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二章、姉妹

二章、姉妹


           <一>


 夜は人が眠る時間、みーちゃんの世界と周辺諸国には電灯というミョルニルのような電気を溜めて置く装置があるらしいが私、雫ちゃんの治める和国にはそんな便利なものはない。みーちゃんは現代社会には必要なモノだが、そのお蔭で人は安息せずに夜も生きる為に働き続ける。灯りさえなければ、人全てが眠りに就くしかないのにと語っていた。みーちゃんの国の人は雫ちゃんよりも御馬鹿なんだね! そうしようとしないなんて。

 雫ちゃんは微睡に何度も襲われながら隣に眠る雫ちゃんだけの人形を見つめた。

 お人形は雫ちゃんの部屋に来た途端、壁際にあるお人形だけの撮った写真を引っ掻くように剥がして持ち主である雫ちゃんにお説教をしてから、一人で眠れないと嘘を吐いた雫ちゃんの言葉を丸呑みし、今日も同じ布団の中にいる。いつも嬉しさのあまり、舌で優しく人形の右頬を撫で回す。

「みーちゃん、今日の夕食はアイスクリームを食べたんだね」

 撫でた瞬間、舌神経から脳のみーちゃん管理スペースが苺アイスを人形が食べた事を記憶する。

「うにゅう……うぅ」

 雫ちゃんの手を両手でぎゅっと握り締め、雫ちゃんのネグリジェに頭をくっ付けたまま、声を発して吐息が肌に当たった。それが安らぎのような感情を呼び、夢の世界へと落ちてゆく。

 夢の世界、ただ映像を見ているだけだ。

 和国の国旗にも描かれている猫型ブロンズ像の口から水が落ちて、庭の池へと溶け込んでゆく。池は澪の池と呼ばれており、朝露ノ澪が生誕した記念に作られたものだ。その澪、雫ちゃんのお人形が手を振りながら、よちよちとゆっくりした足取りで向かってくる。

「雫ちゃん、ダアトっていうアリアを覚えたよ。これでいつでも雫ちゃんのお怪我治せるね」

 明るい声でそう言うお人形。急にそのお人形が憎たらしくなった。だって、持ち主である雫ちゃんよりも優秀だなんて。自然と指先に力が篭った。

 お仕置きするしかない。

 口をむずむずと、動かしながら発音を出さずにそう言った。

「澪、遊ぼう」

 池の前に佇む兎の耳のように垂れた真っ赤なツインテールのお人形へゆっくりと近づいて、両手でそっとその背中を押した。

「うん、しずくちゃ」

 お人形は最後まで言葉を言う事を許されずに頭から水の中に突っ込み、雫ちゃんの手を掴もうと手を伸ばす。伸ばされた手は空を切るだけで決して望みどおりのモノには触れられない。

 春先の池はまだ、冷たい。その冷たい水に浸かり、重くなってゆく煌びやかなふんわりとしたスカート部位と淡い緑色が特徴的なドレス。それを脱衣する事も許されずに飛べない鳥のように手という羽根をばたつかせた。

 そんなお人形をじっと……見下ろした。

「可愛い、可愛い、お人形。どうか、私の席を取らないでね」

 許せなかった。可愛いだけのお人形でいなければならない妹の澪が雫ちゃんよりもエクスカリバーを扱うに相応しいという周囲の大人達の陰口が、そして、その事を聞いて無邪気に喜ぶお人形。また……陰口を言われ……何時の日か、澪がエクスカリバーを継承するという真実になってゆくのだ。継承するという事は王位を受け継ぐ事をも意味していた。

 可愛いお人形だったが、自分の障害となる存在ならば捨てなければならないよね、雫ちゃん?

 泳げないお人形が必死にもがいているのを尻目に、能面を被ったような表情を浮かべ庭から城の方向へとゆっくりと歩いてゆく。

「うわぁ、うっぷ。うぁ……お……雫ちゃん!」

 水を飲み、それでも私に呼びかけようとするお人形の声が聞こえた。でもね、あなたはもういらないの。バイバイ、人間は雫ちゃんだけでいいの!

 雫ちゃんの夢……あの時、死んでしまっていたらみーちゃんとは会えなかった。また、みーちゃん―お人形を愛撫でる事ができるんだと至福に心、踊る。何もない天井を見つめ、みーちゃんの微かな寝息を耳を澄ませて聞く。

「可愛いお人形さんのおかげだねん。ねぇ、雫ちゃんのみーちゃん!」

 そう部屋中に響く声でみーちゃんの耳に雫ちゃんが聞かせてあげた途端に、みーちゃんの右手がみーちゃんの頭下に敷いていた子猫型の枕を持って、雫ちゃんの顔面を叩いた。

「うるさい! 寝ろよ。子どもは寝る時間だ」

「じゃあん、お休みのキスぅ」

 雫ちゃんはみーちゃんの怒った童顔を熱の篭った視線で凝視し、唇を尖らせてみーちゃんの唇に近づこうとした。

「あるか、ボケ!」

 ツッコミと共にまたしても、可愛らしいお顔をみーちゃんの右手が握り締めた子猫型の枕で殴打される。こんな反応をするみーちゃんならもう、捨てなくても大丈夫だよね? 大丈夫と自問自答しつつ、目を閉じた。


           <二>


 早朝の麗しき太陽光が王の間にあるテラスへと射し込み、玉座に深く腰掛ける雫ちゃんを照らした。雫ちゃんは質素な黒い色のドレスを身に纏い、両腰にはそれぞれ日本刀を帯刀していた。和と洋の融合は雫ちゃんの威厳さを際立たせ、誰もが今の容姿を見れば和国の姫である事を疑わないであろう。

 玉座の横には和国の三毛猫の絵が特徴的な国旗が置かれ、開かれた天井窓から入る風によりはためく。

 睡眠剤入りみたいな心地良さに思わず、目を閉じそのまま……寝ようと。

「うきゅ!」

 寝ようとした雫ちゃんを今日も朝から無表情な背後に控えていた冬架が、背中の余肉を掴み、容赦なく捻った。無言で寝るなという意のようだ。

 冬架は雫ちゃんではなく、目の前にいる朱に言う。

「今朝、帰還した密偵兵からの情報を雫様に報告をお願い致します」

 冬架の声の後、朱は雫ちゃんに会釈した。雫ちゃんは若干、不機嫌そうに深く頷く。 

「グラン国は近く、クレアル収容所の和国の者を処刑する業務日程があるそうです。何でも肉が増えすぎて収容するスペースが、無くなったとか」

 あまりにも残酷なグランの仕打ちに、朱は言葉を言いよどみながらも報告した。

「クレアル収容所か。首都の外れにあるとはいえ、救出に行きたい。個人的な心情としては。だが、雫ちゃん……」

「姫様!」

 幼い子どものように自分をそう呼ぶ雫ちゃんの発言に、朱の横にいた中年の男性は叱咤した。

 その中年男性は和国の軍服である茶色の制服を身につけ、右胸には幾つもの勲章を身に着けていた。それもそのはず、この男性は和国の総理大臣なのだから。勲章の他にもスキンヘッドが眩しい男性の名は圧影集という。

 和国のトップは王。それから姫。そして和国の民から四年に一度の選挙で選ばれる総理大臣と位は続く。つまり、和国の王である朝露ノ真の死去後は王の座は空席であり、その為、一番この国で権力を握っているのは雫ちゃんという事になる。だが、年の功に勝てるはずもなく実質、国を引張っているのは圧影集だ。

「すまん、大臣。気が緩んだ。今は兵力をそちらに向ける余裕はない。先週のステルス型戦闘機による周辺の村壊滅被害の沈静化。それで手一杯だ」

 清ました顔とは裏腹に玉座の肘掛けに肘を掛けながら、苛立ちを募らせて小指を玉座にトントンと鳴らした。わざと鳴らして先ほどの叱咤に対して不服を現す。

 そんな姫様らしくない態度を朱、冬架はまたかと呆れ返るのだろう。不満そうな顔をしている。だが、圧影はそうする事もなく、咳払いをした後に言葉を紡ぐ。

「我々にもっと科学力があれば。これもアリアマターという万能な要素に我々が頼りすぎた弊害なのかもしれませんな」

「ないものに頼る事はできません! いざとなれば、エクスカリバーで和国を私が守護します。エクスカリバーはまだ、正式には継承してはいませんが、真の力でなくとも他を圧倒する戦力を誇ります」

 和国の中でも最強を誇るアリア、エクスカリバーならそれは可能だ。それに異論があるかのように軽蔑の眼差しを威張る雫ちゃんに冬架は向けた。

「エクスカリバーの放出形一発なら撃てます」

 きっちりと真実を述べた冬架。

「冬架、どっちの味方?」

 いつもの愉快な表情を見せながら朱は、冬架に視線を送った。

「失礼」

 冬架の言葉に対して、いいよと手を振る。

「そう願いたいものですな、雫姫。我々はあなたが真にエクスカリバーの後継者であるとは認めておりません。ですが、あなたしか朝露というアリアの才能に溢れた遺伝子を持つ家の人間はいないのです」

