UnLucky?集られ
彼の肩まで伸びた髪は夕陽に照らされ、キラキラと輝いていた。栗色の大きい目、すっと通った鼻筋に、ピンク色の唇。その整った顔立ちは、カッコいいというより、希羅も思わず見とれてしまう程、女性的な美しさを持っていた。だが、なぜか希羅はその人が“彼”、なのだと分かった。
長い睫毛も金色で、彼の金髪は地毛なのだろうと確信させられる。背丈は160cm程だろうか。のっぽな希羅よりも少しだけ小さい。ジーンズに、水色と白の縞模様のTシャツを着ている。透き通るとまではいかなくても、十分に白いその肌は、街路樹の枝や植木にやられたのか、所々赤く擦れていた。
「……あの」
「ん?」
「刺さってます」
自分でも知らないまま、勝手に口が動いていた。
「頭に」
空から落ちてきた人に教えてあげた。髪の毛に枝が絡まっていることを。
指摘され、彼は豊かな金髪をもしゃもしゃと掻き回す。手がカールしている髪を掻く度に、金色が煌めく。
「うわ、ほんとだ、刺さってんね」
ようやく発見された枝は、あっさり除去された。
「ありがとう」
自然な会話。流暢な受け答え。穏やかに微笑む彼の顔からは、非日常などなにも感じられない。
「い、いいえ……」
ただ、さっきの登場シーンの違和感は全く無視されていた。
「そ、それじゃあ、また」
触らぬ神に祟りなし。それならばと、希羅は流れにのってそそくさと帰ろうとする。
しばらくは彼について想像することで退屈を紛らわせるかもしれない。希羅が期待するのはその程度だ。飽きっぽく、人と好みが合わない希羅ですら、空から落ちてきた人と交流を持ちたいと思うほど、一般人のコースを外れてはいない。
「あ、ね、待って」
だが、彼の横を通り過ぎようとした時、希羅は止まるしかなかった。
自分の腕をしっかりと掴む手。その手を辿ると、栗色の瞳がじっと希羅を見つめていた。
「あ、の…なんですか?」
恐る恐る尋ねると、彼は子犬張りのまん丸く潤んだ目で希羅を見つめ、
「お腹、空いた…」
「…はあ」
間の抜けた返事も介さず、彼はちょっと俯いた。するとキラキラしていた瞳に影が出来、哀しげに蔭る。希羅の胸は締め付けられた。
「でも…お金、ないんだ」
腕がぎゅっと握り締められる。
「お願い……ご飯食べさせて」
涙の溜まった栗色の瞳が切々と訴えかけてきていた。
断ったら人間じゃない。空から降って来て落ちて、でも生きてるこの人が例え人間じゃなくても、これを見捨てたら私が人外になってしまう!
…しかし一転、彼の天使のようにはにかんだ顔を見ながら、希羅はどんな貢がせ家の女の子でもこんなに完璧に甘えられないのではないかと、とんでもない悪女に引っ掛かったような気もしていたのだった。
「ファミレス、ファミレス」とはしゃぐ彼の顔には勿論、完璧なエクボがきっかり二つ並んでいた。
「よく食べますね…」
脳内での、持ち合わせている全財産の計算結果に、少し危機感を覚えて希羅は口を開いた。
「うん、美味しいね!」
彼は口いっぱいのスパゲッティを咀嚼しながら笑顔で頷く。
「…もうお腹いっぱいになりましたか?」
「僕、ファミレス大好きなんだ」
希羅は噛み合わない会話にため息をついた。店に着くまで、着いてからもこの数十分間、ずっとこの調子だった。
「……あの、そろそろお名前だけでも教えてもらっていい?」
「僕の名前?」
彼はきょとんと目を丸くして手を止めた。
「そう…一応、ご飯奢ってる訳だし」
希羅は遠慮がちに彼の唇の数センチ前で止まっているフォークを指差す。
「そっかそっか、気づかなくてごめんね!じゃあちょっと待って!」
彼は一旦フォークを皿に置き、水を一口飲んで、紙ナプキンで口を拭うと、両手をきちんと膝の上に乗せた。
