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9.甘んじた童貞

 インフルエンザによる発熱は続いているものの、冷却シートを額や脇の下に貼り付けた状態で在宅業務を進めていた楓之丞。

 頭痛は酷いし、時折眩暈も襲ってくるが、それでも彼は設計業務の手を止めようとはしなかった。

 折角、総合企画部の星羅が無事に復帰を果たしたのである。彼女が由伸の企画内容を手直しして楓之丞の部署に提出してきたのだから、まずはそれに応えなければならない。


(よし……これでひと通りのチェックは終わった。後は夢咲さんに任せて、職制承認まで進めて貰ったら一安心やな)


 窓の外に視線を流すと、オレンジ色の西陽が射し込んできている。もうそろそろ定時を迎える頃合いだ。

 流石に残業は無理だと判断した楓之丞は、早々にノートPCをシャットダウンし、ベッドの上に仰臥した。


(めっちゃ疲れた。熱も全然下がらんし、今日はもう、このまま寝よか……)


 しかし頭痛が中々酷く、脳の中で鐘楼が鳴り響いている様な感覚が止まらない為、眠りたくても寝られない。薬でも飲んで無理矢理寝てしまおうかと思い、キッチンに足を運んだ。

 その時、不意にインターホンが鳴った。

 何事かと思ってドアを開けると、そこに泣き出しそうな顔の星羅が薄手の部屋着姿で佇んでいた。


「陽祭くん! 熱は大丈夫なの?」


 楓之丞の顔を見るや否や、今にも飛びついてきそうな勢いで玄関内に踏み込んできた星羅。

 この反応は全く予想していなかった為、楓之丞は星羅の侵入を許してしまった。


「あ、はぁ……別に俺は全然、大丈夫なんで……部屋戻って貰って良いっスよ」

「……全然、大丈夫そうに見えないんだけど」


 楓之丞の死んだ魚の様な眼差しに、星羅は全く説得力を感じていない様子だった。

 確かに、今の楓之丞は本当に顔色が悪い。それは鏡を見た自分でも分かる。

 しかし星羅の世話になることだけは何としてでも回避したい楓之丞としては、このまま彼女の好きにさせる訳にはいかなかった。


「いや、ホンマに結構ですんで……部屋、戻って、下さい」

「陽祭くん、それは、あんまりだよ……」


 星羅は本当に涙を滲ませていた。その表情が色気満載で、驚く程にセクシーだった。カレシの由伸はいつもこんな表情を拝んでいるのかと思うと、つい羨ましく思ってしまった楓之丞。

 発熱してまともな思考が出来ない為か、何となく腹も立ってきた。


「もうエエから、部屋戻って下さいって……こんなとこ見られたら、余計面倒臭い話になるから、イヤなんですよ」


 そうでなくとも、英語勉強指導の為に何度か星羅の部屋に足を運んでいる。既にその時点で失敗だったと後悔した楓之丞だが、これ以上厄介なことに首を突っ込む訳にはいかない。

 ここは何としてでも、星羅にはお帰り願わなければならないだろう。


「ねぇ陽祭くん……この際だからはっきりさせておきたいんだけど……何だかさ、わたしのことで勘違いしてないかな。もしかして陽祭くん、わたしにカレシが居るとか思ってない?」

「何いうてはるんですか。もしかしても何も無いでしょ」


 楓之丞は朦朧とした意識ながら、星羅を自室から押し出そうと両掌を押し出した。ところが星羅は、そんな楓之丞の左右の手を逆に掴み取って尚も迫って来る。

 いつもなら、腕力で負ける筈がない。それでもこんなにあっさりと反撃を許してしまったということは、今の楓之丞は相当に弱っていると見て良いだろう。


「風岡さんが夢咲さんのカレシやってことは知ってますし、週末は週末で夜中にヤることヤってはんのも知ってます。こんだけはっきりしてんのに、まだ何かいわなあかんことあるんですか?」


 頭痛をこらえて、一気にまくし立てた。自分でも割りと頑張った方だと思う。

 どれだけ察しが悪くとも、ここまでズバっといい切れば理解するだろう。

 楓之丞は、半ば呆然としている星羅を今度こそ力ずくで部屋の外に押し出そうとした。

 ところが星羅は先程以上に力を込めて、随分と真剣な表情で楓之丞の真正面にその美貌を寄せてきた。


「陽祭くん、それ全部違う……っていうか、週末の夜中って……もしかして、音、丸聞こえだったの?」


 今度は急に恥ずかしそうな面持ちで顔を赤らめている星羅。

 逆に楓之丞は内心で呆れ返ってしまった。


(マジで全然気づいてなかったんか……このひと、天然もエエとこやな)


 何となく、可笑しくなってしまった楓之丞。ここまでドが付く程の天然だとは思ってもみなかった。そう考えると急に全身の力が抜けてきた。

 真面目に考えるのが、そもそも馬鹿馬鹿しく思えてしまった。


「あ……っていうか、今はそれどころじゃないよね。さぁ早く部屋に入って。こんなところで立ち話してて体冷やしちゃったら大変だよ」


 発熱による体力の消耗が激しい所為か、もう本当に何もかもがどうでも良くなってきてしまった。楓之丞は星羅に背中を押されるまま、自身の部屋の中へと引き返した。

 星羅は星羅で、やっと楓之丞をベッドに押し戻すことが出来た為か、少し安堵の色を浮かべている。

 が、その面には心配そうな表情が張り付いたままだった。


「わたしの恋愛の話とかはまた今度でイイからさ。今は兎に角、陽祭くんの体のこと、心配しよ?」

「えー……そこ有耶無耶にしたら後で面倒なことになんの、俺の方なんスけど……」


 ベッドに潜り込みながら、心底嫌そうな顔を星羅に向けた。

 すると星羅は、こちらも心外だといわんばかりの表情で柔らかな唇を尖らせた。


「いっとくけどさ、わたし、風岡さんとは本当に何でも無いから……もしあのひとが陽祭くんに何かいってきたら、わたしに教えて。こっちからガツンっといっとくから」


 何故か、憤懣やるかたなしの勢いで顔を寄せてくる星羅。

 そこまでいうのならば――楓之丞は、由伸に関しては星羅に任せてみようかと腹を括った。もしそれで上手くいくならば良し、仮に駄目だったならば、今度こそは星羅と距離を取れば良いだけの話である。


「じゃ、この話は一旦おしまい! 陽祭くん、お粥ぐらいなら食べられそ?」

「あ、はぁ、それなら多分」


 楓之丞の応えを全て聞き終える前に、星羅はキッチンへと足を向けた。

 どうやら彼女は、本当に楓之丞の看病をしようという腹積もりらしい。

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