そんな男に選ばれて「幸せで泣きそう」だなんて、お可愛いこと。
興味を持って下さり、誠にありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
扉を叩く音を耳にし、私はいつものように手紙へと走らせていたペンを止めた。
「カナンお嬢様、フレッド様がいらっしゃいました」
「フレッド様が? 今日はいらっしゃる予定ではありませんでしたのに」
「それと……」
侍女が言葉が詰まらせる。言い辛いことでもあるのだろうか。
とはいえ報連相はやってもらわなければ困る。まともな大人として当然の義務だからだ。
「どうかしたの」
「いえ、その……マリエ様もご一緒なのですが。どうにもご様子が」
「マリエが? まぁ、いいわ。すぐに行くと伝えて」
なんとも要領を得ない様子だったが、行けば分かることだろう。
実際のところ婚約者であるフレッド様はともかく、妹のマリエが彼と一緒にいる理由が分からない。
(今日は何か、特別な日だったかしら)
急ぎ足で応接室へ向かう。
すると、どうやら確かに今日は私にとっての特別な日だったらしい。
「――今、なんとおっしゃいましたか」
「何度でも言おう。私との婚約を君の方から破棄したことにしてはくれないか」
……何を言っているんだ、この男は。正気か?
おっといけないいけない……つい、口が悪くなってしまいました。
「カナン、君は聡明だ。加えてその若さ、その美貌、公爵夫人となるには申し分ないだろう。だが――」
フレッド様は私へ見せつけるように、隣に座る妹と指を絡め、視線を交わし、言った。
「私は真実の愛を見つけたんだ。本当だ、今度は嘘じゃない」
「……それはつまり、私に囁いた真の愛は、嘘であったということで御座いますか?」
「結果的にはそういうことになる。すまない」
すまない、では済まないだろう――と喉まで出かかった言葉をなんとか呑み込む。
当然だ。たかが男爵の娘の身分で公爵家にそんな態度を取れるはずもないのだから。
「それにお互い、冷めてしまったんだ。君にとっても悪くない話のはずだ」
「お互い?」
「あぁ、君もそうなのだろう? マリエからよく聞かされていたよ」
(は?)
私はマリエの方を見る。
けれど彼女は何食わぬ顔で、こちらと一切目を合わせようとはしない。
それは後ろめたさからではなく、決別を意味する態度であった。
(……幼少の頃からの十数年。私が愛したのは、所詮この程度の男だったの)
元を辿ればこの婚約も私から願ったものではない。
偶然、目に留まり。偶然、言葉を交わし。偶然、時間を共にし。
そうして、必然になった――と、私が思っていただけのことだったらしい。
(今日まで私がどれほど厳しく躾られたのか。貴方は結局、最後まで理解してくれなかったのね)
どこまでいっても男爵の娘に過ぎない私と彼の婚約は、公爵家からも快く思われてはいない。
だから淑女らしい立ち振る舞いなどを身に付けるための教育――という名の調教に等しい嫌がらせが、ずっと続いてきた。
私は、私を切り捨ててきた。
彼への愛。ただ一つそれだけを拠り所にして、今辛く苦しくとも最後には報われる未来が待っているのだと、そう信じて。
本当はやりたかったこと全部に蓋をして、生きてきた。
けれど――――
(その結果がこれなのね……)
私の気持ちは決して冷めてなんていなかった。
でなければ誰が好き好んで、どれだけ教養を身に付けようと決して認めようとしない連中の言いなりになどなるものか。
でも不思議と悲しくはない。ただ〝私の言葉ではなく、妹の言葉を信じた〟という現実に対しての落胆だけが私の胸にはある。
そういう意味では確かに今、気持ちは冷めてしまったと言えた。
「分かってくれ、カナン。私が望んでいるのは――――君じゃないのだと」
「……了承いたしました」
全てを呑み込んで、私は涙ひとつ流さず提案を受け入れる。
明日からどうなるか、分かったものではないが……まぁ、少なくとも同じ家の妹と改めて婚約するのであれば、家そのものはとりあえず無事では済むだろう。
だが、私個人はその限りではない。
私が誰かを嫌わずとも、周囲の誰かは私を疎ましく思っているかも……いや、疎ましいはずだ。
「この書類に署名を。後はこちらで全て処理しておこう」
もうどうでもよくなって言われるがまま、署名をする。
それから元婚約者の彼は応接室を去り、妹だけが残った。
「お姉様、あたしも悪いとは思っているのよ。でも人生だもの、そういうことくらいあるものでしょう」
「そうね。でも気を付けてね、教育係の方達はとても厳しいから」
「なにそれ。あたし、お姉様のそういうところが嫌いなのよ。自分には出来るけど、貴女には出来ないでしょう? みたいな見下した態度が!」
何を言っても届かない。そう思って私は黙って妹の背中を見送る。
扉越しに彼女のわざとらしい、甲高い声が聞こえてきた。
「――あたし、幸せで泣いてしまいそう」
その日の夜。私はひとりぼっちのお別れをした。
さようなら、好きだった貴方。さようなら、好きだった妹。
さようなら、貴方のために駆け抜けた日々。
さようなら、貴方を愛した私――――。
婚約破棄から四ヶ月。あの日から私は一歩も自室を出ていない。
聞こえてきた侍女たちの噂によれば、妹のマリエは私の時よりもひどいしごきを受けているそうだ。
というのも、厳しかった公爵家の教育係たちはあれでいて私のことを気に入っていたらしい。
叩けば叩くほど強くなって跳ね返ってくる姿勢は、教育し甲斐がある。
教養があるだけの貴族ならそこらにごまんといるが、彼女ほど根性のある婚約者はそういない。
