第23話「甘きものに引かれて」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年6月23日(月)
ご主人様より、一般医薬品の購入を命じられたため出発。
最適経路上に公園区域と山麓が含まれていたため、通過中に周辺状況を観察。
私は記録する「命令に対し、最短経路上での環境観察を選択。任務と無関係な記録を副次処理として許容」
芝生エリアにて、子どもたち4名と羊1頭の接触を確認。
羊個体(中型・白毛)は人間への警戒を見せず、接近。小児Bが掌に蜂蜜を数滴のせ、手を差し出す。
「はちみつ、ちょっとだけだよ?」
「この子、前に来たときも喜んでたもんね。」
「わぁ、もう舌ぺろぺろしてるー!」
羊は鼻をひくつかせ、掌に顔を寄せたのち舌を差し出し、粘性の蜜を吸うように舐め取った。
瞳は半開きで、耳は前方に固定。頭部はわずかに震えながら、指の隙間や掌のくぼみに残った蜜までも熱心に掬い取っていた。
「くすぐったい〜」
「手まで舐めてきた!ちゃんと味わってるのかな。」
「なんか一心不乱だね、この子……すごい真剣な顔してる。」
小児らは順に掌を差し出し、羊は約3分間にわたって同様の摂取行動を継続。
摂取後、動物たちは山方面へと帰還を開始。羊もそれに倣い一度離脱。
数分後、同個体が再出現。体表に乾いた蜂蜜が付着し、細かな塵や草屑を吸着して暗い斑となっていた。
「……あれ、また来た?」
「わっ、毛のとこ、べとべとになってる。」
「さっきのはちみつかな……ごめんね、こぼれちゃってたかも。」
「お顔の横のとこと、あと背中……めっちゃくっついてる……」
小児らは水飲み場へ誘導し、蛇口を開き、布を濡らして清拭を行う。
「うわ、こんなとこまでベタベタ……」
「じっとしててね、すぐ終わるから。」
「……でもなんか気持ちよさそう。」
「ほら、目つぶってる。あ〜、すっきりした顔してる~」
羊は抵抗せず、濡れ布に対して受け入れる姿勢を保つ。
私は記録する「小児らによる自主的清拭行為。責任意識と対生物的な軽微なケア傾向の発露と判断」
清拭終了後、羊はしばらく立ち止まり、小児たちを順に見やったのち、小さく鼻を鳴らしながら芝生を離れる。
白い背中が夕陽を受けて橙に照り、草むらを静かに踏みしめながら山道を登っていく。木々の間から差す光が影をつくり、風は低く葉を鳴らすのみ。
羊は途中、一度だけ振り返るような仕草を見せたが、視線は長く留まらず、まっすぐ山の奥へと消えていった。
ご主人様の帰宅を検知。玄関ドアの開閉音、および足音と外気の流入による温度差により確認。靴音に疲労傾向。
襟元にわずかなしわ、肩の張りは右側に偏重。風邪症状継続の可能性。
「……ただいま。」
「お帰りなさい。お疲れ様です。買い出しはすべて完了しています。」
「ああ……。喉、まだちょっと……」
「薬と湯を用意しています。体温計は右袖のポケットに差し込みます。」
「あー、悪いな……ほんと。今日は変な咳まで出てきてさ。」
ご主人様はソファに着座。咳込みを1回。瞳の焦点に一時的な緩み。
「で……なんか変わったことあった?」
「はい。公園にて小児らと羊個体の接触を記録しました。掌にはちみつをのせ、羊が夢中で舐めていました。」
「……夢中、ね。羊も甘いのに弱いんだな。」
「再出現時には体表に蜂蜜が固着。小児らが自主的に清拭を実施。羊は無抵抗で、目を閉じていました。」
「…そうか。おとなしい羊でよかったな。」
ご主人様はソファに体を預け、毛布を受け取ったのち静かに沈黙。
私は記録する「応答頻度の低下・嗄声・休息姿勢より、軽度上気道炎の進行と判断。介助体制を継続」
業務完了。
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。今日も紅茶は美味しい。
業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了。異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で——




