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9/9

9.その後の二人

「それじゃあ、行ってくるからね」

「はいはい。遅くなっても構いませんけど、あまり飲みすぎないでくださいね」

 その日、マージは夜から始まる村議会に出席するウィリアムに向かって釘を刺した。


 だが、マージが忠告した甲斐なく、ウィリアムは会議が終わった後の宴席で酒を好きほど飲み、月が輝く深夜を迎えた帰り道、彼はいい気分で小唄を歌いながら馬車を運転をしていた。

「綺麗な夜だから〜♪ 哀しいふふんふふーんふーん ん?」

 

 彼は馬車に掲げたランプが照らす先に、何か人影のようなものが映るのを目でとらえた。

 夜警か何かだろうか。この時間まで働いてご苦労なことだ……と思ったが、どうも様子が変だ。


 なんだろう。この違和感。


 彼が馬車をもう少し近くまで走らせると、一人が倒れており、その側でもう一人の男がしゃがみ込んで何かしているようだった。


 もしや、急病か事故か? それなら大変だ! と彼は馬車を止めて降り、ランプを手に持って、おーいどうしたんだ? 大丈夫か? と少し離れた所から声をかけた。

 だが、側にいる男はウィリアムの方に返事をしようとしない。


 声が聞こえないのか? ウィリアムはそう思って彼らに近づくと、側にいる男の服が酷く汚れている事に気がついた。

 髪の毛もべっとりとしているし、風に乗って流れてきた臭いも、嗅いだことがないくらい酷い臭いだ。

 思わず彼は顔を顰めて鼻を押さえた。


 作業人だって身なりはもっと綺麗なはずだ。

 さては、この男は物乞いなのか……と思った瞬間、ゆっくりとその男は立ち上がるとウィリアムの方へ振り返った。


 ……!……


 その瞬間、ウィリアムはひぃっ! と声をあげて腰を抜かした。

 なぜなら、目の前にいる男は口元が血だらけでシャツまでべっとりと汚れており、一方で倒れている男の方を見れば目を開けたままの状態で、喉元を鋭利な刃物で切り付けられたのか血がダラダラと流れ出ていた。


 そして、男は腕をだらんとさせながらゆっくりとこちらに向かってゆっくり歩き出すと、モゴモゴと口を動かし何かを呟いている。

 最初は何と言っているのかわからなかったが、よく耳を済ますと

「……さん、おじ……さん」

と言っていることがわかった。


 さらに、ランプの光がその男の顔を照らし出すと……

 なんとそれは、娘のエリザベスの元婚約者であるパーシーだった。しかも頬はこけ、血色も死体のように悪い。


「ひっ、ひぃ!」

 ウィリアムは叫んだ。

 その場から逃げ出そうとしたが、異様な佇まいをしているパーシーへの恐怖で足がすくみ全く動かない。

 ランプを持ったまま、後退りするのが精一杯だ。

 しかし、怯えているウィリアムに構う事なくパーシーは、やっと……会えたと気味が悪い顔を綻ばせながら、ぬぅっとウィリアムに近づいた。


「おじ……さん、エリザ……ベス……どこ?」

 目は血走り焦点が合わず、口元は血でべっとりと汚れた不気味なパーシーはそう問うたが、ウィリアムはひぃっ、ひぃっと声をあげる事しかできず、とてもではないが彼の問いに答える事はできなかった。

 

「どうして……教えてく……ないの」

 ウィリアムが悲鳴しか上げないことが気に食わないのか、パーシーはさらに問い詰めようとして、薄汚れた片手を彼の肩に置いて揺さぶってきた。


 しかし、ウィリアムはそれでも答えようとしなかったため

「おじさんも……エリザベスと一緒に俺騙そうとし……の? そなら許せ……ない」

と、パーシーは次第に怒る様子を見せ始め、怯え震えているウィリアムの肩にもう片方の手をさらに置き、力任せに肩を掴んだ。


 ……な、何なんだ! このバカみたいな力は! い、痛い! ……


 先ほどの力無く、だらんとしていた腕の様子とは打って変わり、まるで今にも骨をへし折られそうな力を加えてきたため、ウィリアムはなんとか、止めてくれ、止めてくれと彼に懇願した。


