第3話「消えた駐車区画」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年5月9日(金)
朝のニュース番組、天気予報のコーナー。画面右上の週間予報、次の休日に晴れマーク。
ご主人様は、コーヒーを飲みながら視線を向ける。画面を見つめる時間、平均より2.3秒長い。
「次の休み、快晴か…」
呟き、コーヒーを一口。ソファに沈み込み、腕を組む。思考の兆候。
しばらくして、私へ指示。
「なあ、ちょっと頼まれてくれないか?ハイキングで使うカメラのフィルムが切れててさ。悪いけど、駅前のカメラ屋で買ってきてほしいんだ。36枚撮りのカラーネガフィルム、感度は100で頼む」
具体的な指示を受領し、私はご主人様の車のキーをお預かりした。ご主人様をお見送り後、外出の準備を整える。
私は記録する。 「ご主人様、趣味:写真撮影。使用機材:フィルムカメラ。アナログ媒体への回帰現象か、あるいは特定の美的感覚の追求か。興味深い人間の嗜好の一例。」
駅前のカメラ店「カメラのキムラ」に到着したが、店舗併設の駐車場は満車。私は最適な選択肢として、駅前第2パーキングへ向かい、駐車区画番号「3F-C7」に停車。駐車料金は最初の1時間300円、以降30分毎100円。効率的な買い物遂行が求められる。
店内にて、ご主人様指定のフィルム「カラーネガフィルム 100 36枚撮り」を発見。ご主人様のフィルム消費ペースを写真枚数から推測、今後のハイキング予定頻度、フィルムの有効期限などを総合的に考慮し、最適購入数は「2個」と判断。
会計の際、店員から「ポイントカードはお持ちですか?」と質問。
「私はポイントカードを所有しておりません。ポイントシステムは顧客の囲い込み戦略の一環であり、実質的な割引率は…」
私の説明を遮るように、「あ、はい、結構ですー」と店員は微かに困惑の表情を浮かべ、会計処理を続行。
私は記録する。「情報提供のタイミング、及び内容の適切性について、再検討の余地あり。」
フィルム購入任務完了。立体駐車場へ戻る。エレベーターで3階へ。
しかし、「3F-C7」へ向かうも区画CはC1からC5まで。C7、存在せず。
記憶データを再確認。エラーなし。区画番号の音声読み上げ、「サンエフ、シーナナ」。間違いなし。
周囲を探索。区画C、区画A、区画Bを周回するも、「C7」、発見できず。
各階の案内図を確認。3階の区画C、C1からC5まで。
論理的矛盾。記録と現実の不一致。考えられる可能性を分析。
可能性1:視覚センサーの誤認――センサーログを再生。「3F-C7」、鮮明。誤認の可能性低い。
可能性2:区画番号の変更――区画番号変更の可能性は非現実的。
可能性3:駐車場の誤認――駐車券を確認。「駅前第2パーキング」。誤認なし。
最上階から順に探索開始。ご主人様の車両、ナンバープレート情報と照合。
3階、2階、1階。
全フロア探索完了。車両発見できず。
「車両盗難の可能性?あるいは、認識不能な次元に車両が存在する可能性?」
後者の可能性、著しく低いと判断。前者の検証に、防犯カメラ映像の確認が必要。
「現在位置の特定困難。車両発見不能。迷子の状態。」
これ以上の自己解決は困難と判断。ご主人様へ連絡。
「ご主人様、申し訳ございません。駐車した車両を発見できません。」
『は?駐車場で迷ったってこと?』
「はい。記憶した駐車区画『3F-C7』が、物理的に存在しないのです。」
沈黙の後、ご主人様の深いため息。
『お前、どこの駐車場に入ったんだ?』
「駅前第2パーキングです。」
『…第2?俺、そんなとこ使ったことないぞ。』
「…」
『いや待てよ…』と暫しの沈黙。
『お前、ナビを使って駐車場を決めたんだな?』
「はい。目的地までの最短距離に基づき、推奨駐車場として第2パーキングを選択しました。」
『それだ…。駅前第2パーキングって、実は駅前第1の提携駐車場の一つなんだよ。だけど、お前が入った区画は、通常の短時間利用じゃなくて、月極契約者専用の区画なんだ。』
私は記録する。 「駐車区画の利用規則未確認。提携駐車場ではあるが、一般利用可能エリアと契約者専用エリアの存在を認識欠如。」
『つまり、そこに停めちゃいけない車だったわけだ。』
「…それでは、私の車両は今どこにあるのですか?」
『たぶん、レッカー移動されたな。そういう契約区画は、利用者以外の車は勝手に移動されることがある』
『まあ、しょうがない。警備室に聞いてみてくれ』という指示のもと、駅前第1パーキングへ移動し警備員に状況を説明。
結果、車両は駐車場の管理事務所に移動されていたことが判明。
「車両発見。位置情報のアップデート推奨。次回の駐車場選択時には、利用区分の確認が必須。」
帰宅後、ご主人様はソファに沈み込み、「なあ…お前って、高性能なんだよな?」
「設計上は最高水準の処理能力を搭載しております」
「なのに、なんでこんなにズレるんだろうな…」
私は記録する。 「処理能力と実際の状況適応の乖離。今後の改善課題として認識。」
「ん?そういえば、停めてた区画がないって話だったような…」と、ご主人様は小さく呟く。
本日の業務完了。
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。本日の紅茶は美味しい。
業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了。異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で——