 ですが、という否定の言葉を聴いた瞬間、雫ちゃんは素早く両耳を両手で押さえつけてかっと目を見開く。目には見えないはずのものが写っていた。

 赤い髪、左右共に水色のリボンで結わえたツインテール、緑色のドレスを着た姿がまるで子供が無理をして大人びているようだった。そんな小さな少女が雫の目の前に佇んでいた。

 また、私の席を取ろうとするの? と雫ちゃんの目は少女を威圧した。

「まだ、澪姫様を探しているのか?」

 圧影は深い溜息を吐き、さらに言葉を続けた。

「そうですよ、姫様。所詮、あなたには市民の偶像という立場しか勤まりません。アリアの詩い手の真価が問われるのはアリアを臨界点まで高め撃ち込む放出形にあるのではないでしょうか? その点で言えば朝露ノ澪姫様はアリアマターを全身に漲らせ、十一対のアリアを使いこなすという才能を幼い御身で見せていた。捨て置くには勿体無い人材です」

 雫ちゃんと話しているというよりも、まるで朝露ノ澪という人物の凄さを友達に喋るかのように圧影の舌は饒舌に動いた。雫ちゃんは屈辱に唇を噛んだ。

「……の中でも最強なのに……この人達、……の蛙」

 冬架はぼそっと何やら独り言のように呟いた。

「……」

 冬架の独り言に気にせず、幻影である少女―月見 観空を睨み付ける。

 だが、観空が振り向く事はない。

「では、私達はこれで失礼させていただきます」

「では」

 朱と冬架が口々にそう言った後、雫ちゃんに会釈をして、自分達の背の十倍以上はある扉から廊下へと出て行った。それを見届け、会話は圧影の言葉から再開させる。

「ですが、いない者に頼る事はできない。ここは我が和国最強の兵器を行使するというのはどうでしょう。アリアマターを全身に纏う兵器にな」

「大臣! あなたは知って……」

 アリアマターを全身に纏う兵器という圧影が知るはずもない情報を圧影が口にしたと同時に、雫ちゃんが見ていた少女は消失していた。

 肩を震わせながら怒りに目をぎらぎらさせて、圧影を睨んだ。

「この虐殺が日常化した世界において、身元の分からない者を誰が自分達の国に招き入れるものですか? 死者は所詮、死者。気付いている市民もいるかもしれませんが……そんなのはゴシップに変換する事ができるんですよ。新聞という大衆メディアを媒介にして人々の心に植えつけるんですよ」

 圧影はもっともらしい言葉を並べて弁論する余裕も、隙も与えないままに持論を展開した。

「そんな事は雫ちゃんが許しません!」

 圧影の言葉に激昂して玉座を立ち上がる。鋭い瞳が圧影を射貫く。

 自分の人形を自分以外の者に壊されたくない雫ちゃんと朝露ノ澪の力に神の姿さえも見ているらしい圧影、互いの視線がぶつかる。

「あなたにできるとでも? 王位に就いた者ならば、政治に対する否決権を行使する事は可能ですがあなたは姫様。あなた様は王位継承候補なのですよ。それ以前に雫ちゃんか? いつまで妹という存在を引きずっておられるのです。話になりませんな」

 両手を背後に組みながら淡々と圧影は事実を並べてゆく。

「何故……仮にも王家の……」

 震える唇を動かし、言葉に出すがその答えを雫ちゃん自身も知っていた。単純な事だ。

 人には生存本能というモノがある。如何にして自分が生き残るのかというものだ。それを成す為には幾つもの方法がある。単純にいえば、他者を利用するか? 自分で動くか? 賢い者は当然、他者を利用する。圧影の述べている事は人道的には不正解な方法だが、自分が確実に生き残る方法としては正解だ。

 それが故に圧影を初めとした和国の人間は絶対的な力を持つ十一歳の少女を兵器と呼び、その力のみに期待する。それを姉である雫ちゃんは肯定出来ない!

 持ち主の雫ちゃんが肯定できないと、圧影の頬を迷う事無く引っぱたく。

 乾いた音が王の間に響き渡った。

「王家? 死亡と公式に情報が市民に提示された時点でその名前は過去の者になっているのですよ。我々が公式に発表し直さない限りにね。どうします、姫様?」

 動じる事なく、圧影は悪魔のような笑みを浮かべてそう何度も質問した。

 圧影の背後にある和国という国の意図に自分の爪を噛んで苛立つ。和国は観空を兵器だったとしても、朝露ノ澪だったとしても利用する。

「それは、それはなりません。王家としての責務の名の下にロストガーデンを撃たなくてはならなくなる。多くの人間を殺害するだけの、それこそ兵器になる!」

 そう叫ぶ雫ちゃんは姫としての発言というよりも、妹を大切に思う姉としての発言をしちゃったかもしれない。

「甘いですな、姫様。澪姫様に関しては私の方で議会に適当な情報を流しておきましょう。だが、現状ではやはり、月見観空に行ってもらうしかありません。兵器が英雄になる為にもね」

 雫ちゃんに背を向けながら一部の感情も揺れていない言葉を言い放った。

「え、涙?」

 雫ちゃんに指摘されても涙を吹く事無く、圧影は俯きながら足早に歩き出した。

 そういえば、圧影には可愛がっていた親戚の少女、奈式風羽がいた。だからといって年下の少女に殺人という愚かな行為をやらせる事でしか、復讐を果たせないなんて。

「復讐が復讐を呼んでいる悪循環が今の情勢を創っている事に気付かないんですか!」

 その言葉を無視するように圧影は王の間を後にした。

 雫ちゃんは圧影の苛立ちも理解していた。圧影は可愛がっていた奈式風羽という少女を失ってしまったのだから、永遠に。

「もし、人が永遠に生きられる存在ならば誰かを殺すという行為によっては何ももたらされないって気づくのだろうか」

 悲しすぎる世界に、その優しい願いは残酷な願いなのかもしれない。

 

 あんなにも燦々と輝いていた太陽は薄暗い雲に隠れて、空から人の愚行に涙するかのように雨粒が振り堕ちた。地面の上で雨粒たちは生死という牢獄に囚われている人々に、平穏に生きろと言うようにダンスをする。軽やかに、自由に、ステップを踏んで。ターンした。

 雨音に耳を傾けながら、私は自分の授業を受ける姉のはーねぇこと、月見遥と生徒達をみかん箱の踏み台の上から俯瞰する。

 私の生徒達と同じようにはーねぇは木の椅子に深く腰掛けていた。周囲の生徒達も同じように深く椅子に腰掛けて、目線の先にある黒板と教卓から頭だけが辛うじて覗ける状態の私を真剣に見つめる。私達のいた世界とは異なり、私語をする者は僅かだ。

 授業を傍聴する準備が出来ていると頷き、私は言葉を口にする。

「アリアには三つの形態がある。一つは前言霊無しでの早急形。これは威力を犠牲にする代わりにアリアマターを受信する人間の身体の負担を最小限に抑えるという特徴を持つ。兵士達はこれを軸にして戦う」

「ふんふん、分かり易いねん。九九、八十二ぃ」

 視界から消していたのに、やはり見えるものは見えるようだ。ナイフを逆手に持つ持ち方で羽根ペンを握り締め、表紙の中央にみーちゃん観刷日記帳と書かれた手帳に何やら、書いている馬鹿姫が目に入ってしまった。声を発するから、入ってしまった。

 多量生産できる製紙工場という近代的な紙を生産するシステムが和国では存在しない。紙は人の手のみで作られている。当然、高価なモノとなり、白紙を手に出来るのは富裕層の人間しかいない。今現在、行われている私の授業を受けている生徒達の机の上には何も置かれていない。

 授業の内容は全て自分の頭の中に記憶するか、先生に再度、聞きにくるという二通りの方法がある。

 貧民層の人々の中に容易く溶け込んだ雫の生態に感心しながら今回は絡まずに放置しよう。

 雫と同じくらい目立つのは、白紙の紙にインクの中に羽根ペンのペン先を付けて書くはーねぇの猫背だ。

「ここで亜利須とウサギさんのお菓子食い競争を入れて……ウサギさんが亜利須と同じくらい食いしん坊だというイメージを形成と! う~ん、まさか、あたしの小説が国のお札の表紙になるくらい有名なんて感無量」

