7.看病する童貞
ところがその週末、星羅の部屋は随分と静かだった。
あれだけ毎週の様にセクシーな喘ぎ声を響かせていたというのに、今回は嘘の様に静まり返っている。一体何があったのだろう。
(体調でも悪いんかな?)
お隣さんだから見舞いぐらいは行っても良いかも知れないが、由伸とばったり鉢合わせなどしようものなら、またそこで面倒なことに巻き込まれる恐れもある。
(何かあったら、カレシ呼ぶやろ……)
ここは下手に口出ししない方が賢明だ。
多少は気にならないことも無かったが、楓之丞はだんまりを決め込んだ。他人のオンナと関わる様な危険な橋は渡れない。
兎に角も今は、星羅と距離を取ることが何よりも最善だと判断した。
ところが週明け月曜朝一の合同企画会議に顔を出すと、そこに星羅の姿が無かった。
総合企画部側の説明によれば、発熱でダウンしているということらしい。
(あー、やっぱり寝込んでたんか)
不気味な程に静かだったこの土日の様子に楓之丞は内心で苦笑を滲ませたものの、しかし総合企画部の面々は星羅の詳しい容態が分からないので少し困っているなどと語っていた。
一体どういうことなのか――楓之丞は内心で小首を捻った。
(このひと、何してんのやろ……カレシやのに、何も状況掴んでへんのかな)
他の同僚達と同じ様に困惑の色を見せている由伸に、楓之丞は不審な眼差しを送った。この場の中では誰よりも一番、星羅の容態を把握しておかなければならない筈の人物が、何も分かっていない素振りを見せている。
余りに白状過ぎないか。
(やっぱり、あのひと見る目無いわ……)
楓之丞は呆れた。と同時に、今夜辺り様子を見に行った方が良いだろうとも考えた。
そして定時後に残業することも無く、早々に帰宅を果たしたところで、楓之丞は隣室のドアを叩いた。
「夢咲さん、生きてますかー?」
呼びかけてからしばらくすると、内側から解錠の音が響いた。それから更に数秒程経過してから、ゆっくりとドアが開いた。
現れたのは、汗まみれの薄着で今にも死にそうな顔つきの星羅だ。マスク越しに、ぜぇぜぇと呼吸が乱れているのが分かる。
「あ、陽祭くん……もしかして、様子見に来てくれたの……?」
「はい……けど、こらぁちょっと見舞いして終わりって訳にはいかなさそうですね」
いうが早いか、楓之丞は足元がふらついている星羅の柔らかな体躯を所謂お姫様抱っこの要領で抱え上げ、そのまま室内へと踏み込んでいった。
「あ……ちょ、ちょっと、陽祭くん……」
「危ないから動かんで下さい」
楓之丞は足早にベッドへと歩を寄せ、星羅をシーツの中へと押し込んだ。が、流石にこのままでは衛生的に宜しくない。
女性の部屋を物色するのは気が引けたが、しかし今はそんなことをいっていられる場合ではなかった。
「夢咲さん、着替えましょう。替えの部屋着はありますか?」
「あ、うん……そこのタンスの上から二段目……」
星羅が指差すタンスから薄手のスウェット上下を引っ張り出した楓之丞は、着替えそのものは本人に任せながら自らはキッチンへと向かった。
シンクを見たところ、ほとんど食事した形跡が見られない。これでは体力が落ちる一方で、回復など見込めないだろう。
「ちょっと色々、お借りしますよ」
「え、イイよ……そんな、そこまでして貰わなくても……」
着替え終えてベッドから上体を乗り出す格好を見せている星羅。しかし楓之丞は彼女の言葉に耳を貸すつもりは無かった。
「病人は黙って寝てて下さい。お薬があるってことは、お医者さんにはもう診て貰ったんですよね?」
「あ、うん……流行にはちょっと早いけど、インフルエンザだった……」
そうなのかと内心で若干の驚きを覚えつつ、しかし楓之丞は手早く病人食を仕上げていった。
今の状態ではバランスの良い栄養は摂れないが、体力の低下は防がなければならない。その為にも最低限、白粥と塩昆布などを胃の中に押し込んで貰う必要があるだろう。
やがて楓之丞は、ベッド脇に寄せたテーブルに病人食を並べた。
「その……ありがとね、陽祭くん……」
「俺のことは気にせんで良いですから、ちゃんと食べて、ゆっくり寝て下さい」
楓之丞は処方された薬を手に取り、その日付を凝視した。処方されたのは今日だ。ということは、発熱し始めたのは土曜の夜か、日曜辺りか。
そう考えると、高熱のピークはそろそろ過ぎつつあるのかも知れない。
「もう一日程しんどいの我慢したら、少し楽になるでしょうね」
「うん……でも、陽祭くんに感染したら悪いから、今日はもう、帰って貰って大丈夫だよ……」
申し訳無さそうに上目遣いで見つめてくる星羅だったが、こんな姿を見せられては、はいそうですかとあっさり引き返す訳にもいかなかった。
楓之丞は再び、病人は余計なことなど気にするなとぴしゃりといい放った。
「もう少しマシになるまで、俺がちゃんと面倒見ます。幸い、明日明後日は元々在宅勤務予定でしたから……すんませんけど、このお部屋のWiFi、お借りしますよ」
「うん……っていうか、えっと、もしかして……ここでお仕事するつもり?」
弱々しい顔で幾分目を丸くした星羅。
楓之丞は、さも当然だとばかりに頷き返した。
「御迷惑でしょうけど、夢咲さんには早く復帰して貰わんと、企画が進まないんです。せやから、今回だけは目ぇ瞑って下さい」
それに加えて、楓之丞は由伸に対しても少しばかり腹が立っていた。
あれだけ大口叩いておきながら、肝心な時にカノジョである星羅の役に立っていないというのは、一体どういうつもりなのか。
今回の看病は、いうなれば意趣返しの様なものだ。
そして同時に、もう少し恋人のことをいたわってやれという楓之丞なりの意思表示でもあった。
(次またふざけたこというてきたら、今回のことをバシっと突きつけて、何もいえん様にしたろ……)
病床の星羅には申し訳ないが、彼女には由伸撃退の材料になって貰う腹積もりだった。