2.やっつけてしまった童貞
取り敢えず、今日の合同企画会議では大人しく黙っていようとの方針を固めた楓之丞。
(夢咲さん……しれーっと澄まし顔してるけど、夜はあんだけ激しいんやなぁ……)
総合企画部側からの説明の間も、ふとそんなことを考えてしまった楓之丞。そして何かの折に一瞬、星羅と目が合いそうになってしまい、慌てて顔を背けたりした。
(あかんあかん……今は仕事中、ちゃんと集中しよ……)
内心で自らに気合を入れ直して、ホワイトボードに視線を向ける。その傍らでは、総合企画部の若手社員が資料片手に熱弁を振るっていた。
その若手の男性社員の顔にも、楓之丞は見覚えがあった。
確か、風岡由伸という同期だった筈だ。彼は大卒だから少なくとも四歳年上ということになる。
由伸は今年の春、楓之丞と同じく新卒枠で採用されたイケメンである。そしてその由伸の姿を最後に見たのは隣室、即ち星羅の部屋の玄関前だった様な気がする。
ということは、この由伸が星羅のカレシという訳か。
(あー、成程、社内恋愛ってやつっスね。まー、夢咲さんぐらいの美人なら、風岡さんの様なイケメンが丁度エエってなところか)
そして更に想像が膨らんだ楓之丞。
週末の夜、星羅の部屋で彼女にあれだけ激しい喘ぎ声を出させているのは、今ホワイトボードの横で今回の企画案を必死に説明している由伸だという訳か。
そう考えると、これはこれで少しばかり微妙な気分になってしまう。
(あんた方ふたりの所為で、毎週末の夜はうるさくて仕方が無いんスけど……)
おまけに、皮を被った股間の物が刺激されまくってどうしようもない、なんて文句のひとつもいいたくなった楓之丞だったが、流石に今は勤務中だ。そんな台詞を口に出来る筈もない。
ともあれ、込み上げてくる複雑な感情を抑え込みつつ由伸の説明にじっと耳を傾けた。
ところがどうにも、ところどころで首を傾げる様な部分が散見された。特に電気系統の説明では、
(いや……これはあかんのちゃうの)
と思わざるを得ない様な回路の組み方をしている箇所があり、この企画内容をそのまま通すのは如何なものかと思い始める様になっていた。
その楓之丞の感想は、左右に座っている上司や先輩社員も同様らしく、彼らも矢張り、微妙な表情で時々楓之丞に訝しげな視線を送ってくる様になっていた。
(これは……俺に口を挟めってことやな)
上司も先輩も、視線でGOサインを出している。
新入社員の由伸に対し、年下ながら同期である楓之丞が一発かましてやれという訳だろう。
「あの~、ちょっと宜しいですか?」
「はい、どうぞ」
説明がひと段落したところで楓之丞が手を上げると、由伸は相手を見下す鷹揚な面持ちで頷き返してきた。すると星羅がどういう訳か、少し驚いた様な反応を見せていた。
楓之丞はふたりの表情には余り目を向けず、ホワイトボード前に足を運んで青色のペンを手に取った。
「現場側の目から見て、ちょっと問題があると思われる箇所が幾つかあるんで指摘させて貰いますね」
ここから先の楓之丞による問題点の羅列は、怒涛の勢いだった。
明らかに配線的におかしな箇所や抵抗の計算が間違っている箇所など、基本的な部分だけでも十数カ所に及んでいた。
これだけ幾つも問題点があるとなると、実際に装置を組み上げた際には大きな事故が起こりかねない。
その危険性についても説明してみた楓之丞だったが、ひと通り伝えたいことをいい終えると、会議室内は妙な静けさに包まれていた。
由伸は、恥ずかしさと悔しさを滲ませた表情で顔を真っ赤にしているし、総合企画部側の上司や先輩社員連中は不思議と納得した様な顔で頷き返している。
そして星羅に至っては、驚きの中に何故か羨望に近しい感情を面にあらわしていた。
(え、何この空気……俺何か、やらかした?)
微妙に嫌な予感を覚えながら、楓之丞は自席へと戻った。
確かに、ことごとくケチを付けられた由伸としては面白い筈もなかっただろう。しかしどういう訳か、他の総合企画部社員らは逆に満足した様子で静かに微笑を浮かべていた。
「いやはや……流石、設保のスーパールーキー、伊達にエースと呼ばれてはいませんね。見事な指摘でした」
総合企画部の年配の課長が穏やかに笑いながら、何故か楓之丞を変に持ち上げたりした。
一体その裏にはどんな思惑が隠されているのか――少し気味が悪くなった。
「えと……今回ご指摘頂いた内容を持ち帰って、再度総合企画側で案を練り直します。次回までに企画案を修正してサーバーにアップしますので、その際はまたご連絡致します」
最後に星羅がそう締めくくって、今回の合同企画会議は終了した。
◆ ◇ ◆
後で知ったことだが、楓之丞が散々に駄目出ししまくった例の企画案は、どうやら由伸主導で立案したものだったらしい。
総合企画部の課長や先輩社員らはその内容に難色を示していた様だが、同部の室長が由伸の将来性を妙に買っており、是非一度、合同企画会議に打ち上げさせろと命じたというのである。
室長命令とあれば総合企画部の課長も先輩社員らも逆らうことが出来ず、仕方なく由伸の企画案を合同企画会議に持ち込ませた格好だったが、結局のところ、設置保守施工部の若きエースである楓之丞にこてんぱんにしてやられたという訳だ。
総合企画部の室長や由伸にしてみればすっかり顔を潰された格好だが、同部の課長や先輩社員らは留飲を下げた結果となったらしい。
そういえば会議終了の際、総合企画部側で肩を落としていたのは由伸ただひとりで、他の面々は妙に顔が晴れやかだったのだが、あれはそういうことだったのか。
(後で変なトラブルとかに、巻き込まれたりせんやろか……)
ふと、嫌な予感が脳裏を過ってしまった楓之丞。
何となく釈然としないまま休憩室へ足を運び、自販機で缶コーヒーを買おうとした。
ところがその時、不意に横合いから涼やかで艶のある声が呼びかけてきた。
星羅だった。
「お疲れ様です。さっきはありがとうございました」
「あ、ども、お疲れ様です……」
内心でドキっとしてしまった楓之丞。星羅の美貌を真正面に見据えると、どうしても彼女の夜の声が頭の中でリピート再生されてしまう。
挙動不審にならないよう、必死に心を落ち着かせようと頑張った楓之丞だが、果たして顔に出ていないだろうか。