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第三話 激昂

 有岡城の荒木村重、謀反。

 その報に触れた時、織田信長は何を想ったのか。


 安土城の静寂が、魔王の咆哮によって切り裂かれます。


 本格歴史ミステリー、第3話。

 今回は信長の「狂気」と、翻弄される家臣たちの姿を描きます。

 数日たっても荒木は安土に現れるどころか、兵糧(ひょうろう)を城に蓄え出しているという噂も耳にするようになった。


 安土城の空気が、重く沈んでいた。

 使用人たちは足音を殺し、小姓(こしょう)たちは息を潜めて主君の機嫌を(うかが)う。

 誰もが感じていた——信長の我慢が、もはや限界に達していることを……。


 「またか……。お主もまた、わしを裏切るか……。」

 

 (そば)にいた小姓、森蘭丸(もりらんまる)は信長の低く(うめ)く声が聞こえた瞬間、ビクンとした。恐怖から振り向く事すらできなった。

 

 その時、信長の脳裏をよぎったのは、一年前、信貴山(しぎさん)城で()ぜて消えた松永久秀(まつながひさひで)の横顔だったのかもしれない。


 松永久秀とはかつて主殺(しゅうごろ)し、将軍暗殺、大仏焼討と、天下が恐れた『三悪』を平然と成し遂げ、最期は名器と共に爆ぜた稀代(きだい)梟雄(きょうゆう)である。

 信長がその才能を愛し、何度も裏切りを許しながらも、最後には自らの意地を通すために城もろとも灰となった。


 安土城の広間は、秋の薄い陽光を黄金の畳が跳ね返し、不気味なほどに明るかった。極彩色(ごくさいしき)鳳凰(ほうおう)が描かれた障壁画(しょうへきが)は、主の沈黙に(おび)えるように、静まり返っている。


 遠く、建設中の天主からは、石を穿(うが)つノミの音が断続的に響いていた。規則正しく、無機質なその音だけが、広間の張り詰めた空気を辛うじて繋ぎ止めていた。

 

 蘭丸は常に信長の左側に座っていたが、自分の右肩越しに信長の左手が震えていたのを感じた。恐る恐る耳を澄ますと、信長がうなるような声で呟いていた。

 

 「久秀に続き、村重……。おみゃあまでもが、このわしの手を振り払おうというんか……。

 

 久秀は、平蜘蛛(ひらぐも)と共に派手に砕け散りおったが……。

 村重。おみゃあには、それ以上の地獄を見せてやらねば気が済まぬ……。

 わしを裏切った(むく)いがどれほどのものか、その身と、おみゃあの()でる一族郎党すべてに、とくと刻みつけてやるわ……。見ておれよ、村重。」


 蘭丸はこれから直面する地獄のような瞬間を予見し、肩をすくめ始めたその時、信長の中で何かブチッと切れる音を聞いたような気がした。荒木の謀反を確信した瞬間である。


 その時、鈍い音と共に蘭丸の体が宙を舞った。信長に蹴り飛ばされたのだ。

 畳に叩きつけられながら二度三度転がった後、顔を上げると、信長のこめかみには血管が浮き出ており、その目は——獣のようだった。こうなってしまってはもう誰も止める事が出来なかった。


「何事だわ!あのうつけ者がぁ!村重ごときがこの信長を(たばか)ったか!」


 脇息(きょうそく)が壁に叩きつけられ、木片が飛び散る。

 障子が引き裂かれ、和紙が宙を舞う。

 金箔の壁に、信長の拳が叩き込まれた。

 

 信長の怒号は、部屋の空気を振動させ、そばにいた者の耳の奥を突き刺した。蘭丸を蹴り飛ばした足の音が、静まり返った安土城の廊下に不気味に響き渡った。


 「ええい、おのれ生かしておけぬ!一族郎党、一人残らず根切りにしてくれようぞ!」

 

 周りは突然叫びだした信長に驚きと恐怖を感じ完全に固まっていた。いつもとは完全に温度が違う。今まで見たことがないほどの沸騰ぶりである。


 「上様……さすがに、女子供まで……」


 織田一門で自分の事を一番の知恵者(ちえしゃ)と自負していた明智光秀は、また空気を読めない発言をしてしまった。


 その瞬間、信長の動きがピタリと止まった。その後ゆっくりと光秀の方に振り返った。


 「ほう……?」


 信長はゆっくりと光秀に近づいた。


 「光秀。女子供が可哀想か?ならば、おみゃあが責任を持って、村重の女子供、一人残らず首を()ねてやれ。それならば、わしも得心(とくしん)がいくというものよ。」


 光秀の顔が蒼白(そうはく)になった。頬がピクピクと震えている……。


 「さあ、いかがする?村重の一族を"楽に"死なせてやるか?それとも……わしのやり方を、黙って見ておるか?」


 周囲が息を呑む中、光秀は震えながら深々と頭を下げた。


 「な、何も……申しておりませぬ」


 「ふん……。おみゃあの浅知恵など……、誰も聞いておらぬわ!!」


 信長はそう吐き捨てると同時に、ひれ伏して震える光秀の鼻筋を力の限り下から蹴り飛ばした。


 光秀の上体は重力を忘れたかのように浮き上がり()を描くように後ろに飛んで行った。

 畳に叩きつけられ、背中から鈍い音が響く。


 鼻を覆った光秀の指の隙間から滴り落ちていた大量の血が、黄金の畳にどす黒い染みを作っていく。信長はそれを汚物でも見るかのような目で見下ろした。

 

 恐怖と屈辱——それが、この瞬間の光秀を支配していた。


 その傍らで控えていた者全てが、信長の全身から立ち昇る「人間不信の黒い炎」に震え上がった。


 今まで見たことが無いくらいの激昂(げきこう)ぶりはまだ治らない。まさに第六天魔王の最大の怒りである。


 「お、おのれ……、村重め!摂津守(せっつのかみ)に取り立ててやった恩も忘れて裏切りおって!」


 しばらくの間、信長は眼に入るもの全てを蹴り飛ばし続けていた。


 「村重! 必ずやお主も勘十郎、長政と同じ目に遭わせてくれるわ! いや、それのみでは生温(なまぬる)い。おのれには、それ以上の無間(むげん)地獄を味わわせてやるぞ。……ゆめゆめ忘れるな、この信長が直々(じきじき)引導(いんどう)を渡してやるわ!」

 

 明くる十一月には自ら大軍を率いて出陣。荒木村重の居城、有岡(ありおか)城を囲むと同時に、村重の共謀者である高山右近(うこん)や中川清秀(きよひで)調略(ちょうりゃく)で切り崩し、荒木一族の孤立化を図っていく。

 

 今回の目的は一族皆殺しの刑である。織田信長にとってはそれほど許しがたい裏切り行為であったのは間違いない。

 ご一読いただきありがとうございます。

 激昂する信長。その暴力の矛先は、ついに重臣・明智光秀にまで及びました。

 黄金の畳を汚す鮮血。この一撃が、後の歴史をどう変えていくのか……。


 そして次回、この地獄のような状況の中に、ついに「あの男」が姿を現します。


「――この混乱を収める術、某には見えておりまする。」


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