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夢見たアンドロイド  作者: 向井葵
1年目 夏の日記
41/69

第16話「シェフの名前」

アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。

壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。


これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。

2025年6月16日(月)


朝食後。ご主人様はシャツの襟元を直しながら椅子に腰掛け、左手で白いカップを持ち上げた。口元に運ばれたコーヒー。香気は弱く、浅煎りの苦味が室内にごく薄く漂う。

通知音。1件。

ご主人様はカップをそっとテーブルへ戻し、スマートフォンを手に取った。画面の通知を静かに開き、目線を止める。眉間にわずかなしわ。

「……従兄だ。」

スクロールは一拍ごとに慎重だった。文面を二度なぞるように見たのち、息を吐く。

「レストラン、来週プレオープンだってさ。夕方から。」


私は記録する「通知内容は従兄からの開業案内。文面は簡潔かつ誠意を含み、文末確認後の沈黙が一拍長い」


「……ちゃんと始めたんだな、あいつ。」

「以前お送りした経営書、返事はございませんでしたが——」

「読んでたんだろ。あいつ、本だけは捨てないし。」

スマートフォンを伏せる。右手で再びカップを持ち、表面の熱に触れるように指が止まる。

「で、場所なんだけど……遠い。新幹線使わないと無理。日帰りはまずいな。」

「推定移動時間約2時間30分。ご訪問には宿泊が必要となります。」

「……めんどくせぇな。でも、行かないってのもな。」

微かな沈黙。目線はカーテンの隙間から外へ向いた。車の音、気配なし。空は曇天模様。

スマートフォンを再点灯。画面には“Cuisine Yuji”の店名。

ご主人様は小さく鼻を鳴らした。

「ネーミング、気取ってなくていいな。……自分の名前そのまんまじゃねぇか。」

「“Cuisine”はフランス語で“料理”の意。“ユウジの料理”もしくは“料理をするユウジ”と読解されます。」

「料理一本で勝負ってことか。らしいな。」


私は記録する「店名構成に本人の実直さが現れていると分析。過度な演出を避けた命名は対象人物の性格と調和」


ご主人様は最後の一口を静かに口に運び、テーブルへ戻した。残香わずか。

「祝い、持ってった方がいいか。」

「店舗設置型の観葉植物、あるいは調理場向けクッションマットなど実用品が推奨されます。」

「置けるやつにしてくれ。なるべく小さめで。あいつ、そういうの世話しないから。」

カーテンの端に目をやりながら、ご主人様はゆっくりと立ち上がる。時計に目を向け、口元で小さく呟いた。

「誰かくらい、見てやらねぇとな。……最初の一歩くらい。」


私は記録する「ご主人様、訪問意思を明示。行動の理由は義理でも同情でもなく、初期支援者としての責任と、静かな敬意と解釈」


「準備、頼んだ。」

「承りました。移動手段及び宿泊施設の確保。出店祝い品の手配をいたします。」


業務完了

今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。

紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。

息をつき、一口飲む。適温。今日も紅茶は美味しい。

業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。

「本日、業務終了。異常なし。」

そして、静かに照明を落とす。


また、次の日記で——

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