 小さな声で自画自賛しながら、はーねぇは自分の小説を書き続けていた。良い小説、書いてくださいと何度も頷いた。

 雫がクッキーを食べる音と、はーねぇのリズミカルなペン音の響く教室。

 それを遮るように深瑠が手を上げて喋った。

「早急形しか出来ませんよ、僕たち」

「いや、早急形が出来れば、それでいい。残りの二つの形式はアリアマターを、人間という器の限界まで入れる放出形。これは体力の消費が激しい。いわば、奥の手だ。もう一つは禁断消滅形。今日の抗議では禁断消滅形について知識を増やしてゆく事にしよう」

「禁断消滅形、か」

 私の言ったその単語を繰り返すように平然とした顔で雫は俯いた。平然を装っているだけだ。片手に持っているクッキーが微かに震えるのを私は見た。

「奥の手よりも凄そうな形式なのに何でそんな動揺しているんですか?」

 はーねぇは動揺バレバレの雫を見て雫にそう問う。馬鹿姫では答えられないと察し、私が答えた。

「はーねぇ。発動させて放ったら死ぬからだ。禁断消滅形を撃って死なないのはダアトという生命維持アリアを使える私だけだ。尤もダアトの加護さえも失うロストガーデンを放ったら死ぬ可能性は高い」

 雫が持つクッキーを奪い取りながら私はそう言った。クッキーを一口齧るが、人参の味がした。即座に、雫の手に戻す。戻されたクッキーをご馳走のように雫は食べていた。

「死ぬって、朱さんの話では」

 はーねぇは眉間に皺を寄せて、搾るように言った。

 雫は私にクッキーを手渡そうとするが、断る。私は首を子犬のように激しく、横に振った。

「朱さんは言えなかったんですよ。エクスカリバー並みの破壊力は得られますが、和国の法律では死刑に当たる違反なんです。例外として観空先生、冬架様、朱様、雫様は使用を許可されています」

 はーねぇの隣に座っていた深瑠が、遥の原稿を横目で覗き込みながらそう言った。

 雫は私の足元に跪いて、再びクッキーを私に手渡そうとする。無言で首を横に振った。

「死刑か。だが、死体を死刑にすることは不可能だ。法律違反であろうともし、お前達が多くの敵兵に囲まれたら、迷うことなく禁断消滅形を使え。わかったか、生徒達?」

 そう言った後、私は雫のしつこさに負けて雫の手に持つクッキーを掻っ攫うように手にとって、クッキーを食べる。先程のクッキーは人参の味がしたが、今度はババナの味がした。気にいった私は全部食べようとするが、子犬のようなうるうるした瞳で食べるな、私にくれろと訴える雫に食べかけのクッキーを手渡した。

「はーい!」

 深瑠は私の言葉に理解の意を示し、そう言ったのだろう。

「はーい! 美味しかった!」

 雫は私の唾液の付着したクッキーを食べ、それが美味しかったよという意を示し、両手を挙げながらそう言ったのだろう。奴の生態には詳しい。だがな、雫の両手を掴み握り締めると激怒する。

「馬鹿姫、何しに来たんだ? ここのところ毎日来ているではないか?」

「みーちゃん観察日記を付ける事にしたの!」

 雫の目線を追ってゆくと、みーちゃん観刷日記と書かれたノートが机の上に置かれていた。

 不思議に思った。観刷日記? いや、観察日記だろう。呆れた間違いに怒りを通り越して諦念した眼差しで雫を見つめ、観刷日記と書かれた文字の刷の字に二重線を羽根ペンで入れる。その上に察という字を付け加えた。

 雫に一言言おうかと口にした刹那。何か、この場に存在してはいけない者の気配を感じた。

 威圧、恐怖、絶対的敗北感、邪悪、混沌……ここにいてはいけない……あいつは……だ。そう、あいつは……だ。そんなイメージが頭に駆け巡った。雫の羽根ペンを近くの机に置き、窓の外を指差す。

「セフィ」

 言葉と共に十一対の翼は展開された。絶対的な力を示すように輝き羽ばたく。

 無駄、無意味、覚醒、覚醒、覚醒、自我、破滅……。その脈絡を得ない単語が私とセフィの精神を揺るがす。叫びたい! 二人に灯る声にならない恐怖をアリアに乗せる!

 集中せよ、早急形を放つのにはそれのみ! 私は伝う、セフィに。

「はい、観空。言霊は炎天の鎖、ゲブラー」

 指先から鎖が放たれる。

「やり過ぎよ、観空!」

 行き成りの事態に立ち上がるはーねぇ。

「うわぁ、うわぁ。みーちゃん、ちょ、ちょ!」

 咄嗟に両手で顔だけは守ろうとする雫を通り過ぎて……鎖は外へと一直線に伸びて行かずに生徒達を回避し、窓を豪快に割って進入する水状の槍によって、鎖は相殺された。

 砕け散り、アリアマターの光の礫になってゆくアリア、ゲブラーと何者かのアリアである水の槍。互角かと気を抜いたのを狙うかのように、水の槍の破片は直線的に飛翔し、私の頬を掠めた。

「ホド、だと」

 頬から出る血を右手で抑えながら、それが放たれた方向を凝視した。私の瞳には疑いと未知の恐怖が宿っていた。

 ホドとは私の使用する水の槍を放つアリアで、水圧により斬れない物質はほとんどない。ゲブラーか、マルクトでなければ相殺できないアリア。それが今、撃たれたのだ。

 右手の片を見つめて紅い色を眺め、それが夢でない事を知る。現実という悪夢である事を。

「あれは何? あんなの出来るの……。観空先生と朱様、雫様以外にいるの?」

 生徒達はそんな恐怖に彩られた言葉を口々に否定の言葉を言い、私の背後へと身を隠した。誰一人、立ち向かう等と考えるモノはいない。思考する以前の問題だ。狩人が子兎等に負けないように、これを放った存在は絶対的勝者なのだ。

 教室を明るく保っていた五本の蝋燭の火が風に触れて一斉に消える。

 恐怖は静かに割れた窓からすっと、教室へと光臨した。

「実はいるんですよ。初めまして愚かな人間諸君、あたしは神です」

 人を舐めきった言葉を喋りながら、四十五度腰を曲げた丁寧なお辞儀をした。

 神と名乗る女性は異質そのものだった。紺色のブレザーとスカート。神の背から展開されている十一対の翼―それぞれ白、灰色、黒、青、赤、黄色、緑、橙色、紫、群青色、輝色の翼が私に絶望の言葉を引き出させるのに十分だった。

「十一対の翼……あぁ……あ」

 私と同質の十一対の翼をばたつかせている神なる人物が、ロストガーデンを詠唱可能であるという事実は、私の知性溢れる言葉を喪失させた。恐怖が蛇のように、全身に纏わりつく。

 紺色の制服から見えるへそを隠すように、クロス路に交差した二つの黒いベルト。その二つのベルトが固定するものは二本の金色の鞘。その鞘には剣は収められていなかった。鞘だからと侮ってはいけない。その鞘から絶えず、アリアマターが放出され、神の身体へと消えてゆく。

「エクスカリバーの鞘。有り得ない」

 雫は冬架であるはずのエクスカリバーの鞘を指差して呟いた。

 ロストガーデンとエクスカリバーの鞘を当然のように持った長身の女性は獣のような舌なめずりをした。生徒達一人一人を眺め、私の目の前で神の視線は固定された。

「または朝露ノ遥と呼ばれていますね。我等が神の姫様、朝露ノ澪様と同等の力を使う存在でもある。今日は朝露ノ澪を」

 澪という言葉を口にした瞬間、暗闇で見えない顔が歪んだ気がした。その表情には邪気という言葉に相応しい異常さが秘められている。

 それを感じ取った雫は神に歩み寄ろうとする。私も同じように感じ取ったが、雫の手を掴み止めた。雫の力では万に一つも勝ち目がない。がっちりと掴んだ私の手がそれを物語っている。独りでに震えているのだ。

『神様、私が誰なのかを知ってますか?』

 幼い私自身の声が雫以上の行動を取らせようと怒りの感情を掻き立てさせる。

 凛々しい表情を浮かべて私は雫の手を掴んだまま、神と対峙した。

「神? 頭に雛でも飼っているのか! セフィ」

 アリアを駆使する為にセフィの名を呼ぶが、稲妻によって照らされた神の顔に嘆きの声を上げる。

「はーねぇ……どうして……」

 セフィの声は囁くように呼んだ。

「はーねぇ」

 私も同じ口からその名を呼んだ。

 いつも、常に自分の味方であった神―月見遥と対峙していた。セミロングの赤い髪。そして何にでも興味津々な面影を残す全身から溢れる明るい雰囲気。

 だが、その雰囲気に混じって凄みのような雰囲気が漂っていた。

「嘘、あたし?」

 はーねぇは泣き叫ぶ女子生徒の肩を抱き慰めながら、月見遥、神を睨みつけた。

「今日は妹を貰いに来ました。その力で私達に悲しい運命しか与えなかった世界に復讐しましょう」

 私は理解した。この月見遥は相容れない存在だと!

