Lucky?恩返し
「…また、生きてる」
天使はため息を吐いた。と、その下で聞こえる呻き声。
「あ、キラ!また会ったね」
声を発した人物を確認すると、天使は輝くあふれんばかりの笑顔になった。
「あ、の…」
「ん?何?」
無邪気に首を傾げるコウに、希羅は嘆願した。
「…退いて下さい」
「キラごめんなさい!」
腹部、背中、頭、ぶつけた部分と乗られた部分を擦る。
「大丈夫?怪我した?痛い?」
そういいながら蹲る希羅を見つめる瞳は、今にも泣き出しそうだった。
「…いや、大丈夫だよ、気にしないで」
「ほんと?じゃあよかった」
こっちの遣った気も知らずに、すぐに満面の笑みに戻る純真爛漫な彼を希羅は若干恨んだ。
くそぅ、お前の目に負けただけで、ほんとはすっごい痛んだぞ。20階から落ちても平気な様子を見て、勝手に構築されていた“軽そうなイメージ”だったが、ダメージは結構多大だった。
「う、うぅ…」
呻きながら立ち上がって、服についた土を払う。汗をかいていたせいでシャツには泥の染みとなっており、希羅は絶望的な気分になった。その間、コウは暢気にダンボールと縄を回収していた。
「それ、集めてどうすんの」
希羅の声に含まれていた咎める様な響きも気付いていないのだろう、自分の命を奪うところだった物を手に取りながら、コウは希羅の方も見ずに、普通に答える。
「え?また挑戦してみるの」
普通のことを話してる様に、普通じゃないことを。
「…また死ぬの?」
「うん、死ねないだろうけどね」
笑えないことを、笑って。コウは、言う。
退屈が嫌いな希羅も、人と同じが嫌いな希羅も、なぜか、素直に面白い、とは思えなかった。
「でもね、今日はキラに会いたかったんだ!」
重い話題を話していたのに、いきなりコウは弾んだ声を出す。いつの間にか、縄もダンボールもバック|(根元においてあったらしい)に収納されていた。
「…ほんとに展開無視するよね、毎度毎度」
「え?キラ?」
危ない危ない、思わず素が…
「なんでもない…何で?」
「この前のお返ししたかったから!」
久しぶりに見た天使の曇りのない笑顔に、希羅はこの上ない嫌な予感を感じていた。痛くないよ~ってドリル振る歯医者さんの微笑みみたいに。隣で女の子、すごい声で泣いてるのに。キュイーンって、聞くだけで痛いんだよね、アレ。
―――…
が、予想に反し、お返しはいたって普通だった。今日は僕がご馳走するよ、と言って希羅が連れてかれたのは喫茶店。大通りから外れた小路に位置していた其処は、茶を貴重とした落ち着いた内装をしている、4、5個のテーブルが並んだだけの小さな店だった。
その一画に陣取り、私、お金は今日はないよという希羅の念押しに「大丈夫だよ!」といまいち信用できない笑顔で答えたコウは、勝手にオーダーしてしまった。時刻は正午。そろそろ希羅の腹の虫も動き出していた。そんなこんなで、希羅の目の前には美味しそうな湯気のたったピラフが置かれていた。
「僕、これ大好きなの」
運ばれてくるなり、早速美味しそうに頬張るコウにつられて、希羅もスプーンを掴み、口に運んだ。バターの香りがふわりと広がる。
「ね、キラ、美味し?」
「…ん、美味しい」
コウの期待に満ちた瞳に遠慮することなく、希羅は素直に答えていた。嚥下した後口内に残るハーブの香りも、わざとらしくなく、上品に消えていく。
「すごく、美味しいよ」
コウは希羅の一言を聞いて、安心したように顔を綻ばせると、夢中で頬張り始めた。
「うーん、最高っ」
一段とキラキラするような、笑顔を振りまいて、コウが呟く。美味しいものを食べてほっぺたに手を当てるなんて、全世界中で君しかしないと思うよ。希羅は苦笑しつつ、曖昧に合いの手を入れる。
「ほっぺた落ちちゃうよ」
全く、そんな笑顔を見せられたら、女でも男でも落ちちゃうんだろうなあ。何だか悟ったような気分になりつつあったが、希羅はとりあえずピラフに集中することにした。
夢中でピラフを頬張るっているうち、香水の香りが鼻をくすぐり、希羅は顔をあげた。
いつの間にかコウの横に女性が座っていた。切れ長の目に、赤い唇。顔立ちを魅き立たせるようなメイク。目に鮮やかな真っ赤な色のワンピースを着ている。柔らかに巻かれた髪は、ポニーテールに纏められ、前に流されていた。
キレイな女性だった。
「コウちゃん、久しぶり」
長い睫毛を伏せ、その女性はコウの頭をなでた。そして、彼の金髪を細い指先に絡める。その指遣いはまさに…なんというか…官能的、という言葉がぴったりだった。希羅は思わず目を逸した。
「ずっと来てくれなかったじゃない」
「だって、お金なかったんだもの」
髪をいじくる女の人を気にする素振りもなく、コウはピラフを運ぶペースを変えずに答えた。
「全く…。今日だっておごるわよって言ったから来たんでしょ」
「そう」
悪びれずにへへっと笑うコウの頭を軽く小突く。
「ま、もう一人分おごってっていうのも、いいけどさ」
「でしょ、明里さん」
「も、コウちゃんたら、いつもマスターって呼びなさいっていってるじゃない」
「…マスター?!」
思わず声を上げてしまった希羅に、二人の視線が集まる。
「あ、す、すみません」
なにか?とでも言いたげにマスターに首を傾げられ、慌てて謝る。
それにしても、落ち着いたこの店には不必要なくらいな色気を持ってるんだな、と希羅は思った。
「もう、お友達だっていうから了承したのに…」
はぁ、と艶やかに息を吐くと、コウの頬をつつく。
「コウちゃん、いつの間に彼女なんて作っちゃったのよ、もう」
「へ?」
いつの間にか、希羅はマスターに睨まれていた。