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第十七話 村重逃亡

 有岡城に閉じ込められて十か月。

 かつての智将、黒田官兵衛は、土牢という奈落の底で、我が子と一人の少女の死を経て『怪物』へと変貌を遂げようとしていました。


 一方、彼を閉じ込めた荒木村重もまた、極限の孤独の中で、ある『決断』を下します。

 それは、戦国史に刻まれるあまりにも無残で、あまりにも人間臭い、衝撃の逃亡劇でした。

 復讐の炎が、官兵衛の心を焼き尽くしていた。もはや、この男の中に神も仏も存在しない。あるのは、ただ、この世を地獄に変えた者たちへの(くら)く、底なしの憎悪のみであった。

 

 (村重……、小寺政職(まさもと)……、信長……、この官兵衛が生きている限り、貴様らに安寧(あんねい)の時は与えぬ……。必ずや、この手で、貴様らの築いたすべてを灰にしてやる……。)

 

 官兵衛にとって、ふじが来ない土牢(つちろう)はもはや『生』の場所ではなく、完全なる『死』の闇であった。


 公式な記録には残っていないが、藤の花がまだ咲かぬ厳冬、冷え切った官兵衛の心をその細い体で温め続け、己の命と引き換えに彼の命の灯火(ともしび)を繋ぎ止めたのは、名もなき一人の娘であった。

 

 加藤家の記録にわずかに残る、この時期に没した若い娘の記述。その死の真相は、官兵衛という男の凄絶な変貌と共に、歴史の闇へと深く沈められ、語り継がれることはなかった。

 

 (ふじ……許してくれ……。お主を守ると約束したのに……。)

 

 ふじ亡きあと、官兵衛の世話をしていたのは加藤の次男、玉松(たままつ)だった。荒木もふじよりも幼い子供に何が出来ようと黙認していたが、土牢(つちろう)の鍵を預かる加藤又左衛門は、ふじを失ってからの官兵衛の変貌ぶりに、底知れぬ恐怖と怜憫(れいびん)を感じていた。

 

 官兵衛の髪は抜け落ち、関節は湿気で(ゆが)み、肌は陽光を浴びぬまま土色に変色していた。動かぬ足からは腐臭が漂い、ウジが湧くこともあった。

 だが、その眼光だけは、土牢(つちろう)の暗闇の中で飢えた獣のように爛々と輝いている。


 又左衛門は荒木を憎んでいたが、我が子の命を危険に(さら)してまで鍵を開ける勇気は持てなかった。ただ、彼は城外の惨状(さんじょう)を官兵衛に伝え続けることで、せめてもの贖罪(しょくざい)としていた。

 

 「官兵衛殿、この有岡城はもはや内側から腐り落ち始めた。城内の井戸は干上がり、兵たちは馬の血を(すす)り始めた。あと一年も持たぬ……。今はこの土牢(つちろう)から出してはやれぬが、どうか耐えてくれ……。外では、善助(ぜんすけ)らが必死に動いているのだ……。」

 

 もはや声も出せぬほど衰弱していた官兵衛は、血走った眼で加藤を射抜くように見つめた。その眼には、かつての天才知略家の怜悧(れいり)さはなく、ただ怨念(おんねん)という油を注がれた復讐者の執念が宿っていた。

 

 この頃から又左衛門は、城外で官兵衛を救おうと死力を尽くす栗山善助らと、密かに、かつ命がけの接触を始める。

 ふじの死という悲劇が、皮肉にも後に天下を揺るがす鉄の結束『黒田武士団』を産み落とそうとしていた。


 ところが、信長の官兵衛に対する『裏切り者』という汚名を晴らすため、善助たちは秀吉の三木城攻めに参加することとなった。これは官兵衛の忠義を証明するため、黒田の家臣らが率先して武功を上げる必要があったからである。

加藤又左衛門に官兵衛の世話を一任し、善助は黒田軍の代表として三木城攻めの陣中へと向かった。

 

 一方、城主、荒木村重は極限の孤独と狂気の檻の中にいた。

 籠城開始から十ヶ月。信長軍の包囲網は日を追うごとにその締め付けを強め、有岡城は巨大な棺桶と化していた。

 期待していた毛利の援軍は、いくら地平線を見つめても影すら見えない。

 

 城内はまさに現世(げんせ)の地獄であった。兵糧攻めにより食糧は尽き果て、(ねずみ)や壁の土さえも食い尽くした。飢えた兵たちは(うつ)ろな目で互いの喉元を狙い、肉親の死肉を前にして葛藤する者すら現れた。

