第二章:浦島太郎 ―南海の時の狭間―(後編)
亡者たちの影が消え、海底の静寂が戻ってくる。
かつてはただの夢と思っていた竜宮の記憶が、今や現実の一部として浦島の胸に息づいていた。
「……あれは、“時間に取り残された者たち”なのか?」
浦島は玉手箱を見つめながら、かぐやに問いかけた。
「はい。玉手箱は時の器であると同時に、時の狭間を封じる“鍵”でもあります。あなたがこの箱を持つことで、世界に歪みが現れ始めたのです」
桃太郎が腕を組み、険しい表情で唸る。
「つまり、この箱を放っておけば、ああいう奴らがどんどん現れるってことか」
かぐやは頷きつつも、語気を強めた。
「ですが、同時に玉手箱には“時の扉”を閉じ、過去の災いを鎮める力もあります。浦島太郎が持つことで、未来への選択肢が生まれるのです」
「……俺が、“未来を選ぶ鍵”か……皮肉なもんだな」
浦島は自嘲気味に笑ったあと、ふっと視線を海の向こうへやった。
そこにはまだ見ぬ旅路があり、幾多の苦難が待ち受けている。だが――今の彼には、それを恐れる理由がなかった。
「竜宮で夢を見ていたあの頃、俺は“過去に逃げた”んだ。戻ってきたとき、全てが変わっていて……ただ悲しんで、また夢に逃げた」
桃太郎は黙って耳を傾けていた。
「でも今は違う。――俺は、未来に進む。もう逃げない。たとえ時が歪んでも、俺がそれを正す」
静かに玉手箱を背に背負い直す浦島の姿に、桃太郎はにやりと笑って言った。
「ようやく“仲間”らしくなってきたじゃねえか、浦島」
「ずいぶん勝手な物言いだな。まあ、お互い様か」
二人の間に、ようやく仲間らしい空気が流れた。
かぐやはその様子を見て、小さく微笑む。
「では、参りましょう。次に向かうは“東の山”。そこに、かつて鬼と戦い続けた者――金太郎がいます」
桃太郎が頷き、浦島もその後を追う。
深海の水が再び裂け、旅人たちは水底の回廊を歩いてゆく。
だが――その背後で、乙姫は小さくつぶやいた。
「……どうか、忘れないで。玉手箱が封じるものは、時間だけではない。あなたの記憶もまた、“鍵”の一部……」
その声は、旅立つ二人には届かなかった。
深海の世界が閉じ、潮の音が遠ざかる。
月の光が海面に反射し、三人の影を照らしていた。