
昨日会ったばかりの私と話すことに少し戸惑っているのだろう。
雪菜は「あ…」や「う…」と声を出した後、今度は自分を指していた手を握りしめた。
「わ、たしはっ、キャラメルマキアートが一番好きですっ」
「そう、ならそれにしよう」
「皇雅さん…それは皇雅さんにはずいぶん甘い飲み物ですけど……」
「かまわない」
「……そうですか。
では雪菜ちゃん、ブレンドとキャラメルマキアートを両方ホットでお願いします。
ああ、サイズはMで」
”キャラメルマキアート”それが雪菜が好きな飲み物か、君は甘い飲み物が好きなんだな。
それなら今度、我が家の女性たちが絶賛していた、山前院の本邸にいる執事が淹れるミルクティーを飲みに来るといい、きっと君の好みにも合うだろう。
「ブレンドとキャラメルマキアートをホットのMサイズですね。
ご一緒にサイドメニューはいかがですか?」
「いただこう」
「何にされますか?」
「君の好きなものを」
また目を見開いて私と誠の顔を交互に見ながら「あ…」やら「う…」と言っている。
だが今度は顔色がどんどん悪くなってきている、いったいどうしたんだ?
「まぁ、気にされずに。
皇雅さんはこのてのお店には入ったことがないので、何をと聞かれてもわからないから雪菜ちゃんの意見をきいているんですよ」
「そう…ですか」
「ええ、そうですよね? 皇雅さん」
「いや、ニューヨークやパリではたまに数馬と行く…」
「ですので雪菜ちゃんのいつも食べているものを出してください。
甘いお菓子で全然かまいませんよ」
甘いお菓子? ああ、そうか。食べ物も甘いことを気にしていたのか。
そんなことは気にせずに君の好きなものを教えてくれればそれでいいのに。
「誠の言うように君の好きなものを教えてくれ」
「では…シュガードーナッツもどうですか…?」
「いただこう」
シュガードーナッツはたしかNYの別邸にいるシェフのものが美味しいと祖母様が言っていたな。
今度日本に呼んで君に食べさせてあげようか……
君が喜んでくれるなら嬉しいのだが……
雪菜の作った飲み物を受け取ると、同じように飲み物のカップとドーナッツの袋を持った誠が「どうせですし、店内でいただいていきましょうか」と、奥のテーブルに着いた。
あまり時間はないがコーヒー一杯分くらいなら平気だろう。
私も席に着き、カップに口をつける。
これが雪菜の好きな味か……こんなに甘いものを口にするのは幼い時以来か……
同じようにカップに口をつけながら誠がこっちを見ている。
「どうした?」
「いえ……確か皇雅さんは甘いものが苦手ではなかったかと」
「そうだな」
「なぜ、わざわざそれを?」
「雪菜が好きだと言ったからだ」
「何も口にされなくてもいいのでは?」
「いや、私は雪菜の好きなものは好きになりたいんだ。
そうすれば彼女と喜びを共有することができるだろう?
もちろん喜びだけじゃない。様々な感情を、私は彼女と同じように感じたい。
……いきなり雪菜に私と同じように考え、感じろというのは酷だろう。だから私のほうから彼女を知り、理解し、近づきたい。共に過ごしていくために」
「…………」
急に黙った誠を不思議に思い顔を見ると、目を見開いたままこっちを見ていた。
誠がこんな間抜けな顔をするのは珍しい、数馬ならよくあるんだが。
「どうした?」
「あっ、し、失礼いたしました。
いえ……彼女は本当に貴方の”珠”なんですね」
「急になんだ? 昨日そう言っただろう?」
「そうですね…、申し訳ありません。
……では僕も本格的に動き始める必要がありますね……」
後半がよく聞こえなかったが、いつものように笑っているところを見ると特に問題はないだろう。
飲み物を口にしながらも視線はついつい雪菜のほうに向いてしまう。
「皇雅さん…、あまり見ていますと彼女が緊張してしまいますよ。
少し視線をそらしてあげてください」
「……そうか」
一生懸命仕事をしている雪菜の邪魔をしてはいけないな……
無理やり視線をそらし窓の外へと向ける。
そのまま彼女のほうを見ないよう気を付けていると、他の店員が誠に話しかけてきた。
どうせなら雪菜が来てくれたらよかったんだがな。
そう思い雪菜のほうを見ると、彼女もこちらを見ていたのか目が合った。
だが、その視線はどうも私の手のほうにも向いているようだ。……手?
私の手にあるのはドーナッツだ。そんなにこれが好きなのか。
ドーナッツを渡したら……君の笑顔が見れるだろうか?