 狂気に走った者が夜な夜な奇声を上げては壁を爪が剥がれるまでかきむしり、そのまま息絶えていく。死臭と疑心暗鬼(ぎしんあんき)が、湿り気を帯びた空気と共に有岡城をじわじわと、しかし確実に侵食していた。

 

 村重の精神もまた、砂の城のように音を立てて崩れ去っていた。

 信長への恐怖、裏切りへの罪悪感、そして迫りくる死の足音。

 彼は時折、誰もいない暗い部屋で膝を抱えて異様な高笑いを上げ、あるいは自慢の名器、茶器の表面を愛おしそうに撫でながら、誰にともなくぶつぶつと独り言を繰り返した。

 

 「信長は許さへん……。あ(やつ)はわしの首を黄金(こがね)で飾りおるつもりや。せやけど、この茶器だけは渡さへん。これこそが、わしの(たましい)なんや……。」

 

 その不気味な囁きは、呪詛(じゅそ)のように夜の城内に響き渡っていた。

 

 天正七年(1579年)九月、村重はついに『決断』を下した。それは、戦国史上類を見ない、あまりに無責任で、しかし逃れようのない人間の『業』が()き出しになった瞬間であった。

 

 「よう聞け! わしは今宵、この城を出て尼崎へ向かう!

 決して、お主らを見捨てて逃げるんやない! わし自らが尼崎、さらには毛利の元へ走って、強力な援軍と兵糧を連れて、必ずや戻って参る! わしが戻るまで、何としてもこの有岡を支え抜け! 命を懸けて、織田の猛攻に耐え抜くんや!」

 

 表向きは『戦線を立て直すための軍事的脱出』であった。しかし、それは重臣も、共に苦難を歩んできた妻子も、自分を信じて飢えに耐える領民をも置き去りにする、城主としての誇りを捨てた無様(ぶざま)な『逃亡』以外の何物でもなかった。

 

 ある嵐の気配を(はら)んだ新月の夜、村重はわずか五、六名の側近と、己の命よりも愛した名宝の茶器を絹の布に包んで抱え、闇に紛れて城を抜け出した。猪名川の断崖を這い下り、冷たい泥にまみれ、背丈を越える夏草に身を潜めながら、這うようにして尼崎城へと逃げ延びたのである。その姿に、かつての摂津守(せっつのかみ)としての威厳は微塵(みじん)もなかった。

 

 村重の逃亡を知った織田軍の驚きと、それに続く嘲笑(ちょうしょう)は凄まじかった。信長はすぐさま『尼崎と花隈の城を明け渡せば、有岡に残された村重の妻子や一族の命は助ける』という条件を突きつけた。これは冷酷な信長なりの、かつての寵臣に対する最後の温情であり、試練だったのかもしれない。だが、村重はこの条件を冷酷に、そして即座に拒絶した。

 もはや、彼には信長を信じる力も、自分を信じて死の淵に残った妻子たちを思いやる心の余白さえも残っていなかった。彼はただ、『自分』という個体が生きて、再び茶を点てることしか考えられなくなっていたのである。

 

 交渉は絶望に染まったまま決裂した。村重は花隈(はなくま)城へと拠点を移しながら、負け戦と知りつつ無意味な抵抗を続けたが、最後は海路で毛利領へと亡命した。信長が本能寺の変で炎の中に消えるまで、村重は武士としての誇りを捨て、名を捨て、姿を隠して、ただ死に損ないとして生き延びることになる。

 

 この村重の逃亡劇は、現在でも『生への異常な執着』か『軍事的な最後の足掻(あが)き』か、歴史家の間で議論が絶えない謎となっている。


 ご覧いただきありがとうございます。

 第十七話は、村重の逃亡という衝撃の展開を描きました。


 主君が茶器を抱えて脱出するという、現代の感覚では到底信じがたいこの事件が、残された妻子や、そして土牢の官兵衛にどのような運命をもたらすのか。


 執念で生き延びる官兵衛。

 誇りを捨てて生き延びる村重。

 二人の『生』の形を鮮明に対比したつもりです。


 次話、ついに有岡城に最後の時が訪れます。


 PS.本日、英語版の投稿が日本語版に追いつきました。“日本語英語同時連載”となりました。詳しくは活動報告をご覧下さいませ。

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