第9話「ルーツという証」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年5月15日(木)
指定物資の調達業務、開始。
外気温24°C、晴れ時々曇り。風速、穏やか。
歩行者、平均的な数値。異常なし。
視認対象、甲冑を身に着けた男性2名。
装備の用途、戦闘ではなく文化的要素を含むと推測。
分析開始――
甲冑の形状は西洋式に近いが、意匠は日本的要素を含む。
防御機能を持つが、実戦向きではない。
現代における甲冑の着用――実用性より象徴性が優先。
彼らの会話内容と照合――文化的アイデンティティの表現手段か。
彼ら、対話開始。音声入力、解析開始。
「……お前、悩んでるんだろ」
「……まあな」
「自分のルーツについてか?」
「そういうことを、簡単に言うな」
「考え込んでも仕方ねえだろ?」
私は記録する「会話内容、個人的アイデンティティの問題を含む」
男性1、文化的自己表現に対する葛藤を示す。
男性2、代替策の提示を試みる。
男性2、肩にかけた棒を持ち上げる。文様あり。
音声認識、解析開始。
「俺は日本で生まれ育ったが、ルーツはオランダにある。だからこうやって、いつもこの柄の入った棒を持ち歩いてるんだ。まあ、ちょっとした象徴みたいなもんだな」
「……そういう表現もあるのか」
男性1、沈黙。表情分析――神妙な様子。
新たな視点の獲得、認められる。
甲冑の装着理由――日本生まれであることの誇りの表現と推測。
しかし、個人のルーツを軽視するわけではない。
二人の服装は歴史的要素と個人のアイデンティティの融合を試みたものか。
私は記録する「文化的ルーツの視覚的表現が対話の中で機能した」
帰路。住宅地へ移動。
空は夕刻の色を帯びつつある。
人々は日常の歩みを続ける。
「戻ったぞ」
「お帰りなさいませ」
「今日は何か変わったことはあったか?」
「……甲冑を身に着けた男性2名の会話を記録しました」
「甲冑?」
「文化的象徴として装着していたものと推測します」
「妙なものだな」
「彼らは、日本生まれであることを誇りに思いつつも、個人のルーツを尊重するため、それぞれの象徴を持ち歩いていました」
沈黙。ご主人様は椅子に座り、私の言葉を考察しているようだ。
数秒後、低い声で問う。
「お前にルーツはあるのか?」
自己点検開始。
製造地点:日本。
機能設定:家事全般。
所有権:現在、ご主人様の管理下。
「私はルーツを持ちません」
ご主人様は短く笑った。
「機械らしい答えだな」
「ご主人様がルーツについて尋ねた理由を解析中」
「深い意味はない。ただの興味だ」
私は記録する「好奇心という動機」
自己点検継続――
ルーツとは、構造ではなく、概念的なものか。
彼らのように模索する必要があるか。
結論――不要。
業務完了
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの弱々しく瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。だが、味を感じない。
業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了。異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で——