「エリ……ザ……の場所……教えて……教えくれ……ないから……」

 パーシーはそう言うと、汚れた口を大きく開けた。

 ウィリアムはその光景に、もはや悲鳴さえも上げられなくなった。


 なぜなら、パーシーの口に生えている歯は通常の犬歯よりも鋭く尖っており、まるで毒蛇の牙そのものだったのだったのだ。

 口の中全体も、真っ赤に染まっている。

 ウィリアムは、彼が倒れていた人物を襲い血肉を漁っていたのだとようやく気がつき、なんとか首を動かして、嫌だ! やめろ! と言うように必死に抵抗した。


「おじ……さが……悪い……」

 パーシーはぶつぶつそう言いながら、片方の手でウィリアムの頭頂部の髪を無理やりつかみ、首を仰け反らせた。

 そして、あとは自分の餌になるのみとでもいうように、彼の首筋に自らの牙を突き立てようとした。


 だが、その瞬間ーーー


 突如、ヒュッという音とともにパーシーの背中に打擲音が響き、何かが叩きつけられた。

 悪夢の中で感じた痛みが蘇る。

 彼はウィリアムを掴んだまま後ろを振り返った。


 パーシーの背後には、白い手袋をした手に長い一本鞭を持ち、彼に向かって次の攻撃を仕掛けようと狙いを定めている銀髪の若い男が立っていた。


「地獄の果てからよみがえり、ロンドンからはるばるここまで戻ってくるとは……お前は本当に、本当に、悪い子だ」

 男はパーシーを挑発するかのように、余裕を含んだ笑みを浮かべている。


 それに対して、パーシーは獣のような咆哮をあげると、ウィリアムが邪魔になったのか、怯えている彼の体を軽々と持ち上げて、道の外に生えている木に向かって投げつけた。

 辺りにドサッという音が響き渡る。

 打ちどころが悪かったのか、恐怖が最高潮に達してしまったのか、その木のそばでウィリアムはそのまま意識を失ってしまった。


 その隙を突き、銀髪の男は彼に向かって鞭を打ち付けようとした。

 だが、パーシーは手を伸ばすと、鞭の動きを学習したのか飛んできたそれを掴んだ。

 そして、馬鹿力で鞭ごと男を地面へと叩きつけようとしたため、男は潔く鞭を手放してパーシーの反撃を軽やかに舞うように回避した。

「やはりただの鞭ではダメか。どこぞのハンターの一族のように聖力か何かが宿っている物ではないと……」


 ふん、と彼は鼻で笑うと、グリップに十字架をあしらった銃を素早く取り出して、威嚇するように口を大きく開け、自分に飛びかかって来ようとしている憐れな怪物に向かって照準を定めた。

「ここまで堕ちるとは可哀想な奴だ。今度こそ安らかに眠れ」

 そう言って引き金を引くと、炸裂音が静寂の中に響き、銃口から放たれた銀の弾丸がパーシーの額を貫いた。

 

 パーシーの動きが止まり、膝が崩れる。

 すると、皮膚が膨張し始めて肌が割れた。

 そこからだんだんと赤い炎が上がり、彼の体全体がそれに包まれた。

 焼けた皮膚がボロボロ落ちたかと思うと体自体が破裂して、最期は灰へと変わり空にきらきらと舞い上がっていった。


「まったく。ごく稀に血の契約もなく起き上がる者がいるとは聞くが……しかも腐り始めてから蘇るなんて聞いた事もない。神もどれだけあの男を嫌っているんだ」

 銀髪の男はやれやれとでも言うように、消えゆく灰の残骸を見つめた。


 アスタルテが異変に気づき教えてくれたから良かったものの、まさか死体置き場からわざわざ戻ってくるとは……

 それにしても、腐っているのによくここまで戻ってくる道中、太陽もハンターもかわして来れたものだ。

 変なところで運を使ってる、と彼は皮肉めいた笑みを浮かべると、パーシーの犠牲となってしまった男の側に寄った。


「気の毒に。だが、悪いが見つかっても困るのだ」


 銀髪の男はそう言って犠牲者の目を閉じ、ジャケットの内ポケットから小さな小瓶を取り出すと蓋を開けて、液体を振りかけた。

 さらに彼はウィリアムの落としたランプから火種を貰い、その体にそっと火をつけた。


 瞬時に青い炎がわっと上がる。

 だが、その青い炎はすぐに燃え尽き、それと同時にその場にあった遺体も、元々何も無かったというように綺麗に消え去った。


 そして銀髪の男は、さあ次の"処理"をするとしよう。最後の夜だから……とウィリアムが歌っていた唄の続きを静かに口ずさみ、気絶している彼の元へと近づいた。


◆◆◆


 それから何年か後ーーー


 彼女は外の見晴らしがよく、日の明かりも心地よい一室の椅子に腰掛け、読書をしながらくつろいでいた。


 自分が暮らしていた田舎の家とは違い、王族の宮殿と言っても過言ではないこの広い屋敷は、越してきてしばらく経つというのに未だに落ち着かないが、この場所だけは彼女にとって居心地が良いらしい。