 この世界から争いを無くしたいという望みを持つ私と、この世界に復讐するという痛みを与えようとする朝露ノ遥は必然的に戦う運命にある。脳裏に運命の鐘が響いた。

「さてと馬鹿は放っておきたいところだが、そういう選択は出来ない。そうだよね、セフィ」

「真実です、観空。あの女性は間違いなく、神という人が死後に意思の強い者だけが到達できる種の一人です」

「神! あんなのが神なわけない! 幻だ! 私は……何の為に。では私の正体は永遠に!」

 セフィが肯定する真実を否定するんだと朝露ノ遥に向かって叫んだ。

 朝露ノ遥はこの対峙こそが悲願であるかのように涙を流す。そして、今の遥のように優しい口調で私のいたずらをそれはいけないと諭す時のように言う。

「先程からあたしは言ってますよ」

 私の手を握り締めながら、雫は言霊を呟く。

 アリアを呟いていた。雫が飛び出さないように、指先に力を込めた。

―全ての主神。雫ちゃんはあなたの心に詩う。

 奉げるべきものは雫ちゃんの根源。

 示す奇跡は貫く雷光。天空の覇者の如く一点を制す。

 雫ちゃんを邪魔する者に裁きを。

 言霊は神々の雷、ミョルニル。―

「随分と耳が遠くなった……よ?」

「みーちゃんに話すな!」

 朝露ノ雫の言葉を掻き消すようにして、詠唱された神々の稲妻は朝露ノ遥が進入してきた窓から一筋の稲妻が迸り、そのまま、背後から貫くこうとする。朝露ノ遥はそれを予想していたように手で払い除けた。払い除けられた稲妻は意思があるように雫の元に帰り、稲妻状の槌を形成した。それを雫はすぐさま、手に取った。

 朝露ノ遥の手にアリアマターの光状で出来たシールドのようなモノが形成されていた事を私は見逃さなかった。私のアリアであるケセドの早急形だと予測した。だから、意図も容易く、稲妻に触れたのだ。

「何故だ」

 自分のアリアをいとも簡単に使われていることに、怪訝な表情を隠すなどという事はできそうにない。

「姉として……なんてわけないよね? 馬鹿姫さん、あなたは妹を」

「やめろぉぉおおおお!」

 挑発するような朝露ノ遥の言葉を遮るように激昂すしながら、雫は高く飛び上がって槌を振りかざす。

 が、朝露ノ遥は一歩、足を動かしただけで無駄な動きの多い雫の打撃を交わした。

「ケテル! コクマー」

 再び、雫が槌を振り回す中、朝露ノ遥はそう言いながら指を鳴らした。

「不完全な前言霊だけで動作するわけない」

 深瑠の言う通りだ。成し得た者はいない。

 朝露ノ遥は不吉な笑みを浮かべ、雫の猛打をひらりとダンスを踊るように回避する。回避された雫の槌による打撃は教室の机や椅子を黒焦げにした。

 教室の生徒達は和国の姫である雫が赤子の手を捻るように弄ばれている事に恐怖を覚え、ある者は廊下へと絶叫しながら飛び出し、ある者は教室の片隅でしゃがみ込み震え、ある者は神の神々しさにメデューサに魅入られた者の如く固まった。

 そんな殺伐とした雰囲気の中で、雫はついに朝露ノ遥の背後を取り、

「もらったぁ! うぎゃぁああ!」

 教室の暗闇の中からそれを待っていたとばかりに雫の身体へと突き刺さった。ケテル……光の剣が右足、右肩、右手に突き刺さり、コクマー―光の弓矢が左足、左肩、左手に突き刺さり、苦痛に顔を歪ませながら雫は、教室の床に転倒する。

「人間が神に触れるなんて出来ると思わないで馬鹿姫さん」

「うぎゃぁああ」

 血を流血させて床の上に倒れている雫を容赦なく、朝露ノ遥は踏みつけた。表情は優しいはーねぇのままで踏みつけた。雫は言葉にならない呻き声を上げながら、私を見て涙を浮かべる。

 私は身体を動かそうとするが急に激しい眩暈に襲われ、ふらつく。

「私が馬鹿姫の妹。朝露ノ澪だというのか? それが私の正体?」

「し、しずくちゃんに手を出さないで!」

 同じ口から流れる疑問、慟哭の声。

「セフィ……私は……しずくちゃんを、馬鹿姫を助け……」

 苦痛に顔を歪ませた。朝露ノ雫という大切な姉を見た瞬間、それは再生される?

 頭に浮かぶのは……庭にある池、小さな二人の少女。一人は不器用で努力家の姉、もう一人は天才肌の妹。いつも怪我ばかりしている姉に妹は、私はこう言った。

『雫ちゃん、ダアトっていうアリアを覚えたよ。これでいつでも雫ちゃんのお怪我治せるね』

 少女の記憶を、セフィ―小さな澪の記憶を還すべく、セフィは私に言う。

「私が私を見つけたからもどるよ、幼い澪を私に返す」

 溶け込んでゆく記憶が私の身体を暖かく包み込む。アリアの紡ぎ方の知識が全て、濁流のように流れ込んでゆく。そして……その果てに満面の笑みを浮かべながら小さな赤い髪のツインテールの少女が私に手を振って口を動かした。

 悪い神様にならないで……さよなら、観空、と。

 頭から頭痛が消え去り、それと同時に全身へとアリアマターの光の礫が集約してゆく。 

「さよなら、みお。しずくちゃん、助けるよ。待っていて」

 床を強く蹴って朝露ノ遥との距離を縮める。それを待ち構える朝露ノ遥は普通の人間を超越した瞬発力 に驚き、反応できずにいる。

「神姫に覚醒した? いや、澪の領域を出ていない。ケテル」

 朝露ノ遥を中心として十二本のケテル、光の剣が空中に浮く。全てのケテル、光の剣が一直線に私へと飛翔した。思い出した私本来の身体能力でも躱せないと、瞬時に判断し、アリアを紡ぐ。

「言霊は木々の守護、ケセド」

 広げた両手にはアリアマターの光粒で形成された盾が現れ、その盾に次々とケテルが突き刺さってゆく。即座に朝露ノ遥は指を鳴らし、盾に突き刺さったケテルが独りでに盾から抜け出し、何度もそれを繰り返す。それは足止めとなって効果を発揮した。

「禁断消滅形か」

 朝露ノ遥は全く動揺を見せていない。

 膝を床に付け、苦悶の悲鳴を上げながらも両手のアリアを形成させ続けた。

「こわれちゃ……う……わたしのおにんぎょう……。だめ……」

 雫の言葉に私は首を動かした。

 ぐったりと床の上に仰向けになっている雫は放心しつつも手を上げようとするが、手と肩に突き刺さった光の剣がそれを許さない。雫の涙で霞んだ瞳は口から血を吐き出している私を捉えた。

