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掃き溜め


何処からか鼻に纏わりつく、嫌な腐敗臭で俺は目を覚ました。薄汚れた天井、ボロボロの薄い布団、そして異様にうるさい換気扇。また、朝が来た。重い瞼を擦りながら、俺は身体を持ち上げる。そして、破けた隙間から差し込んだ光を頼りに、俺はカーテンを開いた。青白い光が視界いっぱいに広がって、段々とそれに慣れた頃に、薄汚い街の景色が見えてくる。


露出したパイプ、落書きの剥がれかけたコンクリートと脂ぎった鉄の煙突。そこから黙々と上がる煙が、街の天井を覆い尽くしている。ストリートへと目を向けると、ボロボロで立ち並ぶ店の横に、誰が捨てたかも分からない生ゴミが散乱しているのが見えた。その上を歩く誰もが、暗い顔をしている。


この街、セスプール(掃き溜め)はいつもの調子でゴミクズな景観を俺の目に届けてくれる。今日みたいな憂鬱な朝にはピッタリだ。第一、俺は毎日憂鬱だが。


あまりに暗い展望に俺は思わず溜息をつきそうになった。しかしそれを実行するその前に勢いよく扉が開かれ、俺は喉元まで出ていた息をグッと呑み込む。


「おはよう兄さん!今日も最悪な顔だねぇ!」


扉を開いたのは俺の妹だった。こんな街でもポジティブで、それでいてハイテンションな俺のただ一人の家族だ。鼓膜で地震でも起きたってのかくらい声を張り上げながら、後ろで束ねた髪を馬の尻尾みたいに揺らして、俺へと近づいてくる。


「朝からうるせぇなぁ、ユノ。近所迷惑だろうが。」


「兄さん、もう11時だよ。とても朝では無いよっ!」


「へいへい。ここじゃ朝も夜も対して変わんねぇよ。」


上層のエデン(楽園)と下層のセスプール(掃き溜め)。その後者であるこの世界は、一日中上空に見えるのは排気ガスかエデン(楽園)のケツのみだ。太陽も星も月も、本でしか存在を確認できない。セスプール(掃き溜め)においては、朝と夜なんて人が活動の指標にしている単位でしかない。


「そんで、何で俺の部屋に来たんだよ。」


俺はユノに問う。コイツが俺の部屋に押し入ってくるのは、仕事が入った時か甘えたい時だけだ。できれば前者であってほしい。切実に。


「仕事の依頼。残念だったねぇ、私とイチャイチャできなくて。」


「ハナからテメェがしたいだけだろ。」


「にへへ、まぁね。」


イタズラに笑う妹を横目に、俺は胸を撫で下ろす。コイツが甘えたモードに入った時は追い返すのが面倒なんだ。最悪俺の部屋のドアにくっついてグズり始めるから。


「で、仕事っていうのは?」


「その前に諸々準備済ませてきて。現場に向かいながら説明するよ。」


「ん、あいよ。」


言われるがまま、俺は仕事の為の準備をする。顔を洗い、歯を磨き、寝癖を直して、髭を剃る。服を着て、刀を腰に携えて、チェーンソーのバッテリーを開いて、満タンなのを確かめたら背中に背負う。そうして、「狩り」の準備は完了した。


ドアかも分からん薄い木の板を開いて、俺は外に待っている妹と合流する。妹は俺を見るなり「バッチリだね!」と満足げに頷いた。


「仕事の詳細。どんな『蟲飼い』が出たんだ。」


「目的地まで案内しながら説明する。ほら兄さん、私の後ろにしっかりついてくるんだよ?迷子になっちゃダメだからね。」


「俺ぁ、ガキかよ。」


「似たようなもんでしょ。」


この女はベラベラと減らず口を……。そんな悪態を吐きながらも、俺はユノの後を追う。相変わらず汚い景色に目を向けながら、仕事の内容に耳を傾けた。


「依頼内容は、ガービッジ地区に出た一人の『蟲飼い』の駆除。」


『蟲飼い』、それは蟲という存在を体内に飼っている人間のことを指す。正確には脳幹の位置。蟲はそこに寄生し、その代わりに宿主に不思議な力を与える。人々はその力を異能と呼んだ。