私も誠もカップを空にしたところで誠を促し席を立った。
そのまま雪菜のほうへ向かうと、ケースにまだあるドーナッツを頼む。
少し驚いたように、それでもなんだか嬉しそうにそれを包むと私に渡してくる。
「シュガードーナッツ2つで760円になります」
「ああ」
一度その袋を受け取り財布へ手を伸ばすと、後ろから誠が千円札を差し出してきた。
「これでお願いします」
「誠」
「皇雅さん日本札を持っていらっしゃらないでしょう?」
「だがカードはある」
「こういう場合はカードより現金のほうが好まれますよ」
「……そうか」
「え…と、千円お預かりします」
「はい、お願いします」
私が雪菜にプレゼントしたかったんだが……
ここ2年程日本にいることが少なかったせいか失念していた、現金か。
店を出たら数馬にでも用意するように言うか。
今日はもうしょうがない、小さく息を吐くことで苛立ちを抑え、手の中の袋を彼女に渡す。
それを素直に受け取りながらも、雪菜は不思議そうに私と手の中の袋を交互に見ている。
「これは君に、休憩のときにでも食べなさい」
「えっ、いえっ、もらえませんっ」
「なぜ? 休憩のときに食べられないのなら、家に帰ってからお兄さんと一緒に食べればいい」
「お、お兄ちゃん? 何で知って…って、そうじゃなくてもらう理由がないですっ!」
「理由? 私が君に食べさせたいと思ったからだ。好きなんだろう?」
「ドーナッツは好きですけど、だからってあなたにもらう理由にはならないと思います……」
「なぜ?」
「なぜって……」
困ったように眉根を寄せているが……いったい何がいけないというんだ?
雪菜はドーナッツが食べたかったのではないのか?
さっきジッと私の手の中にあるそれを見ていただろう?
だから私は君にドーナッツを食べさせてあげたいと思っただけだ、そうしたら雪菜が喜ぶ顔が見られるかと……
だが雪菜は困ったような顔しか見せてはくれない。しまいには誠のほうばかりを見ている。
いったい何がいけないんだ……
ドーナッツではなく、その横においてあるマフィンにすればよかったのか?
雪菜に見つめられている誠が私のことをちらちら見ながら口を開いた。
「雪菜ちゃん、皇雅さんはおいしい飲み物とお菓子のお礼をしたいのですよ、深い意味はないですからどうか受け取ってください」
「でも……」
「ドーナッツじゃなければいいのか?
なら何がいい? 好きなものを教えてくれ」
「そういう意味じゃないです……」
「雪菜ちゃん、受け取らなければこの話は終わりませんよ。この方はひきませんから」
誠がそう言うと私が期待した顔ではなく、困ったように眉を下げた状態で袋を受け取った。
……私は何を間違えたんだろうか?
「あの、どうもありがとうございます。え…と」
「私の名前は山前院 皇雅。誠の古い知り合いだ」
「あっ、はい、私は澤木 雪菜です。あの…ありがとうございます、ドーナッツ」
私のしたことはたぶん雪菜には迷惑だったんだろう。
それでも笑顔とはいえなくとも笑みを浮かべながらお礼を言える雪菜。
ああ……やっぱり君は昨日見た笑顔の通りの子だね、優しく人を気遣うことができる。
胸のくすぶりが消えていき、穏やかな気持ちになる。
できれば今の失態を挽回してから帰りたかったが、そろそろタイムアップだ。
これ以上遅れると数馬の指定した時間に間に合わない、私は今日のパーティーにはあまり出席の必要を感じないが、数馬の修行の為にもマイナスにはならない仕事だ。
仕方ないが、これ以上は次の機会に持ち越そう。
「バイトが終われば外は暗いだろう。気を付けて帰りなさい」
「それじゃあ雪菜ちゃん、また陽だまり庵に来てくださいね、バイトお疲れ様です」
店を出るとすぐに近くに待たせてあった車に乗り込み、数馬に電話を掛けた。
電話越しにまださっきのことで何か喚いていたが、とりあえず無視をし、まとまった現金を用意しておくように伝えてさっさときった。
「ポチはまだ何か騒いでるんですか?」
楽しそうに笑っている誠に少々呆れたように言う。
「お前が昔からそうやって数馬をからかってばかりいるから、あれがいつまでもああ子供のようなんだぞ」
「心外ですねぇ、僕はポチのことを可愛がったことはあれど、からかったことなんてないですよ」
「あれでか?」
「自慢ですけど、僕は非常に屈折した愛情表現の持ち主ですからね。皇雅さんには理解してもらえていると思っていたんですけど」
「残念です」と、ちっともそう思っているように思えない表情で繰り返す誠。
まったくしょうがない奴だ……
いや…それを言うなら私もそうか。
落ち着いて考えてみれば、雪菜にしてみれば私は昨日会ったばかりの男。
いきなり好きならと食べ物を渡されたら戸惑うのは当然だ。
私は自分の”珠”を見つけたからと、少し浮かれすぎていたのかもしれない。
焦るな、まずは雪菜が私に持っている警戒心を解き、私のことをその心に刻み込まなければ……
深く、深く……
私以外の男を思う余裕などないくらいに強く、深く、私を君に刻み込もう――
それからゆっくりと、君に私を愛してもらえばいい……