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4.押しに弱かった童貞

 この食事会では軽く夕食だけを済ませて、速攻で逃げ帰るつもりだった楓之丞。

 しかしどういう訳か、場の空気が変な方向に進み始めている。

 高校在学中に第一種電気工事士と第三種電気主任技術者の両方に合格するだけでも相当なエリートであるというのに、更にTOEICスコア990を叩き出すのは尋常ではない、などと若手先輩社員がやたらと持て囃すものだから、総合企画部の四人の女子社員らは随分と楓之丞に注目する様になってしまった。


「いや、俺、あんまりオモロイ話とか出来ませんので……」

「そんなの気にしなくてイイってば……それで陽祭クン、お休みの日とか何してんの?」


 星羅の隣に座っている女子社員――こちらも結構な美人で、星羅とはまた違った魅力に溢れているギャル系の女性だった。確か、市ヶ谷由梨枝(いちがやゆりえ)という名だった筈だ。

 それにしても、困ってしまった。星羅のみならず、由梨枝もやけに目を輝かせて楓之丞に艶然たる笑みを投げかけてきている。

 その楓之丞は、女性が喜ぶ様な話題など何ひとつ用意していない。実際、今日のところは本当にただ夕食を済ませることだけを目的にしていた。

 その為、取り敢えず訊かれたことには素直に答える、ということに終始する他は無かった。


「えぇっと……カポエイラとブラジリアン柔術の道場に通ってるぐらいっスねぇ」

「え、何それ……お前、もしかしてバリバリの格闘家?」


 すると、星羅でも由梨枝でもなく、隣に座っていた若手先輩社員が食いついてきた。

 カポエイラはブラジル発祥の格闘技として知られている。

 元々は奴隷達が練習していた格闘技なのだが、戦闘技術を学んでいることを悟られぬ様に、音楽とダンスの要素を組み合わせることで、支配者の目を誤魔化していたという歴史がある。

 そしてブラジリアン柔術はグレイシー柔術から発展したブラジルの格闘技だ。こちらは組み技や投げ技を主体としている為、カポエイラの蹴り主体の打撃技と組み合わせれば、楓之丞の個人戦闘能力は相当に高いレベルにあることが伺えるだろう。


「ガキん頃、実家の近くでブラジル人が道場開いてまして……んで、ちょっと体鍛えとこかって思って通い始めただけなんスけど」

「カポエイラって初めて聞いたんだけど……へぇ~、ダンスみたいな動き、するんだね」


 由梨枝がその場でスマートフォンを取り出し、軽く検索した様だ。

 他の面々も由梨枝に倣って同じ様に調べ始めている。


「海外行ってヤバそうな連中に絡まれても、陽祭くんが居てくれたら安心だね」


 星羅が遠回しに、海外旅行へ誘っている様な台詞を放ってきた。


(いやいやだから……あんたカレシ居てるでしょうに)


 楓之丞は愛想笑いを返しながら、内心で渋い表情。もしかするとお隣さんは、とんでもないビッチだったりするのだろうか。

 そう考えると、現在のカレシである由伸が少し気の毒に思えてきた。きっと彼は、星羅の本性など知らずに騙され続けるのだろう。

 女のひとって、本当に怖い――楓之丞は密かに震え上がる思いだった。

 そしてその後も、女子社員らは何かにつけて楓之丞に話題を振ってきた。

 楓之丞としては彼女らとは余り仲良くする気は無かった為、適当に相槌を返すことに専念したが、それでも結構色々と訊かれてしまった。

 やがてひと通り食事も終わり、場はお開きとなった。


「それじゃあ、お疲れ様でしたー。また明日ー」

「はーい、お疲れー」


 店の前で挨拶を交わし、それぞれの家路に就いた若手社員達。

 楓之丞はやっと解放されたとばかりにそそくさと駅方向へ足を急がせようとしたが、気が付くと、いつの間にか隣に星羅が肩を並べていた。

 一瞬何故彼女が、とも思った楓之丞だったが、よくよく考えれば同じアパートに住んでいるのだから、帰る方向が同じなのも当然の話だった。


「今日は楽しかったなぁ……陽祭くんのこと、いっぱい聞けたし」

「あー、そうですか……」


 傍らに星羅が居る以上、ここからまだ、帰宅するまでの間は緊張を解くことが出来ない。

 楓之丞は、自身を歩道上の車道側に身を置いた。この程度のことは、或る種のマナーとして楓之丞も心得ていた。

 最初の内は、先程まで盛り上がっていた食事会での話題の続きであったり、或いは合同企画会議でのことで終始していたがが、やがて星羅の興味がプライベートな部分に向き始めてきた。


「あ、そういえばさ……陽祭くんってカノジョ、居るの? あ、御免ね。答えたくなかったら答えなくてイイから……っていうか、先輩が後輩にこういうこと訊くの、セクハラになるんだっけ?」


 申し訳無さそうに頭を掻きながら、苦笑してペロッと舌を出す星羅。

 そんなことを訊いてどうするのかと内心で小首を傾げつつ、楓之丞はカノジョは居ないと素直に応じた。


「え、そうなんだ……陽祭くん、普通にイケメンだし、頭イイし、体も鍛えてて……それでカノジョ居ないなんて、ちょっと不思議……」

「そうなんですか」


 楓之丞はすっとぼけた。自分が真性包茎だからカノジョを作る勇気を持つことが出来なかった、とは流石にいえなかった。

 と、ここで星羅はいきなり、ずいっと顔を寄せてきた。


「あのさ、こんなことお願いしてイイか分かんないけど……その、わたしに英語の勉強、教えてくれない?」


 曰く、星羅はTOEICでもっと高いスコアを取りたいらしい。

 そういう意味でいえば、スコア990を毎回叩き出している楓之丞に教えを乞うのは、正しいといえば正しい選択かも知れない。

 だが問題は、星羅が同じ安アパートの隣人だという点だった。


「折角お隣同士だから、その、わたしの部屋でじっくり教えてくれたら、嬉しいんだけど……」


 楓之丞は思わずぎょっとした顔で、目の前の美貌に驚きの視線を返してしまった。

 この申し入れに対しては、流石にふたつ返事でOKを口にすることは憚られるだろう。


(カレシ持ちのひとの部屋に上がり込んで、付きっ切りで勉強教えるなんてなぁ……後が怖い)


 そうでなくとも、週末の夜にはヤリ部屋と化している場所にお邪魔するなど、色んな意味で緊張してしまうに違いない。


「駄目……かな?」

「あ……はぁ、ちょっとぐらいなら」


 更にぐいぐい迫ってくる星羅の熱を帯びた瞳に、結局押し負けてしまった楓之丞。

 ヤバいことに手を出してしまったのではないかと後になって悔やんだりもしたが、時既に遅しだった。

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