~お母さんほど最強の人種はいない
啓斗少年は最近土地神ミヅエの手伝いをしている。とはいってもなんということはない、ただ噂話やら変わったことや気づいたことがないか、彼に話すだけの簡単な仕事だ。
「やっぱりトベの奴の成績が下がったのが一番騒ぎになってるかなー。たまに授業中寝てたり……騒ぐようなことじゃ無いと思うけど今まで優等生だったからさー。違和感バリバリっていうか」
茶菓子にと出された栗の甘露煮を口に入れながら、横目でちらりとミヅエの顔を見る。クラスメイトの卜部は啓斗少年にとっていい友人だった。しかしここ最近は話しかけても上の空。疲れきった目でぼんやりしていたり、ちょっとしたことで怒ることが多くなった。
彼に何があったのか目の前の青年なら知っているのではないかと睨んでいるのだが……相手は涼しい顔で茶をすすっている。
「そう。他には何かないっスか?」
「他には……え~と変なのが一つ。最近異常気象が多いのは妖怪の仕業で、選ばれるとそいつをやっつけるヒーローになれるとかいう、馬鹿丸出しな奴」
「少年意外と毒舌っ」
どうやら土地神様は少年の答えがお気に召したらしい。カラカラとひとしきり笑ったあと、きゅっと目を細めて聞いてきた。
「少年だったらどうする? ヒーローになりたい?」
口元は笑っているが、目は笑っていない。推し量るような目に緊張してズボンで汗をぬぐった。
「まさか。めんどいし、そんな暇ないもん。少年漫画じゃないんだし、ケガとかしたらどうすんの? 何も特別な力なんてないし、もしもらえるなんて言われても怪しくて。副作用とかありそうじゃん」
「おお、現実的な理由」
「最近流行ったアニメでもそういうので騙されるやつあったし。それに……」
お茶で口を湿らせて、息を吸い込むと思い切って相手の目を睨むように見つめた啓斗少年はゆっくりと言葉を続けた。
「僕が居なくなったら、誰が家のご飯つくるの?」
ミヅエが、正解だよ。というように一瞬だけ満足そうな顔を見せた。
「そういや良庵先生はお元気? 最近お会いしてないんスけど」
「あ、うん。元気元気。たまに調子に乗って人間の食べ物たべちゃうのには困ってるけど。秋で脂肪貯めなきゃなのは分かってんだけど、よそでお刺身とか食べちゃうのはちょっとね。いくら猫又って言ってももういい年なんだからさー、消化に悪いもの食べて欲しくないんだよ。せっかくこっちがカロリー計算しても、勝手にお酒とか飲まれたら意味がないっていうか」
話題をそらされたことにほっとして、べらべらと際限なくしゃべってしまう。口に出したとたん家の様子が気になってきた。良庵お腹すいてないかな。そういえばお米炊いてない。洗濯物取り込んできたっけ。
「じゃあ、これは渡さないほうがいいかなー」
気もそぞろになった少年の様子に気づいたのだろう。ちょっと待っててと言うなり青年は奥に引っ込んでしまった。
「いつも悪いっスね~。はい、お礼」
「ありがとうございまーす。おお! 今日はお酒?」
柔らかい紙に包まれた細長い包みを受け取った啓斗少年は嬉しそうだ。
「まあ、中学生に渡すもんじゃ無いのは知ってるけどね。でもまあ君は隠れて飲むような子じゃないし。……料理に使うんスよね?」
「うん! 嬉しいな~。料理酒でも未成年じゃ売ってもらえないことあるんだよね~。」
何に使おうかな~とつぶやきながら軽くビンを揺らす。いつもはできない本格的な料理が出来ることが素直に嬉しい。
「お肉を煮ようかな。お魚を蒸そうかな。ふっくらして美味しくなるんだよね~。アルコールしっかり飛ばせば良庵も食べられるだろうし」
「日本酒だし鶏とか煮たらどうっスか?」
「それいいかも。楽しみだな~。本当にもらっちゃっていいの?」
「いいのいいの。周りがやたらと送ってくるんスよ。蛟なら皆酒好きって思われてるみたいでさー。どうせもらうなら俺甘いものがいいし」
ありがとう、もらっていきます。そう言いながらも、報酬をもらって帰ることにほんの少しの後ろめたさを感じてしまい、一瞬躊躇した。
「ミヅエ様さー」
