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8.感染した童貞

 星羅の部屋での看病も、三日目となった。

 楓之丞は自身の作業用ノートPCを彼女の部屋に持ち込んで居座り、在宅勤務の傍ら、食事を用意したり着替えを手伝ってやるなどして星羅の回復に一役買った。

 その成果が、出始めている。

 星羅は随分と顔色が良くなってきて、あれほどにぐったりと辛そうにしていたのが、もうすっかり調子を取り戻した様に見えた。

 体温も37度台前半にまで落ち着き、頭痛や全身の痛みなども相当に和らいでいる様子だった。


「もうだいぶん、体も動く様になってきたよ……陽祭くん、本当にありがとう」


 楓之丞が用意した夜の病人食を全部平らげたところで、星羅はベッド上に正座して深々と頭を下げてきた。

 どうやら彼女は自力で食器を下げ、洗い物も自らの手で行える程度には復活した模様。これならば、もう心配の必要も無いだろう。


「もうお風呂にも入れるでしょうね。確か、明日か明後日ぐらいからは出勤出来るんでしたっけ」

「うん……でも一応、念の為に今週一杯は在宅でやらせて貰える様に申請しとこうと思って」


 確かに、その方が良い。

 楓之丞はノートPCを閉じて小脇に抱え、のっそりと立ち上がった。もうこれ以上の看病は不要だろうから、自室に戻ろうと考えた。

 実際看病の為ではあったが、この三日間はほとんど星羅の部屋で過ごし続けた。流石に、いつまでも女性の部屋で無駄に寝泊まりする訳にもいかないだろう。


「ほんなら、俺はもう戻りますね。治りかけが一番ヤバいですから、変に動き廻らんと、今日はもう一日ゆっくり寝て過ごして下さい」

「ありがと……わたしが完全復活したら、絶対に恩返しさせて貰うね」


 その星羅の声を背に受けて、楓之丞は彼女の部屋を出た。

 正直、恩を返したいと思うのなら、今回の看病のことは口外無用、秘密にしておいて貰いたい。年頃の男女ふたりが三日も同じ部屋に居続けて何も無かったというのは、普通に考えればあり得ない話であろう。

 だが事実として、楓之丞は星羅には一切手を出さなかった。彼女の体に触れたのは着替えの為に上体を起こしてやったり、汗まみれの体を拭いてやったりしただけであり、いかがわしいことは何ひとつしていない。


(第一、皮被ったまんまの臭いアレを女のひとの前にさらけ出すなんて、格好悪うてよぅやらんわ)


 そんなことを考えながら自室に引き返した楓之丞。

 少し緊張していた所為か、ベッドに横たわったところで急激な睡魔が襲い掛かってきた。


(あんな綺麗なひとの無防備な姿を横にして、己の欲望を抑えつけるっちゅうのも中々、ハードやったなぁ)


 楓之丞に性欲が無い訳ではない。

 しかし、高熱にうなされて苦しんでいる相手を性のはけ口にするなど、以ての外だった。女性と夜を過ごすならばお互いに元気な時に、というのが絶対条件だ。

 熱病にうなされ、苦しんでいる相手の弱みに付け込むなど、卑劣も甚だしい。

 絶対に、そんなことだけはしたくなかった。


(ま……俺の包茎、見られんのが嫌やったってぇのもあるけど……)


 などと下らないことを考えているうちに、どんどん睡魔が強くなってくる。今日はもうこのまま、眠ってしまおう。シャワーは明日の朝にでも浴びれば良い。

 すると、隣室から大量の水が流れる音が響いてきた。どうやら星羅が、久々のシャワーでその豊満な体を綺麗に洗い流しているものと思われる。


(長いこと、汗かきっぱなしやったもんなぁ……そらぁ、シャワー浴びたくなるよな)


 この時、ふと脳裏に星羅のグラマラスな裸体を思い浮かべてしまった楓之丞。

 だが、すぐに打ち消した。

 カレシ持ちの美女のヌードを連想するなど、負け組の典型の様な思考だ。余りにも馬鹿馬鹿し過ぎる。


(で、夢咲さんが元気になったら、またどうせ風岡さんが何事も無かったかの様な顔で、しれっと遊びに来はるんやろな……エエ身分やわ)


 都合の良い時だ、星羅の部屋を訪れて彼女の肢体を堪能するのだろう。

 逆に楓之丞は星羅が最も苦しい時に手を差し伸べたが、何の役得も見返りも無い。本当にただ、馬鹿を見ただけである。

 隣室で苦しんでいる彼女を見捨てることが出来なかったから今回は助けてやったものの、もうこんな真似は二度とやらない方が身の為であろう。


(もうエエわ……寝よ)


 楓之丞はシーリングライトを消灯し、それから程無くして、静かな寝息を立て始めた。


◆ ◇ ◆


 翌朝、何故かベッドから起き上がれない。

 全身がやけに重かった。


(お……早いな。もう発病した?)


 楓之丞は、自身が星羅からのインフルエンザウィルスに感染しているだろうと予想していたが、こんなにも早く発症するとは思っていなかった。

 が、感染自体は想定内である。星羅の看病を始めた時から、こうなることは覚悟していた。

 それでも星羅の為にあれこれ手を尽くしてやったのは、きっと自分の中に、彼女に対する憧れの念があったからだろう。


(カレシ持ちのひとに気ぃ持つなんて、俺もどないかしてるな……)


 自嘲の笑みを浮かべながら、ゆっくりと上体を起こした。全身の節々が痛み、強烈な頭痛と喉の痛みが襲い掛かってきた。

 間違いなく、インフルエンザが発症している。この頭痛と悪寒は高熱が出始めている証拠だろう。

 だが楓之丞は構わず立ち上がり、凄まじい程の苦痛に耐えながらもシャワールームへと向かった。


(こんなもんで、いちいち倒れてられっか……カポエイラの合宿の方が、よっぽどしんどいわ)


 何とか必死に空元気を押し出しながら、辛うじてシャワーを浴び終えた。

 更に食欲など欠片も無かったが、嘔吐感に耐えつつ簡単な食事をも済ませた。


(俺が感染したことは、夢咲さんに知られる訳にはいかんよな……あのひと、絶対に気に病むやろうし)


 楓之丞は歯を食いしばりながら、作業用のノートPCを開いた。

 自身がインフルエンザに感染したことは上司にだけ伝え、それ以外には一切伏せるつもりだった。

 普通であれば、隣室の星羅に助けを求めるべきだろう。しかし楓之丞にはその気は無かった。


(俺は夢咲さんを助けるけど、その逆はお断りや。あのひとに助けられるぐらいやったら、ひとりで死にそうな目に遭う方が気ぃ楽や)


 星羅の世話になったとなれば、きっと由伸が難癖をつけてくる。

 それだけは、真っ平御免だった。

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