表向きは私が婚約を辞退し、フレッドが受け入れたということになっているが、彼ないし彼女たちはそんなはずがないと声をあげてもくれたとか。
正直、それほど認められていたとは夢にも思わなかった。
でも相手へ伝わっていない想いに意味や価値なんてものはない。
だってそれは、どこにも存在していないのと同じことだから。
さらに、この四ヶ月。唯一の趣味……というより、ささやかな楽しみだった〝青い鳥がどこからか運んでくる手紙〟に返事を返すこともやめてしまった。
それまで数日置きに窓をつついていたこの国ではあまり見かけない珍しい鳥も、最近はめっきり姿を見せていない。
手紙のやり取りが始まったのは今から十年ほど前のこと。
足に一通の手紙が括りつけられたその鳥は、私の部屋へやって来た。
手紙にはやたらと綺麗な筆跡で丁寧な挨拶が綴られていて、最初は私を嫌っている誰かが笑い者にしようと送り付けてきたのだろうと確信していた。
だから表面的な言葉だけのやり取りをするように心掛けた。
暇な時などほとんどなかったけれど、続けていた理由は今なら何となくわかる。
たぶん。男爵家の娘でもない、公爵家の婚約者でもない〝私が私でいられるひと時〟だと無自覚にでも気付いてしまったからだ。
そうして何通か他愛もないやり取りを続けるうち、どうにも話が噛み合わないことが多くなった。
特に気候や風習が絡む話になると、どうにもこの国の話ではない気がして。愚痴をこぼしたりは決してしなかったけれども、少しだけ個人的な話をするようにもなっていった。
結局。十年経った今も、私は相手の名前を知らない。
向こうは家に鳥を飛ばすくらいだから、私のことを知っているのだろう。
一向に会おうとも名乗ろうともしないのは恐らく、あちらもこのくらいの距離感が心地よいと思える人に違いない。
そんな関係を一方的かつ唐突に終わらせてしまったことだけは、少し後悔があるというのが本音だ。
でも続けていればすがってしまうような気がした。
自分にとって都合のいい相手を思い描いて、名前も顔も知らない相手に淡い恋心を抱いてしまうような気がしたから。
きっと向こうもそんな関係は望んでいない。
勝手にひとりで傷ついて苦しくなる前に、自分から離れた方がずっといいはずだから。
だから、私は…………
そんな憂鬱を浮かべる夕暮れだった。
彼が、私の部屋を訪れたのは。
「――カナン。私たちにはもう一度、話し合う機会が必要だとは思わないか?」
扉越しにそう告げてきたのは、あろうことか元婚約者のフレッドだった。
私は堪らず、怒りと呆れと色々なものがないまぜになった息をつく。
もう一度……? 何が、どう、もう一度なのだろう。意味が分からない。
「いえ、一切思いません」
「ほら、よく言うだろう? 失ってから気付く大切さというやつさ。君という存在に私は甘えていた、当たり前になりすぎていた。これは試練だったんだよ、私と君に課せられた。だからもう一度きちんと話し合って、やり直そう。それが私たちの運命のはずだから!」
「…………」
自分の口から不規則に吐き出される吐息が怒りに震える。
許すつもりもやり直すつもりもないが、第一声が謝罪ですらないというのは何がどうなっているのかまるで理解できない。
これは誰なのだろう。マリエは何故こんな男に選ばれて、幸せで泣きそうだなんて甘ったるい声を出したの? きもちわるい……。
「少なくとも話し合うべき時は、今ではなかったはずでしょう? それすら分からない貴方に言えることはありません。どうせ貴方のことです、マリエの粗相で実家からとやかく言われることにうんざりしてきたのでしょう? だから今度は妹を捨てて、私に乗り換えようというのでしょう?」
「そ、それは……その、いやだから……」
「馬鹿にするのも大概にしてッッ!!」
「…………っ」
きっと何だかんだ許されて、何だかんだ愛されて、何だかんだやり直せると。
本気でそう思っていたのだろう。この男は。
「カナン。き、君は……本当は……私を愛しているのでは、ないのか?」
「何を今更。あぁ、そう。マリエが躾に耐え兼ねて白状でも致しましたか!」
「ぅっ……そ、それは」
図星か。なんと浅はかで分かりやすい男なのだろう。
彼の幼稚さを、甘さを見抜けなかった私はきっと盲目だった。
「はっきり言います。私が望んでいるのは――――もう、貴方じゃない」
これが決定打となり、暴言など吐かれ慣れていないフレッドは泣く泣く家を後にしたらしい。
そして、この時の私はまだ知らなかった。
フレッドと入れ違いで来訪する、そう歳の変わらない異国の若き皇子のことを。
彼が青い鳥の飼い主であり、文通の相手だったということを。
その彼と逢瀬を重ね、一年後。王妃に迎えられるということを。
愛され、子宝にも恵まれ、何不自由なく健やかで。
何より、幸せで泣きそうなことを。私はまだ、知らない。
――――――――完
ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。
現在、本作の他に「無感の花嫁」という異世界恋愛ものを書いていますのでまだ序盤も序盤ではありますが、よろしければぜひそちらも一読頂けると嬉しいです。
またお時間ございましたら、異世界恋愛もの(主に長編。短編でも可)でどういった部分がある・ないと読む読まないを決める、もしくは評価を入れるタイミングや基準、そもそもいつ『なろう』を読んでるかなどを、参考までに教えていただけると大変助かります。
重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。