「自己紹介はきちんとしないとね」
彼は、これだってちゃんと教育は受けてます、と言いつつニコリと笑いかけて来た。希羅は反射的に、ろくな教育じゃないだろうなと言いたくなる衝動を抑えた。
「僕の名前は前田 コウ。幸せって書いてコウって読むの。」
「コウ?」
「でも、僕あんまり好きじゃないんだこの名前。」
「…どうして?」
「幸せすぎるんだ、僕。」
希羅はやっぱりこの子は相当に甘やかされて来たか、変人に育て上げられたのかのどちらかなのだろうという確信を持った。
「僕、生まれてから不幸せ、不運に出会った事がないの。」
「…ずーっと幸運に恵まれてたの?」
「そう!」
「え…でも、でもさ」
触れてはいけないのかな、とは思っていた話題。しかしあまりにさっきの行動と話す内に見えてくる性格がちぐはぐで、希羅は思わず聞いてしまった。
「さっき、君、ビルから飛び降りなかったっけ…?」
「うん」
予想通りというか、あっけらかんと返事する前田幸。
「…幸せなのに、なぜ死のうとしたの?」
「幸せだから」
希羅にはこの不思議な男の子の気持ちや意志が全く見えなかった。単純そうで、頭も弱そうで、見切れそう。
「…だから?」
「だって、人間の一生には、幸せと不幸せ、どっちも同じだけあるって言うじゃん?こんなに幸運続きなら、僕どれだけ後で不運に出くわすんだろうって、怖くなるの」
なのに、でも型にはまってる今まで付き合ってきた人間とは違う、絶対的に違う。単に思考が間違ってるだけかもしれないが。
「…なるほど」
「だから死のうとするんだけど…毎回運がよくて死ねないの」
「はあ…」
希羅は悪循環、という言葉を即座にイメージした。
「うああ!」いきなりコウがテーブルに突っ伏した。
「ど、どうしたの?」
うつ伏せのままコウは話し出す。
「僕、不幸が怖くて死のうとして、でも死ねないから幸運を無駄に使ってるんだよね」
「…そ、そうですね」
「僕、こんなことしてると一気にいっぱい不幸来るのかなあ」
「どうだろう…」なんとも言えずに希羅は曖昧に答える。
「あああ!」また叫んでコウは顔だけ持ち上げた。その瞳にはお約束のように涙が溜まっている。
「僕、辛くて痛くて苦しい死に方で全部の代償払うのかなあ」
「そ、そんなことないよ…きっといい死に方…というか、不幸なんて来ないよ」
「…そう?」
「う、うん」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
…だってキミが不幸せになったら、誰かしらが絶対助けてくれるよ、神様だってキミに惚れてるんじゃないの?とは希羅には言えなかった。
「じゃあさ、あ!…キミの名前は?」
「…希羅。朝木、希羅」
「キラ!いい名前!キレイだね」
思い出したようにコウが尋ねられ、希羅は若干不満だったが、純粋に感動され満更でもなかった。希羅が少し悦に浸っていると、コウはいいこと思いついた!とでも言うように、瞳をきらりと光らせた。
「…じゃあキラ!僕と一緒にアイス食べよう!」
「え?!どうやったらそうなるの?!」
「だって僕アイス好きだもん」
「だからなんでそれが…」
「それから、キラも好きだから!」
希羅の心臓が飛び上がった。そして、頭の中から、目の前の純粋な瞳以外のことは飛んでいってしまった。退屈な日常や、学校の憂鬱、自分への諦め、財政ピンチも、全て。
「だから、好きな人と好きな物食べたいの」
コウの瞳は、これ以上いい考えはないだろうという自信や確信で輝いていた。
目の前で美味しそうにチョコレートアイスを頬張るコウを見ながら、希羅は、何かとても厄介なものと知り合ってしまったような気がしていた。