「その駆除対象は身体から鱗を生やすらしいよ。おそらく、それが異能だろうね。」


「肉体変化の類か。ま、やりやすいな。」


「そうやって油断してると痛い目みるよ、兄さん。」


「舐めんなよユノ。俺はお前が思ってるより強ぇぞ。」


そう言って、俺は笑って見せた。


「この前に肋骨六本砕かれて、私に直して貰ったのはどこのお兄さんだっけなぁ〜。」


「おまっ!何回その話掘り起こすんだよ!」


「兄さんの反応に味が無くなるまで、かな!」


妹の分際で調子に乗りやがってこの女。今度ゲームする時にボッコボコにしてやる。そうしてジュース一本奢らせてやる。


そんな下らない話をしながら暫く歩いていると、前を進むユノが足を止めた。そうして、左のマンションを見上げて口を開く。


「ついたよ。ここが依頼のあった場所だ。」


至る所にダサい落書きの施された模範的掃き溜めのマンションに目を向けると、上から三番目の階が明らかに異様な雰囲気が漂っているのが分かった。壁に筆を這わせたみたいに、一本の赤い線が出来ているのだ。


「だ、誰か助けてくれぇ!」


その線の進行方向の先、男が身を乗り出して叫んでいた。どこへでもなく助けを求めるその声は、こちらの存在を認識した瞬間に紛れもなく俺たちに対して向けられる。


「お前ら!クリーナーだろ!蟲飼いに襲われてるんだ!早く助けn……」


救いを求める言葉の最中、男の首がスパンと景気よく吹き飛んで、宙を舞った。吹き上がる血の背後から、ヌルりと鱗に身を包んだ生物が顔をだす。遠目からは性別の区別がつかんが、間違いなくアレが蟲飼いだろうことは分かった。


「兄さん、早く行かないと犠牲者増えるよ。」


床に落ちてきてサッカーボールみたいに転がる男の首に指を向けて、ユノは俺にそう告げた。それもそうだ。俺は刀を抜いて、鱗の蟲飼いの元へと走った。


蟲飼いには直ぐに会えた。逃げるでもなく、先程殺した男の首から下を踏みつけて俺を待っていたから。新たらしい獲物が来たと言わんばかりに邪悪な笑みを浮かべて、蟲飼いは言う。


「次はお前が俺の獲物になってくれるのかぁ?」


声の低さ、一人称、口調、背格好。察するに男だな。全身が鱗に覆われている……と言うよりも、肉体そのものがトカゲみたいになっている。等身は人間だし二足歩行もしているが、爪とか頭はまんまトカゲだ。


「んだお前、ホントに人間かよ?」


「人間なんて物と一緒にするなよ下等生物が。俺は蟲飼いだ。」


「発言には気をつけろ。お前は今からその下等生物にぶっ殺されるんだぜトカゲ人間。」


「はっ、好きに喚いてろ。」


俺はこの蟲飼いをトカゲ人間と呼ぶことにした。トカゲ人間が踏み込んで、俺に向かって突進してくる。振り上げられた腕の先には、俺の喉笛を引き裂かんとする爪がギラついている。


俺に爪が届く刹那、その先端に刃を向ける。すると、尖った部分が見事に切断された。それを確認すると同時に一気にトカゲ人間へと距離を詰めて、刀を振るう。すると金属を打ったみたいな手応えと共に、甲高い音を上げて刀が弾かれた。咄嗟に後ろに跳んで距離を取る。