「うわぁああああ。言霊は未知なる英知、ダアト……うわぁあああ」

 アリアを支えようと気張る雄たけびに混じって紡がれたアリアは、観空の身体の崩壊を留めた。それでも、口から止め処なく血は流れ続けた。

 ふと、背後から近づく人の気配がある事に気付き、その方向に振り向く。走ってきたはーねぇと目が合うが言葉を交わす事無く、私の横を通り過ぎた。

「はーねぇ!」

 ケテル―光の剣の猛攻により、盾を張るしか選択肢のない私は止めようと叫ぶしかなかった。

 だが、はーねぇは止まらずに乱雑に置かれていた机の上に飛び移り、背後から跳んできた何者かが紡いだケテル―光の剣を両手で受け取り握り締めた。

 朝露ノ遥が私に気を取られているうちに朝露ノ遥の右肩を斬りつけた。ケテルはすっと右肩に入り、はーねぇはケテルを手放す。

「ケテル? 人間、風情が神の剣を使うな」

 明らかに不快感が露骨に篭った朝露ノ遥の視線ははーねぇへと向けられ、朝露ノ遥のケテルが解除された。

 ケテルという障害のなくなった私はケセドを解除し、口に付着した血を前腕で拭き取ってから、雫の所へと走る。

「風羽、僕にもケテルが撃てた」

 走っている最中に深瑠のそんな声を聞いたような気がした。

「あたしがあたしならば、あたしを殺したらあんたは消える。だから攻撃できない」

 はーねぇは未来の自分を指差しながらそう豪語した。

「しずくちゃん! 今、傷を!」

 眉を顰める痛々しい表情を浮かべ、雫の涙を優しく撫でるように拭き取った。

「だめ! それ以上、アリアを使ったら……澪が死んじゃうよ……。それよりも、エクスカリバーと和国を……。きっと、澪の……」

 雫の瞳が強く否定の意思を見せるが、私は首を振った。

「いやだぁあ、いやだぁ、いやだぁよ、しずくちゃん」

 小さな少女のように泣きじゃくり姉の死に繋がるそれを否定する。

『かあさま』

『アリアマターの少ない世界で幸福に暮らすのよ。アリアさえ使わなければ、あなたは神にはならないから。ねっ、あたしの可愛い澪』

 記憶の中から私と同じ髪の色の母との別れ、和国のある世界との別れを思い出し、

「かあ……さまぁ、ごめんなさい。もう、なくすのはいやだぁ。神に例え、近づくのだとしても! 言霊は未知なる英知、ダアト! 禁断消滅形」

 背から具現化された十一対の翼が俯く私と仰向けのまま、教室の天井を虚ろな瞳で眺める雫を包み込み、眩い光を放った。

「あたしと対等に戦えるとでも思うのか? そんな理由で? 傑作だぁ、これは」

 光と光の隙間からケテル―光の剣を卓球のラケットのように身構えるはーねぇと爆笑交じりの声を発する手ぶらの朝露ノ遥が見えた。

 褪せる心とは裏腹に、意識が薄れそうになる。

「何を笑っているの?」

「神になった時点で、神は別の者として世界から認識される。つまり、過去の私を殺しても私は存在し続ける」

 朝露ノ遥は後退しようと右足を床から離したはーねぇの首を両手で握り締めて力を込めた。

「う、うぅうう。うっうわぁあああ」

「はーねぇを放せ!」

 雫の治療が終り、雫の膝に頭を乗せて叫んだ。

「その程度の力を使用したくらいでもう、それ。観空、まだ神として覚醒していないようね。詩衣夏の差し金か? それじゃあ、世界を壊せない」

「うっ、痛ったぁああ」

 朝露ノ遥ははーねぇの首を離し、咽るはーねぇを無視して教室出入り口に作られた椅子と机のバリケード付近まで歩んだ。

「人間、知っているか? 和国を何故、あたしが創ったのかを。あたしの下で世界を滅ぼす逸材が欲しかったからだ。でも、お前達にはガッカリだ。もう、いらない」

 朝露ノ遙は積み上げられた机を素手で殴り、落下してくる無数の机を蹴り上げては蹴り上げ、やり場のない怒りをぶつける。それを生徒達は怯えた瞳で見つめる。

 雫の膝の上に頭を寝かす私は叫び、震える右手は何かを掴むようにして強い途方もない怒りによって上げられた。

「はーねぇ! 頼る者のいない人の気持ちを私達は痛いほど、身に刻んでいるはずです。なのに!」

 朝露ノ遥はその声に振り向く。

「観空、遠い昔の話です。今はあたし達は種が違うのです。人間とは!」

「違う! 言霊は最期の剣、ケテル!」

 私は十一対の翼を展開させ、高く掲げた手に光輝くアリアマター状の剣―ケテルを握る。強い意志を宿したケテルが朝露ノ遥に突き刺さるか否かの刹那、朝露ノ遥の瞳から大粒の涙が零れた。

 私の殺意がすっと、何処かへと溶けてゆく。ケテルは弱い意志によって消滅した。それは月見遥を印象付ける涙だった。私との暮らしの中にあった涙だと私は思い、呆然と立ち尽くした。

 私の瞳には割れた窓から教室へと土足で入るアカが映る。アカはそっと、歩み、朝露ノ遥の右手首を掴まえた。朝露ノ遥が振り向いた時、アカは朝露ノ遥の潤んだ瞳をしばらく見つめる。

「さぁ、あたしと一曲、踊ってもらおうか?」

「踊りたいところだけど、ゲームの準備をしなければいけないから。本当は観空にも手伝ってもらう予定だったんだけど、こんなに弱いのでは……ねぇ」

 朱の手をやんわりと振り払うと真っ直ぐ、雫に膝枕されている私に歩み寄ってゆく。

 雫は守るように私の頭をぎゅっと抱きしめ、目を閉じて俯いていた。

 すっと、雫の横を通り過ぎた恐怖は、朝露ノ遥は突然の嵐が過ぎ去るかのように眩いアリアマターの毒々しい光に包まれて私達の前から姿を消した。

「独り……なのか? 望まない。望まない」 

 私が求めていた事はこんなにも望まぬ事だったのか。私の記憶が肯定する赤い長髪のローブを纏ったいつも笑顔の絶えない女性が母親だと。

「かあさま、私は神でしょうか? それとも……げほっ」

 届いているのかはわからない。だって口の中は血だらけで開く度に、血が噴出しているのだから。こんなに脆いという事は、私は神ではないのだろうか。壮絶な顔で涙を流しながら駆け寄ってくるはーねぇに問う。

「こんなに血が赤いから人間なのでしょうか?」

「観空! 何、言ってんの? ねぇ、ねぇ!」

 はーねぇの言葉から察するに私の言葉は人間の言葉としてしっかりと発音がなされていないようだ。過去に私を突き落とした後先を考えない馬鹿な姉に、今も私の頭に馬鹿みたく鼻水を垂らす姉に問う。

「私はまだ、しずくちゃんの可愛いお人形?」

「しん、しんじゃあいやだぁああん」

 馬鹿な姉の膝枕は居心地が良いが、上から垂れてくる鼻水が髪にべとついて余計だ。目の前が真暗になってきた。私は死ぬのだろうか? 私という存在の何たるかを理解できずにみんなの世界から隔離されたままで死ぬのだろうか! いやだ!

「神様、私は嘘を吐きました。本当は、それが目的ではありません。私は、私は、一人ぼっちでいたくない! その為には、知る必要があるんだ……。私が誰なのか、知ってますか、神様? 私は……そこ……から、根を張り、自分を……咲かせたい……。わたしは……」

 唐突に、意識が途切れた。


           <三>


 私はいつも、孤独だった。孤独が故に自分という小さな世界を作り上げた。ダンボールハウスの奥に置いてある箱には、誰にも覗かれないようにガムテープという粘々した不思議な物質で止めた。その中には月見遥という人間から貰った『なんでも知っている神様』という絵本が入っていた。ゴミ漁りから帰ってきたボロボロのワンピースを身に着けた私はいつものようにそれをダンボールハウスから取り出す。

 そして、夕焼け色にお化粧をした綺麗なお日様の陽が当たる公園の滑り台の天辺にちょこんと座り、ページをゆっくりと捲った。

「神様はお犬さんの無残な死に悲しみました。神様は知っていたのです。このお犬さんが車に轢かれそうになっていた子猫さんに体当たりして、自分が子猫さんの身代わりになった事を。神様は優しい優しいお犬さんを生き返らせる事にしました。お犬さんは元気に野原を駆け回り、今も平和に暮らしています。神様は良い事も、悪い事も何でも知っているのです」

 いつものように朗読をして、最後のページに描かれている金色に輝く神様を見つめて本を閉じ、ビール瓶によって生じた私の切り傷のある両前腕を見つめた。何度も見つめている間に、傷が巻き戻し映像のように塞がってゆく。自分の得体の知れなさに恐怖を感じた。

 私の紅い長髪を揺らしながら風が走る。身を竦めた。それでも私の中にある恐怖という風の恐ろしさだけは、何処かへは行ってくれなかった。

 こんな時に私は見るのだ。絵本の中にある金色に輝く神様を何度も、何度も見るのだ。

「神様なら知ってますよね。もっと頭が良くなって神様の所に行く方法を考えて、私は神様に聞きたいです。私が誰なのかを」

 私の呟きに答える者は誰もいなかった。

 夢見がちな記憶のない私は信じていた、神様とはそういうものだと。

 砂場で遊んでいた二組の同世代の少女達は帰り支度を終えて、それぞれ友達に手を振って自分の家へと帰ってゆく。私は目を細めてそれを見つめた。

 公園で遊んでいた人々が帰ると、そこからは公園全体が私の家になるのだ。夜になると怖い人々が公園に屯する。その人々から身を守る為に、ダンボールハウスの周囲に鉄線を巻き、そこに電流を流す作業をする。それをする為に絵本を脇に抱えてダンボールハウスへと戻ってゆく。

 それが終われば、私は眠りに就き、朝日と共にゴミを漁る。そして、夕日の映える公園で絵本を朗読する。

 これが私の小さな、小さな世界。ささやかだけど、静かな誰にも邪魔されない世界。


           <四>

 

 自分の脳が自分というモノを認識する。それはパソコンが起動し、デスクトップの画面が起動するという段階を踏んだプロセスがあるのではない。急な微睡みという認識から自分がまだ、生きているという事にはっと気がつくのだ。私はそれを感じた後、目を擦りながら寝返りを打とうとするが、何か身体に引っ掛かって両手が金縛りにあったように動けない。足をバタバタと動かそうという命令を脳に伝達させるが動かない。