 彼女は本のページを捲る前に、テーブルに置いてあった紅茶入りのカップに手をつけようとしたところ、誰かがわっと言って彼女の目を手で塞いだ。


「もう、ちょっと……いい加減にいたずらはやめて!」

 彼女はそう言いながらも口元からは笑みが溢れている。

 そして、目を塞いでる手を降ろさせると、その犯人に向かって振り返った。


「オーギュストったら。毎回、同じ事をされてたら全然怖くもなんともないわ」

 そう言われた当の本人であるオーギュストは、ですよねと言って笑っている。

「まあ、それはともかく。小包が届いてたので持ってきました」

 彼が白いキャビネットに置いた小包を指し示すと、その上には彼宛の手紙も置かれていた。


 エリザベスと結婚したオーギュストことシェリルだが、結婚してしばらく経つと言うのに、なぜか彼女に対しての敬語は抜けておらず、自身が呼ばれる名前もそのままだった。

 そんな彼が先に小包を開けようとしていたため、エリザベスは自分宛ての手紙を先に読んだらどうかと促した。


 オーギュストは、じゃあ、お先にと言って自分宛ての手紙を読み始めた。

 だが、読んでいる途中で、あぁと彼が呟いたためエリザベスはどうしたの? と尋ねた。

「……亡くなったそうです」


 彼によると、三人の後見人のうち最後の一人だった人物も、とうとうこの世を去ったと彼女に伝えた。

「そうなの……残念ね」

 実は立て続けにその連絡が入っていたため、エリザベスはオーギュストがかなり落ち込むのではないかと思い心配になった。


 だが思いの外、彼はあっけらかんとしており

「彼らの年齢を考えたら、そうなるのは仕方がない事です。覚悟はしてました」

と言った。

 彼が新当主に就任したばかりの当初は、三人も彼につきっきりで色々教えていたが、もう一人で大丈夫だろうと彼らが隠居して遠方に移ってから比較的新しい出来事だった。


 しかし、彼は気を取り直してと言って小包の開封を再開すると、中からはメッセージカードと一冊の本が出てきた。

 カードには新刊が出たから、読んでぜひ感想を聞かせて欲しいと書いてある。

 そのため、オーギュストはエリザベスにその本を渡したのだが……彼女は少々困ったような顔をした。

「送られてきた本というのは、例のアレでしょう?」



 話は少々前に戻るが、ウィリアムは結局どうなったかというとーーー


 夜道で怪物に襲われたはずなのに、気がついたら何故か家の玄関に居て、いびきをかいて寝ていたらしい。


 自分は怪物に襲われて木に投げつけられたはずでは? なんで無事家にいるんだ?

 とても恐ろしい怪物を見たのにとマージに言ったところ、彼女からは何を言ってるんだと全く信じてもらえなかった。

 むしろ、あれだけ飲みすぎるなと言っていたのにそんな事を言っているため、彼女からは酔っ払って変な夢を見てたんでしょう! と大目玉を食らってしまった。


 とはいえ、襲われて倒れていた人物もあの場に確かにいたはずだ。

 彼は納得が出来ず、夢ではなく現実に起きたことなのだと勇気を出して現場に戻ってみたが、そこには何も残されていなかった。


 わざわざ警備隊や墓地を管理している人間、さらには医者にまで喉を切り裂かれたような被害者はいなかったかと聞いたのだが、結局誰一人それを知っているという人物はいなかった。