「へへっ、やるじゃねぇか。」


斬られた爪を見て、トカゲ男は笑った。


「お前もなかなか硬ぇな。」


俺も同じように笑みを返してやる。さて、刀ではあの鱗に傷をつけることができない。であるならば……と重い、俺は刀を鞘に収める。


そして、背中のチェーンソーを両手で持った。俺の指紋を認証して、荒々しい音と共に刃が高速回転を始める。俺は大きくその刃を持ち上げた。


「クソ痛ぇだろうが文句は言うなよ。恨むなら、そんな頑丈な異能を手に入れた自分を恨め。」


「武器を替えた程度でこの俺に勝てると思っているのか、人間?」


「やってみればわかる。」


一歩、また一歩と両者が近づいてゆく。そして互いの攻撃の間合いに入った瞬間、周りの音がシンと止んだような錯覚に襲われた。チェーンソーだけが響く空間で、睨み合う。一秒、二秒、三秒……その時、俺たちの間を、通りすがりのカラスが飛び過ぎて、壁にぶつかり羽と血を撒き散らしながら潰れた。


「オラァ!」


俺が動く。大振りの振り下ろし、肩に直撃する。火花が散って、ガリガリと鱗が削られていった。だが鱗の下に攻撃が届くまでに時間がかかる。それを知ってか、トカゲ人間は食い込むチェーンソーに構わず俺の眼球へと鋭い爪を伸ばした。


身体を後ろに思いっきり反ると、鼻の先端をギラつく刃物が掠めてゆく。僅かばかりの俺の血が、鼻を伝った。反応遅れてたら死んでたな。


トカゲ人間の腹を蹴り付けて相手を後退させ、すかさず引き抜いたチェーンソーを再び相手の首筋へと持ってゆく。トカゲ人間は姿勢を低くして回避すると同時に、足払い。俺はジャンプでそれを避けて、空中で鱗に覆われた口へと回し蹴りを食らわした。


「どうしたトカゲ人間。その程度か?」


「ッ……黙れぇ!」


怒号と共に襲いかかる攻撃。怒りに任せたお粗末な動作だ。故に挙動も予想しやすい。バカ正直に真っ直ぐ伸ばされた腕を避け、その細い腕へとチェーンソーを押し当てた。


削られる鱗。咄嗟に逃げようとするトカゲ人間の首へ右腕を回し、グッとこちらへ引き寄せる。


「逃げんなよ。しっかりテメェの腕にお別れを言ってやれ。」


「離せっ!離せよっ!!」


「ん〜、最後の言葉それでいいのか?」


鱗を壊し、やがて高速回転する刃はトカゲ人間の肉へと到達した。男の悲鳴と共に、大量の血が腕から吹き上がる。次の瞬間、千切れた腕がグチャグチャな断面を空に晒しながら吹き飛んだ。


「ガァァァッ!!」


痛みに声を上げる男を離してやると、無くなった腕の断面に手を当ててその場に膝を着く。恨みの籠った二つの目がこちらを強く睨んでいた。トカゲ男が動く。俺は再び武器を構えるが、しかし男の狙いは俺では無かった。