 あれだけのアリアを使用して代償がない事は考えられない。きっと五体不満足になっているのだろう。冷静に今の状況を私は勝手な推測で理解し、それが真実かもしれないという覚悟を決めて 目を開けた。

 天井に観空、私の様々な写真が貼られている事から雫の部屋だと認識する。

 右手の方に私は首を向ける。右手はちゃんと存在していて、怪獣のような鼾を掻いている雫にぎゅっと両手で掴まれていた。左手の方に首を向ける。左手もちゃんと存在していて穏やかな寝息を立てながら、はーねぇがぎゅっと両手で掴んでいた。その意外でもない光景に安堵の溜息を吐く。

 確認するまでもなく、両足もちゃんと私の身体にくっついていてはーねぇの両足と雫の両足に絡まっていた。

 いつものように水色のリボンが絡まっている右の前腕を見つめ、毎朝の恒例となった日課をする為に静かに口を開く。

「言霊は最期の剣、ケテル」

 すると、一本の輝く剣が私の前腕付近の中空を駆り、前腕を何回も切り裂いた。切り裂く度に赤い血が飛び散り、その血の深い赤い色を凝視して歓喜した。

「まだ、血は赤い。私は人間だ」

 だが、その歓喜も一瞬のものに終わる。体内から淡い光の粒が漏れ出し、前腕の裂けた傷を包み込む。そして、意思を問わずに傷は塞がった。それが私に言うのだ。

 お前は人間じゃない! と。

「うぁうぅうううう。私は何処の仲間に入ればいい」

 声にならない呻き声を上げながら前腕の痛みが消えた事に心を痛める。

「みーちゃん、泣かないで。何が悲しいの?」

「わかんないよぉ、馬鹿しずくちゃん。私は……」

 泣いている私の涙を雫は両手で掬う。言葉を詰まらせてその先が言えない私に困惑しているのか、難しい表情をした雫は助けを乞う為にはーねぇの頭を叩いて起こす。

「痛い! 地震か!」

 そう言うベタな台詞を上げてはーねぇは頭を両手で押さえ、防御した。

「お姉様、みーちゃんが」

 その言葉に従って、はーねぇは眠そうに欠伸しながら私の方を見る。私は咄嗟に目を赤くしながらも頬を膨らませて涙が零れないようにする。はーねぇは私の顔が付くくらいまで近寄った。

「また、一人の時だった頃の夢を見た?」

 違うと首を振る私。それに対して、はーねぇは優しい微笑みを浮かべて私の頬に触れた。

「じゃあ、いつものように不安になったんですね。大丈夫です、あたしがいつも一緒に居てあげるからね」

「はーねぇ、うん」

 いつも一緒に居てあげるというはーねぇの言葉が真実だという事を私はよく知っていた。孤独だった私に初めての仮初の場所を与えてくれたのだから。この人は信じられると、催眠術に掛かったように自然と首を縦に振り、笑顔が溢れてきた。

 それに嫉妬した雫は観空のお腹の上に伸し掛かりながら叫ぶ。

「馬鹿姉じゃないよ、みーちゃん。さぁ、昔のように偉大なる雫ちゃんって呼んで! 偉大なる雫ちゃん! リピート アフター ユー?」

 自信無さ気に英文を言う雫を押しのけて立ち上がった。そして、雫を指差して怒鳴る。

「リピート アフタ ミーだ! 偉大なる馬鹿姫!」

 私の適切な言葉を無視するかのように雫は私を変態の眼差しで見つめる。

 私の癖のない流れるような紅い髪は背中まで伸びていて、その背中の先には雫にとっても、とある人々にとっても理想郷である子猫さんパンツがお姿をお見せになっていた。息を呑みながら歩腹前進の姿勢で恐らく、子猫さんパンツを観る為に雫は絶景ポイントへと向かっているのだろう。

「み、みーちゃんの下着姿、はぁ、はぁ」

「おまけに変態か」

 雫の顔面を蹴り上げようとするが、とんでもない反射神経を持ってして布団のある方向へと蛙のように跳ぶ。それに驚いている私に再度、雫は背後から抱きしめるように飛翔!

「みーちゃん!」

 私の背中を守るようにしてすっと横から出現したはーねぇが、柄にしずくちゃん最強と彫られた卓球のラケットを手にして振り上げた。

「詩乃学園中等部卓球部奥義、ラグナロク!」

 名前負けしたサーブ名と共に雫のぺちゃぱいを強打した。

「うぎゃぁあああ」

 そんな大げさな悲鳴と共に雫は布団に転がり悶えた振りをした。それを見てはーねぇは満足したようにラケットを鞘に収める振りをし、言った。

「ふっ、これが全国の強豪と渡り合った我が詩乃学園中等部の奥義です」

「いや……はーねぇ、詩乃学園卓球部にそんな凄い奥義ありません。はーねぇが、よし、ブラウス装着」

 飾り気のない無地のブラウスに細い腕を通してから、

「ドラゴンスラッシュとか、ゴールデンブレイクとか、果て無き罪の連鎖とか、適当に名前を試合中に奇声を上げていただけでしょう、奇声の遥」

 子猫形の枕の傍に置かれたピンク色のランドセルからジーパンを取り出し、布団に投げ置いた。

「そうとも言うね、観空」

 はーねぇは平穏を装おうが、顔が人参色だ。私は人参には敏感だ。

 雫は私の似顔絵が描かれた箪笥を覗き込みながら興奮した口調で叫ぶ。

「今の。雫ちゃんの和国の国技、卓球の技に全てありますよ!」

「朝露ノ遥、はーねぇ」

 右前腕に水色のリボンを巻きつけながらじっと、はーねぇを見つめて低い声で言った。

「未来のあたしに抗議してね、観空」

 と言いながら、愛想笑いを浮かべた。

「みーちゃん、そのブラウス脱いでこれ、着よう。これ!」

 肩の部分がふんわりと微妙に盛り上がり、スカートの部分には兎の形のフリルが付いた全体的に真っ白な洋服。いわゆるゴスロリ服を雫は私に見えるようにして広げた。

「却下だぁ。何故、ゴスロリ系なんだ。私には似合わない」

 水色のリボンで結んだツインテールのお下げ部分を指で弄びながら、紅い髪の自分には似合わないとそっぽを向いた。

「似合うから」

 雫はそう言いながらゴスロリ系の服を持った両手を微かに動かし、強調した。

「それには同意する」

 同意しないではーねぇ。

「わ、わかりました。着ますよ、着ますよ」

 投げやりな言葉を言い、雫からゴスロリ系の服を引ったくる。


            <五>


 社会という人間の作ったシステムはよくできていて、意図的な綻びさえもその中に隠蔽する事が容易に可能である。そんな事を観空という天才である私は十時間前に痛感した。総理大臣と名乗る禿、いや、圧影という学名の猿が超天才で美麗な私に対して命令口調でクレアル収容所を襲撃して、囚われている民間人を保護しろと。当然、私は姫である朝露ノ澪がそのような場所に赴くかと反論した。そしたらあいつは姫様は死んだのだと言った。どうやら、公にならなければ何と叫ぼうが自分の意のままに操れる兵器として使えると判断したのだろう。

 十時間前の私はそんな感じだった。今の私も……。

 正直、頭にきていた。フリルを両手で掴みながら、暗闇の中にお化けが蠢いて居そうな洞窟内を不機嫌な表情で黒いブーツの踵をわざと歩く度にもう一足のブーツの踵にぶつけながら歩いていた。

 お腹の中に煮えたぎる怒りが程良く、煮詰まってきた。私の頭の遥か上空を飛ぶ黒いコウモリを睨み付けて言う。

「おい、場違いな服装だぞ、しずくちゃん。おかげで奴等に目、つけられているぞ」

「なぁに、雫ちゃんの服の袖を掴んでいるんですか? もしかして怖いんですか?」

 姉であるという事実を完全に忘却の海へと馬鹿天然の力で投げ捨てた雫が、ねちっこい口調で私の前腕を時計回しに小指をグリグリと押しつけながら言った。

 咄嗟に手を離そうとするが年上の力には適わなく、そっぽを向いた。

「そういうお前こそ、いつぞやの時みたいに熊さんパンツを濡らしているだろう?」

 なるべく大きな音が反響するように大声でそう言った。

 雫は激しく首を横に振る。

「濡らしていません。あれは蒸気です」

 雫の言葉から、蒸気機関車が雄大な草原の中、煙を上げて走っているのを連想し、私は笑いを堪えた。そして、前を歩くはーねぇの元へと走ってゆく。

「はぁ、これじゃあ遠足だ。あたしの求めるファンタジーが! 洞窟内には進化という概念を、全ての生物が辿る行程を無視したような恐竜型のモンスター、仮名称ウルトラザウルスがいねぇ」

