交渉決裂
シュラの口から衝撃的な事実が告白された。
と言っても、実は私は彼と出会った瞬間に分かっていた。
私の鼻は正確に呪物の匂いを嗅ぎ分けることが出来る。
あんなに極上な呪物の香りは未だかつて嗅いだことが無く、思わずイキかけたのは誰にも内緒だった。
きっと私達はまた会うことが出来る。そう確信したのは運命を感じたのではなく、彼が呪物である以上、回収対象だったからだ。村の呪物を回収後に、彼のことも回収するつもりだったのだ。
「ご心配なく。シュラが呪物である以上遠慮なく回収させていただきます。ですが、お母様を救うと言うのはどういう意味でしょうか?」
「見れば分かる。ここはオレに任せて早く教会の中に行け!」
「そうはさせるか! 呪い子と化け物聖女を殺し、村の宝を守るのだ!」
村長が剣を掲げ叫ぶと、村人達はそれぞれ得物を手に怒号を上げながら私達に向かって来た。
「アリス、早く!」
シュラの悲痛な叫びに背中を押され、私は片手で傷口を押さえながら教会に駆け込んだ。ドアを閉めると、外から剣戟が響き怒号が轟いた。
この教会に封印されている呪物を回収しなければ、村人達はいつまでも戦いを止めないだろう。
私はライトの魔法を使い、教会内に明かりを灯した。
早く呪物を探さなければ、と思った瞬間、私は足を止めた。もう呪物を探す必要がなくなったからだ。
わたしはそれを見て、一目でその正体を理解した。そのおぞましさに吐き気をもよおし、同時に快楽にも似た高揚感を覚えた。つまり、あまりに素晴らしい呪物を前にして、私は吐き気を感じる程の快感を覚えたということだ。ここまでクレイジーな呪物は久しぶりで自然と顔が緩み恍惚に塗れて行くのが分かった。口からは旺盛な涎が滝の様に流れ落ちていた。既に傷の痛みは何処かに吹き飛んでいた。
普通の教会の奥には通常、女神エレウスの像が建てられている。しかし、ここに女神像は無く、代わりに逆さ十字架が建てられていた。これは女神ではなく魔王を信仰している確かな証拠。魔王信仰は重罪で、見つかれば極刑は免れない。もしかして、村人達が必死に隠そうとしていたのはこのことなのだろうか?
いや、違う。まさかそんなものを奪いに盗賊団が村を襲う訳がない。だが、それはあながち間違いではないことを私は既に知っていた。
私が教会に入って一番目を引いた物は逆さ十字架そのものではなく、そこで磔にされている裸姿の女性だった。彼女は逆さ十字架から伸びている触手に全身を縛り付けられ、両目、両耳、鼻、口、そして下半身の性器など、穴という穴を全て無数の触手で塞がれていたのだ。
全裸の女性が触手に縛られている姿は艶めかしいというよりはおぞましさしかなかった。皮膚はしおれ、まるで老婆のようである。しかし、長いブラウンのみずみずしい髪を見るからに彼女が見た目よりも遥かに若いことが分かった。恐らく、精気や魔力、生命力そのものを呪物に吸い取られている為に身体が萎れているだけなのでしょう。
その時、教会の扉が勢いよく開かれた。バタリ、と先に入って来たシュラの身体が床に崩れ落ちるのが見えた。彼の全身には剣や槍が突き刺さり、傷口からは血ではなく瘴気が噴き出ていた。流石のシュラでもあれほどのダメージを受けてはすぐに回復するのは難しいのだろう。彼はピクリとも動かず仰向けに倒れているだけだった。
「御神体に触れるな!」
村長の怒号が教会内に轟く。
「これがご神体ですって? 御冗談を。これはただの呪物です。彼女はその呪物に取り込まれた哀れな被害者に過ぎませんよ?」
私はそう言って逆さ十字架に近寄る。
「これは『夢魔の呪物』です。生命力と引き換えにどんな夢でも見せてくれる、言わば簡易的な願望機とでも言いましょうか? どんな欲望でも現実の様に夢に見せてくれるので、別名『淫魔呪物』とも呼ばれていますね。さしずめ、この女性は呪物を動かす為の動力源にされているのでしょう?」
とても素晴らしい呪物ではありますが、私には不要な呪物だ。何故なら、私には見たい夢など存在しないから。現実世界で呪物を探し追い求める時が人生で最も満たされる瞬間だからだ。淫魔呪物とも呼ばれているのは、性的欲求を満たすために使用される割合が高いからだとは、わざわざ説明するまでもないでしょうね。
「なるほど。確かに必死になって隠すのも納得ですわね。まあ、理解は出来ませんが」
私はそう言って冷ややかな視線を村長に送る。すると、村人達の顔に怒気が塗れるのが見えた。
この呪物は発見されても回収が難しい。その理由は世界中の好事家達が大金を支払ってでも欲するからだ。魔力の高い人間を一人だけ動力源の生贄にするだけで、ありとあらゆる欲望を見せてくれるので低コストの快楽願望機とも呼べた。
村人達はたまたまこの呪物を見つけ、何らかの理由で呪物を起動してしまったのだろう。そして、その快楽に抗えず今の今まで隠匿し続けて来た。己の欲望を満たす為だけに、どれほどの人間を犠牲にし続けてきたのだろうか。
この呪物を起動するには動力源となる人間を一人だけ捧げればいいのだが、維持するには定期的に栄養補給の為に食事をさせる必要がある。