マンションから、男は飛び出す。逃げられる、俺は直感すた。そして、トカゲ人間の後を追い俺がマンションから身を乗り出して下を見ると、着地するトカゲ人間が見えた。


「やっべ……」


俺は急いでマンションの階段を下る。そうして外に出ると、トカゲ人間は思ったより早くに見つかった。


「だから油断するなって言ったじゃん、兄さん。」


妹の背後、その身体を盾にするようにトカゲ人間は刀に折られてなお鋭い爪を妹の首へと突き立てて、俺を見ていた。どうやら人質のつもりらしい。


「お前、逃げなかったのか。蟲飼いのプライドってやつか?」


俺は呆れながら男に近づいてゆく。


「近づくな!お前の妹がどうなってもいいのか!」


その脅しをされても尚、俺は歩みを止めない。


「聞こえてんだろ!止まれ!」


そう言って妹の首が少しだけ傷つけられるのを見て、俺はようやく足を止めた。そして、そこから流れる微かな血を眺めて俺は言う。


「そいつを殺した瞬間、俺はお前を殺すぞ。」


「は……?」


「やってみろって言ってるんだ。お前がそいつの首から手を引き抜くその0コンマ数秒の間に、俺はお前の首を吹っ飛ばす事ができる。」


「その前にお前の大事な妹が死ぬんだぞ!?分かったら黙って俺に従え!」


「今してんのはお前の生死の話だろうが。降参しても死ぬ、そいつを殺しても死ぬ。生きたいなら、そいつを離して今すぐ逃げろ。」


そしたら生きられるかもしれねぇぞ、と俺は笑った。再び、足を動かす。俺が近づいてゆく度に、トカゲ人間の顔から大量の汗が分泌されていた。


「いいのか!本当にぶっ殺すぞ!!」


必死に男はコチラに人質の存在を示している。まぁ、実際ユノが殺されると俺が困るし、人質って選択は間違いじゃない。だが俺は確信していた。コイツにユノは殺せないと。


さっき腕を斬られた時、コイツは逃亡を選んだ。俺に正面から勝てないと感じたから、残った腕で攻撃するのでは無く、確実に勝てるであろう人質という選択を取った。それも、「下等生物」なんて見下していた相手に対してそんな卑怯な戦法を取ったんだ。


俺から完全に逃げる選択をしなかったことからプライドはあるのだろうが、それよりもコイツは生きることに執着している。そんな人間が死ぬか生きるかの選択を突きつけられて、後者を選ばない理由はない。


「クソッ!」


予想通り男は俺の妹から手を離し、背を向けて全力疾走で逃亡する。


「逃がしていいの〜?」


妹は挑発的な顔で、俺にそういった。「そんな訳ねぇだろ」と、俺は返す。しかし、トカゲ人間とは少し距離がある。残念ながら今の俺は銃やらの、遠距離攻撃の類は持っていなかった。


どうしたものか、と周りを見渡す。すると、丁度よさそうなボールが目に入った。先程上の階から落ちてきた、被害者の首だ。俺がその生首をサッカーボールみたいに思い切り蹴ると、その豪速球は見事トカゲ人間の後頭部へと直撃した。突然の衝撃に、トカゲ人間は脚をもつれさせてその場に倒れる。


「おぉ!ナイスシュート!!」


ユノの声援を受けながら、一気にトカゲ人間へと駆け寄った。そして立ち上がろうとする男の背中を強く踏みつけて、首元にチェーンソーを近づける。


「やめっ、辞めてくれ!謝るからっ!」


その命乞いに耳を貸す道理が俺には無い。高速回転の刃を、ゆっくりと相手の首に当てる。火花と轟音が鳴り響いて、ジワジワと鱗が削れていく。


「嫌だっ!死にたくない!!なんでもするからっ!」


その瞬間、視界が一気に赤色に染まる。男から血が吹き出すと同時に、人のものとは思えないような絶叫が辺りを包んだ。


「ギャァァァァァァ!!!!!!」


「悪ぃな、これも仕事だ。」


暫く続く絶叫も、首を半分くらいまで切断したところで聞こえなくなった。もうそろそろ死んだ頃だろうと、俺は一気に残りの肉を切断する。


そしてゴロリと転がったトカゲの頭を持ち上げて、その断面へと手を突っ込むと、まだ生暖かく柔らかい肉の中に、プラスチックみたいな異物の感触を確認した。それを力いっぱい引き抜く。


「お、いたいた。」


そうして俺の手の中に握られていたのは、正六角形の黒いボディに、節目のついた足が一辺に対して一本くっついた奇妙な生き物だった。わしゃわしゃと、脚を不規則に動かしている姿は余りにも気色悪い。


「蟲、ゲットだ。」


ひと仕事を終えた俺は、ただただ満足げにそう呟いた。

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