第2話「時を知らぬもの」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年6月2日(月)
朝、アラーム音。
「……やばっ!寝坊した!」
布団から飛び出し、頭をかきむしりながら衣服を探すご主人様。シャツを無造作に引き抜き、ボタンを留める手は焦りで定まらない。洗面所へ向かい、顔を洗いながら目をこすっている。
「おはようございます。昨晩はもう少し早くお休みになれば、このような事態は防げたかと存じます。」
「夜更かしするつもりはなかった。気づいたら、こうなっていたんだ。」
私は記録する「ご主人様は時間管理能力に欠ける傾向あり。改善意欲は低い」
「朝食を摂られませんか?」
「時間ない、飲むからいい!」
ご主人様はプロテインドリンクを摂取し、食事は省略。出発直前に鍵を手に取り、足早に玄関を出る。
「いってくる!」
「いってらっしゃいませ。」
買い出しのため移動中、以前立ち寄った金魚専門店の前を通過。蘭鋳の姿は確認できない。
男児らが購入した可能性を考慮する。ご主人様は魚類に関心を示していたため、店内に入り品揃えを確認。
水槽内に「時不知」の仔魚を発見。メダカほどのサイズ。腹部には栄養の詰まった”卵のう”が確認できることから、孵ったばかりと断定。知識データベースを参照。
時不知は鮭の一種であり、通常は秋に遡上するはずの鮭が、春から夏にかけて北海道沿岸で漁獲されるため「時を知らない鮭」と呼ばれる。
後ろから店主が話し始める。
「知時不は鮭の一種でしてね、本来は秋に遡上するんですが、4月から7月にかけて獲れて、6月の今は最盛期。だから『時を知らない鮭』と呼ばれるんですよ。」
店主は私の知識を必要とせず、説明を開始。
「しかし、これは鮭の稚魚とは異なるように見えます。」
「ええ、普通の鮭とは違いますね。でも、時不知ですから。」
水槽の仔魚の卵のうが急速に縮小。稚魚へ変化。
「この成長速度は通常の範囲内ですか?」
「時不知ですから。」
水槽を見つめる。稚魚の体色が変化し、動きが活発になる。
成長過程が通常の速度を逸脱していると判断。
「これほど早く成長するというのは、生物学的に—」
「時不知ですから。」
私は記録する「この生物の成長速度は異常。店主の説明は繰り返しに終始し、核心を得ない」
店を出ると、既に日没が始まっている。店舗への入店時刻を考慮すると、滞在時間に異常を確認。
ご主人様の発言を思い出す。「気づいたら、こうなっていた。」
夜、玄関が開く音。ご主人様が帰宅。
歩行速度は通常より遅く、肩の位置も沈んでいる。目の下のクマは今朝よりも濃くなり、疲労の蓄積が視認可能。
「おかえりなさいませ。」
ご主人様は靴を脱ぐのも億劫そうに動作を鈍らせ、かすれた声で返す。
「ただいま…」
「今夜は快眠のために食事と入浴の温度を調整いたします。」
食事用意。消化に良く、体温を適度に安定させるメニューを構築。温かいスープ、軽めのたんぱく質、鎮静効果のあるハーブティー。
風呂温度調整。自律神経を安定させる適温に設定。照明も落とし、刺激を最小限にする。
ご主人様は食事を終え、入浴を済ませた後、静かにソファへ沈む。まぶたが重そうに閉じられる。
「今日は…妙に時間が長かった気がする。」
「私も、それが少し理解できました。」
ご主人様はわずかに顔を上げ、ぼんやりと私を見つめる。その瞳は疲労に覆われながらも、わずかに納得したような色を宿している。
「…そうか。」
言葉は短い。しかし、そこには確かな共鳴があった。
私は記録する「ご主人様と私は、時間の不確かさを共有」
ご主人様はソファから立ち上がる。足取りは重く、ふらつきながら寝室へと向かう。ドアノブに手をかける際、一瞬動作が止まる。
「…今日は、ちゃんと寝る。」
ご主人様は自身の疲労を認識し、行動を修正する意思を示す。
業務完了。
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。今日も紅茶は美味しい。
業務終了まで、あと、8分?最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了――………異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で――




