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第六話 竹中半兵衛

 ご愛読ありがとうございます。第六話のタイトルは『竹中半兵衛』。


 羽柴秀吉を支える『二兵衛』と呼ばれた天才軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛。二人が言葉を交わす最後のひと時を描きます。

 死期を悟る半兵衛が、官兵衛に託した「呪い」とも「希望」とも取れる遺言とは。

 後の官兵衛の運命を決定づける、静かなる劇場のシーンをどうぞお楽しみください。

 出発前、官兵衛にもう一人、挨拶をしておかなければならない男がいた。羽柴軍での先輩軍師、竹中半兵衛(たけなかはんべえ)である。


 竹中半兵衛も歴史上『稀代(きだい)の軍師』として知られている。十五年ほど前に(さかのぼる)るが、自身の主君であった斎藤龍興(さいとうたつおき)の難攻不落と言われた稲葉山(いなばやま)城をわずか二十名足らずの部下と共に、わずか一日で占拠したのである。

 理由はなんと主君、龍興が酒色に溺れ、政治を顧みなかったことへの『諫言(かんげん)』という驚きの理由である。決して野望のためではないところが竹中半兵衛なのである。

 噂を聞いた信長のヘッドハンティングも断り、半年ほど占拠を続けた後、その城を主君に返してやったという。


 その後秀吉の熱烈な説得により秀吉配下となった。信長の説得には応じないが『人たらし』の秀吉に魅了され、結果的に賛同したところが竹中半兵衛らしい。後輩の軍師になる官兵衛に対しては同志として、または後輩として可愛がり、出来るだけの事はしているが、このところ病の進行が進み、それが表面化してきていた。


 官兵衛は挨拶と見舞いのため半兵衛を訪れた。

 

 陣の喧騒から少し離れた、林の影に建つ一軒の古びた民家。秋の終わりの冷ややかな風が、枯れ葉をカサカサと鳴らしながら通り抜けていく。

 

 部屋に入った瞬間、線香の匂いと血の混じった匂いを官兵衛は感じた。行灯(あんどん)の心細い火影が、半兵衛の青白い肌を透かすように照らしている。

 一礼をした後、半兵衛を見た瞬間、吐血(とけつ)を隠すために握りしめた白い手拭(てぬぐ)いが、朱に染まっていくのを官兵衛は見逃さなかった。

 その鮮血がまるで牡丹の花のように広がっていく様は、残酷なまでに美しかった。

 

 前に見た時のような(つや)はもうない。会うたびにやつれていっているようにも見える。だが、まだ秀吉軍の筆頭軍師としての威厳は保っていた。その双眸(そうぼう)にも軍師としての鋭い光が今でも宿っている。


 (養生すれば、また共に戦場に立てるはず……。)


 官兵衛は自分に言い聞かせるように、その光を必死に追いかけた。今ここで彼に永遠の別れを告げるなど、官兵衛の理性が許さなかったのである。


 官兵衛は半兵衛に言った。

 

 「半兵衛殿。こたび有岡城へ赴き、摂津(荒木)殿の説得という大役を仕りまする。その間、どうか……どうかご無理をなさらず、お体を(いたわ)ってつかあさい……。」


 半兵衛がふと視線を上げた。その瞳だけは、病に冒されているとは思えぬほど、恐ろしいまでに澄み渡っている。すべてを見透かす軍師の眼だ。


 「官兵衛殿、有岡城へ行くのは、お主の『情』か? それとも『()』か?」


 官兵衛は一瞬、言葉に詰まった。それを見た半兵衛は咳き込みながらも苦笑いをし、話し続けた。

 

 「官兵衛殿……(わら)二兵衛(にへえ)も、もうじき一兵衛(いっぺえ)になってまうな……。」


 官兵衛が一番聞きたくなかった言葉だ。二兵衛――そう呼ばれることを、官兵衛は密かに誇りに思っていた。知略では並ぶ者がいない二人が、秀吉という太陽を両脇から支える。その未来が、砂の城のように崩れていく音が聞こえた気がした。

 

