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15.誘惑される童貞

 カフェチェーン店を出て大通りを駅方向に歩こうとした楓之丞だったが、すぐにその足を止めた。

 後ろから叶恵が追いかけてきて、大声で楓之丞の名を連呼したからである。

 無視しても良かったが、しかし叶恵の所為で周囲から変な目で見られるのも何となく腹立たしかった為、仕方なく足を止めて彼女の到着を待った。


「……気安ぅひとの名前大声で連呼せんでくれる? めっちゃ恥ずかしいんやけど……」

「ご、御免……でも、あたしまだ、楓くんに御礼いえてなから……」


 はぁはぁと肩で息をしながら、それでもキャラメルブラウンの艶やかなショートボブを揺らしてにっこりと微笑んだ叶恵。こうして見ると、本当に美人だ。

 実際、見た目だけならば本当に天使の様な女性だが、三年間も散々ひとを小馬鹿にしてきた女であるという事実に変わりはない。

 楓之丞としては、叶恵とはさっさと距離を取って赤の他人になってしまいたかった。

 しかし彼女は図々しくも楓之丞の上着の裾をちょこんと摘まんで、何気に友人っぽい空気を作っている。

 中々しぶとい幼馴染みだった。


「御礼って、何がよ」

「だからさ……楓くん、ちゃんとあたしの望み通りに助けてくれたじゃない」


 いわれてみれば、確かにその通りではあった。楓之丞は間違い無く、輝樹と別れたいという叶恵の希望を実現させてやった。

 輝樹の前ではあれ程に罵詈雑言を並べて叶恵を徹底的にこき下ろしたものの、結果的には彼女が最も望んでいた形に落ち着いた訳である。

 つまり楓之丞は何だかんだいいつつ、しっかり叶恵を助けてやった訳だ。

 その事実は楓之丞としても、認めざるを得ないだろう。


「あたし、ずっと悩んでたの。どうすれば確実に輝樹と別れられるかって……それを楓くんが、たったの一時間ぐらいで解決してくれたんだもん。ちゃんと御礼しなきゃ、本当にただのろくでなしになっちゃうよ」

「今でも十分、ろくでなしやで」


 いいながら楓之丞は、自身の上着の裾を摘まんでいる叶恵の手首をそっと掴んで、ぐいっと押し返した。

 ところが叶恵はもう一方の手も動員し、自身の手首を掴んでいる楓之丞の手を更に上から握り締めた。


「イイよ、別に。楓くんに何ていわれても……でも、あたしは楓くんに、恩返しがしたい。あたしを輝樹から助けてくれただけじゃなくて、あたし自身の心も軽くしてくれたんだから、それぐらいはさせてよ」


 楓之丞は思わず、小首を傾げた。

 叶恵は、自分の心が軽くなったなどと意味不明の台詞を並べている。あれだけボロカスにこき下ろしたというのに、何が嬉しいのだろう。もしかすると彼女は、ドMなのだろうか。

 楓之丞が怪訝な顔つきでじぃっと睨みつけていると、叶恵は苦笑を滲ませて逆に楓之丞の瞳を見つめ返してきた。


「あたしね、本当に楓くんには悪いことしたなって、ずっと後悔してた……でもね、下手に慰められたり、気にしないでイイなんていわれたら、却って心の重荷になってたっていうか、凄く後ろめたい気持ちだけが残ってたと思う……でも楓くんは輝樹の前で、あたしを容赦無くぶった斬ってくれたじゃない。あれがね、その、何ていうか……凄く気が楽になったっていうか、罪を償った気分になれたって感じで、ホントに嬉しかった」


 楓之丞は渋い顔になった。

 確かに叶恵をあそこまで徹底的にこき下ろしたのには、彼女には今後、楓之丞に対して気を遣って欲しくないという願いもあったことは否めない。

 もっといえば、今回楓之丞がぼろくそに叩きのめすことで、叶恵のこれまでのやらかしをチャラにしてやろうという気分も多少はあった。

 しかし、その当の叶恵がここまで拡大解釈して感謝しまくるというのは、少々どころか、かなり予想外の展開だった。逆をいえば、彼女自身がそれ程までに後悔し、気に病んでいた証左でもあるのだろうが。


「これであたしの悪事は全部清算出来た……なんてムシのイイことをいうつもりは無いよ。でも、少なくとも楓くんはあたしを同じ土俵に立てるところまで、引っ張り上げてくれた。それがね、もうホント嬉しくて……」


 最後の方は、もう涙声になって余りはっきりとは聞き取れなかった。

 だが、ここは流石に場所が場所だ。公衆の面前で叶恵程の美人を泣かせている陰気な童貞野郎という絵面は、傍から見ても余り気持ちの良いものではない。


「あぁもう、分かったから、めそめそせんといてくれや……もうエエから、ちょっと歩こか」

「あ、御免ね……何だか、あたしひとりだけで勝手に盛り上がっちゃって……」


 目尻を拭いながら、叶恵は楓之丞と肩を並べ始めた。

 対する楓之丞は、やれやれとかぶりを振って大きな吐息を漏らした。


「んで、御礼って何するつもりなん? いうとくけど、俺は別に叶恵ちゃんには何もして欲しゅうないんやけどな……後で色々、面倒臭くなるやろうし」

「ん~……そぉねぇ……」


 この時、叶恵は横合いから楓之丞の下半身に対してちらちらと視線を流し始めた。


「あのさ……楓くんって、もしかして、アレが、その……まだ、あのまんまなの?」

「自分、ホンマただのビッチになってしもとるな……せやで。まだくっさいチンカス野郎のまんまよ」


 すると叶恵は、変に意味深な笑顔を浮かべて前方に広がる繁華街の、更に向こう側を指差した。

 そこにあるのは、ラブホ街だった。


「じゃあさ……ちょっと寄っていこうよ。あたしが、楓くんのその悩み、解消してあげる」

「絶対お断りや」


 楓之丞はそこで踵を返し、駅前のセンター街方向に足を向けた。


「あ……御免ゴメン、冗談! 冗談だってばぁ!」


 慌てて後ろから追い縋ってくる叶恵。流石にもう、まともに相手にするのも馬鹿馬鹿しくなってきた。


「ねぇ、ほら、今日の晩御飯! ね、晩御飯、奢るから! ちょっとお高めなところに、連れてってあげるからァ!」


 楓之丞の腕に縋りついてきて、意外と豊満な胸の膨らみをぐいぐいと押し付けてくる叶恵。

 流石にちょっと、イラっときた。


「いやもう、マジで人前でそーゆーの、やめてくれって。知らんひと見たら、俺ただのエロガキやんか」


 だが恐らく、いっても聞かないだろう。

 こういう変に無自覚でエロいところは、星羅と良い勝負であった。

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