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今まで山田君のことなんて、私から話さなくちゃ我が家の会話に出ることなんてなかったのに。なんでよりによって今日それを聞くの、お兄ちゃん……
もう少し時間がたって、気持ちが落ち着いたら報告しようと思っていたのに……
私は落ちそうになる気持ちを、奥歯をギュッと噛みしめることで踏みとどまり、何でもないようにお兄ちゃんに教えた。
「山田君とは別れたんだ。最近ちょっとうまくいってなかったの。だから彼とサヨナラしました」
根性で、へらっと何時ものように笑うのも忘れない。
ただ、お兄ちゃん歴17年は伊達ではないみたい。私に何か(正確には何がかな?)あったのを感じたんだろう。
私の話を聞いたお兄ちゃんは、眉間の間にクッキリとしたシワを作っていく。
「原因は茜か?」
「違う違う、相性が合わなかったんだよね。しょうがないよ」
「…………茜なんだな」
否定したのに断言された。
お兄ちゃんは深い深いため息をつくと、箸を置いてテーブルを周りこみ……私をギュッと抱きしめてくれた。
「せっかくあの家から離れた高校に入ったのに……まさか茜まであそこに入るとは思わなかったな。漸くお前をあの家から引き離してやれたと思っていたのに……」
苦しそうに言われたお兄ちゃんの言葉で、私は今日あったいろいろな事の我慢が限界になった。
こみ上げてくるものを我慢できなくて……ううん、違う。
我慢しなくていい数少ない腕の中に安心して、私の涙腺は壊れてしまった。
「お、にぃちゃ……茜はな、んで、何で私を構うのっ。わた、しが嫌いなら、お父さんみたいに私を無視すればいっ、いのにっ! 何でいつもっ、じゃ、邪魔するのっ! 何でいつも私のまわ、りの人達を奪っていくのっ?! 私が欲しいも、のをっ、全部持ってるのにっ。全部持ってるのにっ!!」
ワァワァ泣き喚く私を、お兄ちゃんは何も言わずにずっと抱きしめていてくれた。お兄ちゃんの腕が、肩が、時々震える。その震える手で、お兄ちゃんは私を落ち着かせるように頭や背中を撫でてくれた。
お兄ちゃんのぬくもりに私が落ち着いた頃には、夕飯はすっかり冷え切ってしまっていた。
私は温め直すと言ったけど、そのままでいいとお兄ちゃんは冷めたご飯を完食してくれた。
私は泣きすぎたせいか喉を通っていかないので、残りは明日の朝ごはんにしよう。
食器を片付けて、体から出しすぎた水分を補給していると、キッチンにお兄ちゃんが入ってきた。そして私としっかり目を合わせると、こう言われた。
「俺が茜と話す。もう雪菜に構うなと釘を刺す。あいつが素直にいうことを聞くとは思わないが、何もしないよりはいいだろう。……だから、お前はしばらくあいつから逃げておけ。俺に注意された逆恨みが、お前に向くかもしれないから……」
「……うん、わかった。……ごめんね」
私のせいでお兄ちゃんが家族と距離を取ることになったとはいえ、茜はお兄ちゃんに懐いているし、お兄ちゃんにとっても茜は可愛い妹だろう。
そんなことをしたいはずがないのに……
申し訳なくて俯く私の頭に、お兄ちゃんは大きな手を伸ばしてガシガシ揺すった。
お、お兄ちゃん、水分不足の私にはこれはキツイよ。目が回る〜。
「お前は何も気にするな。そうだ、山田君と別れたのなら、俺がいい人を紹介するぞ。茜には絶対邪魔出来ない人だ。今度はその人とゆっくり恋愛すればいい」
「お兄ちゃんまでマナちゃんみたいなこと言わないでよ。私はもう恋愛はいいよ。そのうちそんな気になるかもしれないけど、今はいい」
「そんなことを言わずに一回会ってみろって。こんなチャンス滅多にないって人なんだ。よく言うだろ? チャンスの女神には毛が一本しかない。逃がしたくなきゃ、それを引っこ抜いて捕まえろって」
……マナちゃんに変なことを教えたのはお兄ちゃんだね?
だから、一本しかないなら抜いちゃダメだと思う。可哀想だよ、女神……
でもお兄ちゃんがこんなことを言うのは初めてだ。お兄ちゃんがそんな風に言う素晴らしい人が、はたして私を気に入るかどうかは別として。
その人に会ってみたいな、と単純に思った。
「じゃあ、一回だけ会ってみようかな」
私がそう言うと、お兄ちゃんはとっても嬉しそうに笑う。
この決断を私が後悔するのは、ちょっとだけ先の話だ――