 「何を言われまする! 必ず……必ずやご快癒(かいゆ)されると信じておりますさかい……!」


 半兵衛は続けた。これが官兵衛との最後の会話になるかもしれないことがなんとなく想像できていたのであろう。竹中半兵衛の言動はとにかくいつも最悪の状況を想定していた。


 「いや、わが身のことだで、よう分かっとる……。だから、官兵衛殿に頼みたいことがあるんだわ。

 官兵衛殿、お主は(それがし)以上の策士……。だが、それゆえに……織田の殿は、いずれお主を恐れるようになるやもしれん。

 もし、何ぞあった時は、まず『生き延びること』を第一にせえよ。死んでまったら、筑前(秀吉)殿を支えることもできんでな……。」


 官兵衛は黙ってうなずくが、遺言めいたものを伝えようとしているのは理解できた。半兵衛は自分の死期を悟っているんだろうか。そう考えると官兵衛は信じたくはないが、体の中に熱くこみ上げるものを感じた。半兵衛は続けた。


 「上様は、類いまれなる武将。いずれ天下人になられよう。だが……あのお方は部下を『駒』としか見ておられんのだわ。

 上様は、役に立つ駒は使い潰し、役に立たぬ駒は容赦なく捨てる。官兵衛殿、お主という『あまりに鋭き剣』を、あのお方がいつまで鞘に収めておいてくれるか……。

 いずれこの天下は、誰かが変えねばならん……。

 (それがし)が死んだ後、秀吉様を支えられるのは、官兵衛殿しかおらん。

 (それがし)は何も天下人を導く光になれと言っているのではない。その光が照らす影を管理せよということ……。

 そして……もし、天下を変える時が来たなら……。それは、官兵衛殿にしかできんことよ……。頼んだぞ……。」


 半兵衛の言葉に迷いはなかった。


 「この官兵衛にしかできないこと?それは……?」

 

 わずか数節の、春までの猶予。それだけあれば、この若き後輩にすべてを託せる。半兵衛の計算に、官兵衛が一年もの間、闇に葬られるという『最悪の事態』は含まれていなかった。

 己の命が長く持たぬことは誰より理解していたが、有岡への使いなど、官兵衛の才を以てすれば(またた)く間だと信じていたからであった。


 「官兵衛殿ならば、いずれ必ずや……(ことわり)がお分かりになるはず。また有岡より無事に戻られた折に、ゆっくりと語らう事といたそう。」


 これ以上は言わなかった。今はそれ以上言えなかったのかもしれない。ただ官兵衛ならいずれ気づくと半兵衛は知っていた。信長のやり方の限界に……。

 だからこそ、官兵衛の心の奥底にやがて芽生える大きな『種』を残そうとしたのだろう。

 そして、官兵衛ならそれができると信じていた。天下を変えることが……。


 

 官兵衛が立ち上がり、部屋を出ようとした時、背後から衣が擦れる音がした。

 

 「官兵衛殿。お主の才は、この乱世を終わらせるために天から授かったもの……。それを、一時の忠義で腐らせてはなりませぬぞ!」

 

 その声は、地を()うような低さでありながら、官兵衛の背骨を震わせるほどに鋭かった。


 官兵衛は一瞬固まったが、部屋を出る前、いつものように深々と一礼をした。官兵衛はこの時、信じてはいなかったが、これが『二兵衛』最後のひと時になるのであった。


 官兵衛は半兵衛の部屋を後にした。帰り道でも半兵衛の


 『この乱世を終わらせるため……。官兵衛にしかできないこと……。』


 という言葉が彼の中で何度も何度も繰り返されていた。

 第六話をお読みいただきありがとうございました。


 「有岡より無事に戻られた折に、ゆっくりと語らう事といたしましょう。」

 その約束が果たされることはない……。歴史を知るからこそ、この二人の「少しのすれ違い」が描いてて一番切ない部分でした。


 官兵衛が受け取った『種』が、いつ、どのような形で芽吹くのか。

 そして次回からはいよいよ官兵衛が有岡城へ。地獄の入り口へと足を踏み入れます。

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