これは私の憶測だが、村人達は呪物の生命維持の為に旅人を襲い、生贄に捧げていたに違いない。その過程で盗賊団に旅人をさらっていることを知られ、遂には呪物の秘密まで探り当てられ今回の事件に発展したのだろう。
そして、夢魔の呪物の動力源にされている女性にも心当たりがあった。
「シュラ、聞こえていますか? 残念ながら、私、初めて呪物の回収を断念することに致しました」
私の声に反応し、シュラは顔だけを持ち上げて私を見た。
村人達は私の回収を断念するという言葉を聞いて、ホッと安堵の表情を浮かべていた。
「だって、シュラは私にこうお願い致しましたものね? お母様を地獄から解放してくれ、と」
もし、このまま呪物を回収するなら、シュラのお母様は生命力を搾り取られ続けた状態で呪いごと時間凍結処置が行われることになる。それは地獄の苦痛が半永久的に続くことを意味していた。助けようにも、一度呪物に取り込まれた人間を救うことは出来ない。
例えるならば、飲み水が入ったグラスの中に汚水を一滴垂らしたとする。そうなるとグラスの中身はただの汚水だ。飲み水に戻そうと、混ざった汚水だけを取り除くことは不可能だろう。言わば呪いとは一滴の汚水で、飲み水は魂と言い換えることが出来る。
そういう理由で、一度呪物に取り込まれた人間を呪いから切り離すことは不可能なのだ。
つまり、救うには器を破壊し、呪いから解放するしか術はない。
「ですから、お友達のお願いは聞かないといけませんよね。今から夢魔の呪物を浄化致します!」
私は聖女の杖を身構えると、魔力を迸らせる。杖の先端にある女神の彫像から柑子色の魔力が溢れ出す。
このまま浄化魔法を放てば呪物は消滅するが、シュラのお母様も消滅することになる。
人間から呪いを切り離すには浄化魔法で全てを消し去るより術は無い。魔王の呪いは浄化魔法で消滅することはなく、ただ世界に四散するだけ。いずれ新たな器や宿主を見つけたら呪物として復活することになる。回収はその時までお預けね、とちょっと残念に思ってしまった。
「闇を浄める神聖なる光芒よ、我が使命を果たさん。浄化の刻印、輝け! 浄化の炎!」
聖女の杖の先端に蒼色の炎が燃え盛る。
「浄化聖炎!」
聖女の杖から聖なる青炎が放たれ夢魔の呪物に襲い掛かる。
背後から村人達の悲痛な絶叫が木霊する。
これで全てが終わる。そう思った時だった。
突然、夢魔の呪物の前に人影が躍り出て来たのだ。
その姿を見て、私は驚愕に固まる。
「アリス、済まない。オレは、どんな姿になろうとも、やっぱり母さんを失いたくない!」
次の瞬間、浄化蒼炎の直撃を受けたシュラの全身は激しく燃え盛った。
しかし、シュラは全身からドス黒い瘴気が噴き出すと、一瞬で私の浄化魔法を掻き消してしまった。
「済まない。許してくれ、アリス」
悲痛に歪むシュラの瞳から、一筋の涙が頬を伝い下に流れ落ちるのが見えた。
そして、シュラは今度は今までとは桁違いの量の瘴気を全身から噴き出させた。
しばらくの間、教会内が漆黒に染まり視界が無くなるほどの瘴気が周囲に充満する。
だが、すぐに瘴気はシュラの元に吸い込まれるように集まっていった。
全ての瘴気がシュラに戻った後、そこには漆黒に包まれた人影が佇んでいた。
それは漆黒の鎧兜に身を包んだ暗黒の騎士と呼ぶに相応しい姿だった。
「アリス、今更だが、ここであったことは見なかったことにしてくれないか?」
暗黒騎士からシュラの声が聞こえて来る。やはり彼はシュラで間違いなさそうね。どうやら彼は瘴気を操って武器や鎧を生成するスキルがあるみたいだ。完全武装したということは、私と戦う気満々ってことで間違いないわね。それはとても残念なことだと思った。
「残念ですけれども、お友達の間違いを正すのも友情だと思っておりますので」
私はそう言って聖女の杖を両手で持ち、身構える。
「アリスならそう言うと思っていたよ」
シュラは寂し気にそう呟くと右手を私にかざしてくる。
「さようなら、アリス。オレの最初で最後の友達」
次の瞬間、シュラの右手から呪いの塊が放出された。それは瘴気ではなく、呻き声を発した呪霊の塊だった。その中に、先程倒した盗賊団の姿もあった。彼等は憎悪と殺意に塗れた呻き声を上げながら私に襲い掛かって来た。
私は呪霊共に羽交い絞めにされ、身動き一つとれない状態になってしまった。両手を塞がれてしまったので、スカートの中に封印している呪霊スライムを召喚することも出来ない。
「アリス、もう一度だけ問う。見なかったことにしてくれないか?」
シュラは哀願するように最後通告をしてくる。
そして、私は彼にこう断言した。
「クソったれですわ」
あかんべーをしながら、私は不敵にほくそ笑んだ。
「残念だ」
シュラはそう呟くと、右手を前に差し出し何かを潰すように力強く握りしめる。
それを合図に、私を羽交い絞めにしていた呪霊達の力が強まった。
次の瞬間、私の身体は呪霊達によってばらばらに引き千切られた。
鮮血が教会内を真っ赤に染め上げた。