 はーねぇは肩を落としながらそう私に呟いた。

 遠足も何もクレアル収容所へは私一人が行くはずだった。それを権力という力に屈して、承知していた。それは風羽の事があるからだ。代わりというわけではないが、弔いというわけでもないが、それらが入り交じった何とも不思議な高揚感に包まれて、最終的に承諾したのを私は覚えている。決意を胸にアリアゲートの裏門に来た私を待っていたのが、はーねぇ、雫、冬架、深瑠だった。はーねぇはタンクトップにジーパンとラフな格好で背中にははーねぇの背丈と同等くらいの日本刀を帯刀していた。雫は社交用の赤いドレスに私から以前、誕生日に貰った水色のリボンを両前腕に身につけていた。冬架は白い巫女装束に身を包んでいた。異様な集団に混じって一人だけ、深瑠は長袖で防寒にも優れている蒼代学園の白いブレザーとズボンという容姿。だが、彼らにはあるモノが欠けていた。

 その記憶を手繰り寄せて私ははーねぇにぼそっと、言う。

「さすが、食料は? と私が聞いた時にコンビニで買う。支払いはマナちゃんカードでねっと答えただけの事はありますよ」

「まかせて、小説家というのはね、迫り来る締め切りという名の悪魔と常に対峙しているから。現実逃避っていう奥義を会得する事ができるのよ。天才な観空でも知らなかったでしょう?」

「あ、いや、そ、そうですね」

 馬鹿姫みたいだと思ってしまった私ははーねぇの言葉に微かな動揺を洩らしながらも頷いた。

 歩く度に普通は新しい視野が絶えず更新され、世界は変化に富むがかれこれ二時間、洞窟内を歩いている。私の視線にはまだ、平坦な道と黒一色の世界が広がり、先頭を行く深瑠の持つ松明の灯りだけが鮮やかな朱色を放っていた。その風景に飽き飽きして大きな口を開けて欠伸をする。

 ゆらゆらと眠らせる五円玉のように上下左右に微かな動きを魅せる松明の灯りが、何の前触れもなく停止した。それを持っていた深瑠が私の方を振り向き、情けない声で喚く。

「池があるんですけど、観空先生?」

「とりあえず、私を肩車して池を渡れ、弟子」

 眠い目を擦り、けだるそうに言った。

「はい」

「駄目、甘やかさないの!」

 深瑠が私の元に駆け寄ろうとするがはーねぇの一声が止めた。

「仕方ない。ビナーで渡るから良いか。言霊は天空の覇者、ビナー」

 そう答えた後、十一対の羽根を展開させて、池の向こうまで飛翔した。その飛翔時に身体から放出される黒い光粒は深瑠の松明に照らされて、俯くと池の中に振っている様子を辛うじて確認できた。それを降らせている小さな妖精のような私は天を優雅に駆ける。右へ左へ、遊ぶように、軽やかに。

 そして着地した。

「さてさて、他の凡人とはーねぇはどうやって渡るかな、楽しみ!」

 地面に転がる小石を両足で弄びながら、目を細めて向こう岸の様子を見つめる。

 何やら雫とはーねぇが喋った後に、雫ははーねぇに手を差し出して反射的に雫の手を取った。雫の手の中に雷の網が具現化され、手持ちを確保してから池の中央天井にある犬歯のようなでっぱりに向けて放つ。上空に歪曲を描き、でっぱりへと意志のあるように巻き付いていた。

 雫とはーねぇは地を強く蹴り、中空へと身体を投げ出した。

「はーねぇ、蝙蝠がいますよ」

 私の呟きが届くはずもなく、天井にいる蝙蝠と目が合っているであろうはーねぇは、

「あぁあああああ!」

 こちらにまで、響いてくる麗しき私のお姉様、はーねぇとは思えない男声を上げた。

 遥の顔面へと襲い掛かろうとする蝙蝠を目の前にして、はーねぇと雫は急降下する。

 能天気にも雫は口を尖らせて口笛を吹いていた。私が耳をすませて聞くとみーちゃん愛してるぅと聞こえた。

「私は愛してないぞ」

 背負っていたピンク色のランドセルからパンの耳を出して、頬張る。膨らんだ頬がキュート!で今すぐ抱きしめたいとはーねぇはいつも言うが、ハムスターではないぞ。

 不相応な雫の態度にはーねぇは怒りを募らせ、上空で吼える。

「もっと、スマートに渡れないの!」

「それは無理ですね。馬鹿姫に発想の転換を期待したら駄目」

 ちゃっかりと両腰の剣、エクスカリバーとなっていた冬架が失望よりも深い哀れみに富んだ声を洩らした。

 はーねぇと雫、冬架は地へと足をつけた。壮絶な体験にはーねぇは中腰になって息を整える。

 私は横目でその姿を一瞥し、パンの耳をもう一つ食べようと手を伸ばすが、うーんとしばし悩んで理性が勝ってしまい、先のことを考えてパンの耳をピンク色のランドセルに戻した。

 ただ一人男の子な深瑠が池を隔てた地できょとんと私達を売られてゆく牛の如く、凄まじい瞳で見つめていた。

 パンの耳を十分に食べられなかった欲求を深瑠で果たすか。いわゆる八つ当たり。

「言霊は炎天の鎖、ゲブラー。巻きつけ」

 十一対の翼が一瞬、私の背に出現し、その中の紅い羽根が他とは逸脱し点滅した。指先から鎖が具現化されたと、寸分のズレも生じない頃合で十一対の翼は背から跡形もなく、すっと消滅する。そんな事など構う事無く、私は赤く輝く鎖状の光の集合体を助走をつけて投げた。

 すっと、直線のまま、中空を駆る鎖。

 深瑠の華奢な身体にまるで予定調和であるかのように、鎖は巻きついた。

 鎖の中でジタバタ動く深瑠の心の準備なんぞを待たずに、鎖が縮まるイメージを!

 強固な意思に変換し、自分の意思―アリアへと伝わせてゆく。それは刹那で行われ、深瑠の身体を巻き込んで暴走したロープウェイ並みに急速に縮んでゆく。

 深瑠をこちらに放る事が目的だ。そう、放る事がねと私は無邪気な笑みを浮かべた。

「うりゃあ。弟子の一本釣り!」

 鎖の束縛から放たれ、天高く舞い上がる深瑠を仰ぎ見ながら言った。

「流石、みーちゃん上手い」

 私の無駄も隙間もないアリアの応用力に手放しで賛美を送り、万歳する雫。

「わーぱちぱち」

 それに悪乗りして人の姿に戻った冬架がいつもの人形のように微動しない顔つきでこれから苦痛を味わう深瑠へのささやかな手向けだとばかりに乱雑に拍手した。

「うきゃぁあああ!」

 女の子のような可愛いらしい悲鳴を上げながら落下してゆく深瑠は、身体を丸くして衝撃に備える。そして、深瑠は軟らかな地面に転がり、仰向けに倒れた。

 結果、深瑠の制服は泥で着色される。泥に陵辱された童顔を両手で擦るが、さらに酷い有様になるだけで何ら意味がいない。

「非人道的な……惨い……」

 深瑠はぼそっと人事のように言った。

 深瑠は自分自身の姿を舐めるように見回す。清廉なイメージであった白色のブレザーが今では白と黒く濁ったとの近寄りがたいコントラストを描き、白いプリーツスカートも同様だ。

 眉をしかめて深瑠の有様を凝視していた私は子どもならではの一言を放つ。

「深瑠、汚い。私に触れるな」

 悪臭を放ってそうだからと感情のみの言葉の後、理性で考察した。

「痛いぁ。当初のプランはこんなに痛くなかったのに。観空先生、勝手に変更するんだもの」

 雫は深瑠に私がアニメ柄になったハンカチを貸し与えた。

 固まっている深瑠に何故か、強い近親感を持った。

「みーちゃんの不始末は姉が片付けるのが当然だよね、お姉様ぁ」

 松明にマッチで火を点けながら雫が胸を張ってはーねぇに言った。

「甘いよ、馬鹿姫さん。観空を叱ってあげる事も大切なんですよ」

「さすが、お姉様ですね。愛のムチです。愛のムチ」

 ムチを振るう動作をしながら雫は一人、離れた場所に立ち尽くしている私へと近寄り、私の頬をいつものように、ぷにぃと指で軽く押した。それが挨拶のように。

 私はあえて何の反応もせずに我ここに在らずといった虚ろな表情で、目だけが流し目でそれを認識していた。

 馬鹿姫ではなく、かあさまが一緒に来てくれれば良かった。

「かあさま……かあさま……かあさま」

 枯葉が宙に舞うかのような儚げな声で、私は何度もその単語を咀嚼した。それはかあさまが恋しいからではない。かあさまの告げた自分に残された時間の恐怖から、かあさまと呟くと逃れられそうな気がした。唯一、強く生きていられる精神安定剤のようなモノだ。

 時折、そう呟かなければ、雫はともかくとしてはーねぇに自分の膝ががたがたと震えているのを気付かれてしまう。

 さぁ私、演じろ。仮初の自分、月見観空を!