 もちろん彼は怪物を見た人間はいるか……とも聞いてみたかったが、流石にそれは頭がイカれてしまったのかと言われかねないので聞く事はしなかったが。


 それに、もし自分が聞き漏らしていたとしてもここは田舎だ。

 あんな無惨な殺され方をしていたら、とっくに大ニュースになっているはずだ。

 そのため、何もないというのはやはり夢だったのか……と、彼は少々気を落としたような感覚を覚えたが、それでもあの悍ましい出来事は夢にしては出来すぎている。


 そのため、彼は誰かにこの話を聞いてもらいたいと思ったのか、あの夜の出来事を小説仕立てにしてダメ元で新聞社に投書した。


 すると驚くことに、なんとこの話が新聞に掲載されたのだ。

 さらに反響を呼んだため、新聞社の方から、良かったらこういった類い話の小説を連載で書いてみないかと打診もされた。


 ウィリアムは、まあ自分は忙しくはないし、暇つぶしにもいいだろうと軽い気持ちで引き受け、小さい頃に聞いた話などをベースに執筆したところ……

 これがまた大反響を呼び、気がつけば何冊もの本を出版する程にまでなっていたのだ。

 お陰で今では土地の収入よりも、印税の方が上回っているのではないかという話になっていた。


 そのため、オーギュストが今持っている本のタイトルにも「私を血のように赤く染めて」とおどろおどろしく書かれており、あらすじを読まなくとも怪奇趣味の小説だということは明らかだった。

 エリザベスは苦笑いをすると

「正直言って、今はそう言った類の話を読みたくないの」

お父様には悪いけどと言って、庇うように手で腹部を押さえた。


 普段であれば、新しい本が出たのねと喜ぶエリザベスなのに、今回の反応はどうしたのだろうか。

 そう言えば、この数ヶ月間、物凄く心配するほどではないが、時々体調が悪いと言っている。

 また今日も体調が良くなさそうなのだろうか。もしそうなら、確かにこういった本を読んだらますます具合も悪くなりそうだ。

「わかりました。また具合が悪くなったら良くないし、僕が代わりに読んで感想を送ります」


 オーギュストは本を持ってその場を去ろうとしたため、エリザベスはコホンと咳払いをした。

 そういう時は大体、彼女は何かを言いたい時だ。

「ねぇ、ちょっと待って。何か気が付かない?」

 彼女は目を瞬かせてそう言ったが、オーギュストは一体何のことだろう? 全く検討がつかないと言った様子で、首を傾げている。


 すると、彼女はふぅとため息を吐いてまた自分の腹部に手を当てた。

「今日、動いてるのを初めて感じたの」

 オーギュストはそう言われてもなお、えっ? 何だろう? という顔をしている。


 そんな鈍い夫に、彼女は再度ため息を吐くと、今度ははっきりと言いたい事を伝えた。


「……お腹に子供がいるのよ。だから、今はお父様の不気味な本は読みたくないの」


 バサッ!!

 オーギュストは持っていた本を床に落として、目を見開き無言のままその場に立ち尽くした。

 確かに最近の彼女の事を色々と振り返ってみれば……思い当たる節はある。

 そして、彼女の元に駆け寄って抱きしめると、本当ですか?! 信じられない! と笑顔で大きく叫んだ。


 やっと伝わったとエリザベスは微笑むと

「主治医の方に聞いたら、今4ヶ月をとうに過ぎたくらいかじゃないかですって」

と優しくお腹を撫でながら、彼に伝えた。


 実は彼らは結婚してだいぶ経つが、仲は睦まじいのになかなか子宝には恵まれなかったのだ。

 そのため、ようやくコウノトリが運んできてくれたと二人は喜びを分かち合った。


「僕もとうとう父親になれるんですね……」

 感極まったのか、オーギュストは目から涙を溢している。彼は手でそれを拭うと、また彼女の事を抱きしめた。

 彼女に出会う前は結婚すらしたくない、当然子供なんて別に要らない、ほしくもないと思っていたのに、この心境の変化は自分でも驚くくらいだとオーギュストは思った。

 

 すると……


「あっ! 今動いたかもしれないわ」

 エリザベスは自分の中で微かに動く、愛おしい存在に向かって微笑んだ。

「撫でてあげたらどうかしら?」

 彼女がそう聞くと、オーギュストは頷いてそっと彼女のお腹に触れた。どう? と彼女は聞いてみたが、彼はまだよくわからないと言い、彼らは笑いあった。



 そんな幸せに溢れた二人だったがーーー

 そのお腹の子供が、将来オーギュストの一族に隠された本当の秘密に辿り着くとは、この時露ほども思わないのだった。

 だが、その話はまた別の機会に。

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