「何スか?」
「俺に仕事頼んだのって、俺がこの件に深入りしてこないって思ったからだよね?」
「……どうしてそう思うんスか?」
下を向いてしまった少年に
「いやこの前うちに来た時、いきなり変な話題振ってきたでしょ? 何か違和感感じてさ。俺がどんな反応するか見てたんじゃない?」
思い返せばミヅエはあの時も、あからさまでは無いにせよ推し量るような目をしていたように思う。
「それで俺が他人に関心が無さそうだから選んだってことだよね?」
少なくとも少年には、外に気に入られる要素が自分にあるとは思えなかった。だからこそ気になることがあってもこちらからは聞こうとはしない。
「俺って冷たいのかなって」
関わらないこと、専門家に任せること。それは正しくて賢い選択なのかもしれないが、冷たくて利己的なものではないか。そもそも本当に助けようとしてくれているのか確かめもせずに信じたフリをして報酬をもらっている。そう思うと自分がひどく情けないもののような気がしてしまったのだ。
「そうじゃないんスよ」
終始笑顔を浮かべていた土地神は頭を軽く掻きつつ困った表情を浮かべた。
「何つーか、あれだよあれ。うん」
「ボケでも始まったの?」
「そうそう、最近物忘れが激しくて……じゃなくて、自分の手に負えない部分を知ってることと、他人に興味がないのとは違うってこと、ちょっと前に来日してたマザーなんとかさん? の言葉知らない? 世界平和のために何が出来るか」
「知らない。というかそれって本当に最近?」
啓斗少年は呆れた。何しろこの土地神ときたら、話し方が全く家にいる老猫と同じなのだ。どうせ彼の「ちょっと前」も明治以降のことを指すのだろう。
「そうだ、マザーテレサだ。テレサさん。」
啓斗少年そっちのけでひとしきり首をひねっていた土地神だったが、どうやらやっと思い出したらしい。
「『家にお帰りなさい』」
にっこりと笑って続けた。
「『家へ帰ってあなたの家族を愛しなさい』」
結局一番基本となる家庭を大切にすることが大事をなすのに必要なのだと彼は言う。
「俺から言わせてもらえば、最初っから何でもかんでも手を出そうとする奴は放り出すのも早い。信用ならんね。国造りも最初は兎から、手順も足場も無いうちに何かをしようったってそりゃ無理だって」
真面目な分、トベ君にはこの傾向が強いんスよ、と青年は苦笑した。何もかも自力で何とかしようとして行き詰まりを感じているらしい。
「ぶっちゃけた話。トベ君を助けるのは俺には無理。人間の感性持ってないし。トベ君にとって俺は非日常の象徴でしかない。あの子に必要なのは変わらない日常を与えてくれる友人だよ。だから君に話したんだ」
「……そうかな」
心配がプレッシャーになりはしないか。不安に思うばかりで悩む友人の力になれなかった。関わらないのは逃げではないか。そういう思いが啓斗少年にはある。
「ちょっとは役に立ててるかな」
あるいはこれから役に立てる日が来るのだろうか。
「役に立つも何も。何も言わずに見守り、それでいて少しでも情報を得ようとこんなところまで乗り込んでくる。トベ君はいい友達を持ったねえ。だいたいあの両親と気難しい良庵先生のいる家庭を支えてるんだから、対人スキルは俺なんかよりずっと高いよ。啓斗少年はもっと自信持っていいのに」
「ミヅエ様」
「何スか?」
なんとなく救われたような気持ちがするのだけど、ありがとう、そういうのも変な気がして。でもなんと言っていいかわからない。口からこぼれたのは自分でも呆れるような一言だった。
「……この甘露煮美味しい。もらってっていい?」
結局お土産に酒と甘露煮の両方をもらってしまった啓斗少年は、今度この甘露煮で羊羹でも作って持っていこうと考えるのであった。
「……甘いもの好きって言ってたし」
あらゆる大望の最終目的は、幸福な家庭を築き上げることにある。
幸福な家庭はあらゆる事業と努力の目標である。
また、あらゆる欲求がこれに刺激されて実現される。
サミュエル・ジョンソン「カーネギー名言集」より