 私は深く息を吸う。

「馬鹿姫? お前の流行りか? 随分と可愛らしくて憎たらしい遊びだな。私も混ぜろ」

 そう言いながら、雫の頬を指先でぐりぐりと弄んだ。雫にとっては悦楽が向こうから飛んできたのだから私の行為に抵抗しないのだろう。

 さぁ、行こう。かあさま、私は必ず、自分で自分の最期の選択をします。

 そう胸に決意を仕舞い込みながら、私の厳しい眼差しは洞窟の先にあるクレアル収容所の先にあるモノに向けられていた。それが必ず、仮定になるのならば、

 私が誰なのかを知っている?

 私の存在証明は成立する兆しがあるのだろうか。 


             <六>


 神と名乗る存在との出逢いが私、月見観空を澪に変革させた。澪であるからこそ、私は全てを知ってしまった。アリアマターという物質は奇跡を齎すものであり、澪や神のような強力な器を持つ存在にとっては劇薬でもあるという事実を知ってしまったのだ。

 今朝、目覚めなければあの夢の中に、邂逅の中に埋もれてしまった方がどんなに楽だったのだろうと何度も雫の部屋のドアノブに触れては、手を離す。ここから出てゆけば、容赦なく明日という希望のない現実が始まる。それを思い、私は自分の前腕を強く指圧した。

「みーちゃん、早く、早く!」

「はーねぇと雫お姉ちゃん、先に行っちゃうよ? 観空の大好きなパンの耳ぜ~んぶ食べちゃうぞ」

 何も知らない私の姉達がドアをノックして、私が出てくるのを催促した。

 感情がこの場所から留まるように言うが、大人びた理性という同年年代の少女よりも高性能な器官がどんなに悩んでも立ち止まっているだけでは何も変わらないと言った。

 心に蟠りのあるまま、ゆっくりと扉を開く。

 のっそと出てきた私の目の前にアカの端整な顔が目に入った。自分の思惑とは裏腹に、私はアカの身体に抱きつこうとする。その自然さに……

 ああ、かあさまは本当にかあさまなんだと触る。

 アカ、かあさまは受け入れて私を高い高いしてくれた。

「おはよう、観空」

 かあさまはにこりと微笑んで言った。

「おはようございます、アカ……か、かあさまぁ」

「顔、赤いよ。赤ちゃんみたいだね」

「むぅ、私はもう、十一歳です」

「そうね。大人な観空に話があるの、良いかな?」

 無論、肯定の意を必要以上に頷く事で表した。そこには幼い少女の等身大の期待があった。一緒に暮らそうかや、今晩の食事は一緒に食べましょうや、今度出かけましょうか? 何処が良いとか……。だが、そうではない事を私は連れて行かれた場所の雰囲気から察した。

 城の奥にある煌びやかな飾りのなされたダンスホール。

 周囲に様々な宝石を散りばめた豪華なシャンデリア。常にアリアによって具現化された炎が灯され、今からでも白光の灯火の下で優雅に踊れそうだ。だが、今晩は公な晩餐会は開かれないのか、それ以外は意外と何もない。大理石の敷き詰められた床を二人の靴音が空しく響いた。 前を歩いていたかあさまが無理向き、唐突に言う。

「選びなさい。神になって永遠の苦痛を味わい心をいつか、アリアマターに食われ朝露ノ遥のような道を選択するか? 化け物、兵器として生きて体内に内包できるアリアマターを消費して死ぬ道を選択するか? さぁ、さぁ!」

 今にも噛み付かんとばかりに獰猛な視線を私に曝け出した。それは真実を知る者が真実を軽薄なモノと認識している者へのある種の叱咤のように、私に突き刺さる。

 本当は全てを知っているんだろう? そこにお前が望む幸福など存在しない。

 それを意味する言葉を幼い少女らしい激しい首振りで否定し、円らな紅い瞳は迷いなく懇願する。その瞳は幼い子が母に示す防衛本能に似ていた。今は知性などいらない。

「いや……ぁ。私はかあさまと馬鹿姫と、はーねぇと! 一緒に暮らしたい! もう、一人はやーなの! どうしてよ! どうして、かあさまぁ!」

「無理だよ。神に近しい者は孤独という影からは逃れられない。ならなくても、なっても孤独にはなるよ。頭の良い観空ならわかるだろう?」

 撫でるような優しい母の声に涙を見せ抗議する。

「一人は、いやぁ。私が誰なのかもわからずに確定するというのか」

「人はね、観空……曖昧なの。自分という存在認識を確信する事もできずに、世界というシステムの中に組み込まれて朽ち果ててゆく。それが幸せな事でもあるの」

 私の目線に合わせるようにかあさまはしゃがみ込み、じっと見た。

 私の胸の中に苛立ちが生まれ急速に育ってゆく。それはかつてない逆鱗となって叫ばせる。

「澪って呼んで下さい! かあさまぁのくれた名です!」

 慣れない大声に途中、枯れた声になった。それでも叫んだ。

 私の叫びに動じる事無く、平然とかあさまは私の涙を指で拭うと、私の髪を撫でた。

「自分という存在認識を求めるなんてまだ、子どもね、澪? 観空? 兵器? 化け物? 人間? 神姫? 唯一、意識すれば、あなたは一度だけ、その認識を死が訪れるまで確定できる。それを決める為にあなたはここに行きなさい。この後、厚影から命令が下るはずです」

 私の手に紙を置こうとするが、私はそれを手で払った。

 中空に舞った紙は表返しになり、床に落ちる。表返しになった紙にはグラン地下洞窟完成予想図と書かれており、頬を膨らませて怒りを漲らせながらもちらっと、一瞥する。

 そして、瞬時に理解する。これがあの場所へと繋がっている事を。

「クレアル収容所真下へと続いている。風羽、私はどうすればいい。どうすれば」

 ミニチュアのような唇に指を添えて思案する。

「あたしが観空に、神を殺させる為に作り出した洞窟。その数ある中の一つ。各国に存在する」

 目を瞑り、思考する。これを利用すれば、奈式風羽の、友達の無念を晴らせる。いや、晴らしてみせる。だが、神を殺させる為という事は朝露ノ遥と遭遇する可能性を孕んでいた。

 涙で濡れていた幼い瞳に大人びた理性が宿る。

「私がはーねぇを殺す? できないよ、できないよ」

 優しい姉を殺す可能性があるかもしれない。だが、そこへ辿り着かなければ、奈式風羽の死が無駄になる。

 その二種の事柄が私を俯かせた。姉か、友達か?

 私の頬に触れてかあさまは語るように諭す。

「見定めるの。あなたの知性と感性で。はーねぇがそれらを全て育ててくれたんでしょ?」

 流れるように思い出されてゆくはーねぇと親しみを込めた月見遥との日々。

 はーねぇがトナカイの着包みを被り、私がサンタクロースの真っ赤な衣装を着て過ごした二人だけのクリスマス。鬼は外、福は内と豆を二人で巻いた節分。あれ、そう言えば、はーねぇは豆を七つしか食べなかったんだ。まだ、若いのよとか言って。

 自然と溢れてくる笑顔が懐かしく、悲しかった。

 もし、言葉のとおり……朝露ノ遥、はーねぇが世界を壊そうとするならば許容できない。

 だから、出来る限り、澄ました顔つきで言う。

「は、はい」

 肯定とは裏腹に迷った。それは殺す、殺さないではない。全てにおいて自分の手から離れてしまう現実に迷うのだ。彷徨う。それは私という少女の腹の中に掬う癌のようなものだ。

 人生経験が豊富ならば、この掬うモノの正体をいつか、知る事が出来たのだろう。

「なら、信用しなさい。それが証明するあなたの存在認識をね。後方はあたしが守るから」

 そう冷淡に言ってかあさまは踵を返した。

「頭では理解しているのに、このもやもやは何?」

 胸に手を充てて、心臓が早く波打つのを感じた。

 はーねぇを殺すかもしれない。はーねぇを殺したくない。風羽の仇を討ちたい。だが、はーねぇを殺すかもしれない。そもそも、人を殺したくない。殺したのはしょうがなかったんだ。だが、それは罪ではないのか? 罰を受けなければならない。仕方ない。殺したくない。もう、殺したくない。でも、やらなければならない。そうしないと全部が消えちゃう。はーねぇを殺すかもしない!

 頭の中が知恵の輪のようだ。


 



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