8.幻想楽園
パーシーは叫び声をあげながら飛び起きた。
服を着ていないと言うのに、毛穴中から汗が出ていると言って良いほど汗ばんでいる。
はぁはぁはぁ……と息を切らしながら、彼は室内を見渡すと、そこは普段と変わらないエリザベスの部屋のままだった。
「夢か……」
なんて気持ちの悪い夢だったんだろう。
しかし、隣を見れば同じく裸のエリザベスがすやすやと可愛らしく寝ている。
彼は彼女がちゃんと存在していることに安心をした。
一体、今は何時なのだろうか。
彼が部屋に置かれた置き時計を見ると、まだ夜明け前だと言う事を知った。
もう少し寝れるかと思ってベッドに横たわると、隣で寝ていたエリザベスがパチっと目を開けている事に彼は気が付いた。
「あぁ、ごめん。起こしてしまった? もう少し寝られるから大丈夫だ」
パーシーはエリザベスに微笑んだが、彼女は目を閉じずに、彼のことを見つめて微笑み返した。
「目が冴えてしまったみたい」
エリザベスはパーシーの首に腕を回した。それは彼女がキスして欲しいと言っている合図だ。
パーシーはお望み通り彼女にキスをし始めると、彼の中のスイッチが入ったのか夜明け前だと言うのに事におよび始めた。
興奮の最高潮に達して彼が果てると、エリザベスは
「……パーシー、愛してるわ」
と言って、彼女は彼の上に乗ったままキスをした。
「俺もおなじだ」
だが、パーシーがそう言ったあと、エリザベスは妙な事にこう言った。
「なんだかお腹が空いてしまったみたい」
パーシーは珍しいと思いながらも、ちょっと待ってろと言って、身を起こしながらベッドの隣にあるサイドテーブルをみると、林檎が置かれているのが目に入った。
「あれでも食べるか?」
それを取ろうと彼がサイドテーブルに近づくと、真新しいナイフがその側に置かれている事に気づいた。
これは……
パーシーは少々嫌な予感を覚えつつも気になったので、そのナイフを手に取った。
まじまじと見つめると、やはり夢の中で銀髪の男が自分に押し付けてきたナイフと似ている。
「いやいや。こんなのただの偶然だ」
そう独り言を呟き、ナイフをまたサイドテーブルに戻した瞬間ーーー
エリザベスがまた彼の首に腕を回してきた。
「どうしたんだ? その体制だと林檎がとれないんだが」
彼は彼女に軽くキスをして、離れて欲しいと合図を送った。しかし、エリザベスは首を横に振った。
「ううん、林檎は要らない……あなたが欲しいのよ」
その言葉にパーシーは苦笑いすると、もうそろそろ夜も明けるし、さっきので疲れたから無理だと彼女に微笑んだ。
「どうしたんだよ、そんなに求めてくるなんて。珍しい」
すると、彼女は彼の耳元でこう囁いた。
「私の本能がそう言っているの」
本当に、今日のエリザベスはどうしてしまったのだろうか。こんなに情熱的に求めてくるなんて今まで無かったのに。
だが、無理なものは無理だと彼は詫びの代わりに彼女の事を力強く抱きしめた瞬間、エリザベスは笑うようにして囁いた。
「ねぇ、パーシー。知ってる? 人間は血液の1/3が外に出てしまうと死んでしまうんですって」
聞き覚えのあるその言葉に、パーシーはハッとした。
なぜ、夢の中で言われた言葉をエリザベスが知ってるんだ……と。
「ふふっ。あなたはあそこでどのくらい血を流していたのかしら」
エリザベスはクスクスと笑っている。
何を言ってるんだ? どうしてそこまで知っている?!
不気味に思ったパーシーは、彼女の事を腕から離そうとした。
だが、まるで腕自体が彼女の体にくっついてしまったように、動かそうとしても動かない。
「あちらでも言われたでしょう。お金がないんだから、あなたの体で返せって」
信じられない事に、彼女は夢で言われた言葉をさらに続けた。
「それに、いくらなんでも子供を叩くなんて酷すぎる……本物のエリザベスがあなたと結婚しなくて良かったと心底思ったわ」
本物のエリザベス? 一体何を言ってるんだ? じゃあ、この目の前にいる女は……?
「散々いい思いはさせてあげたはずよ。その分のお礼はちゃんと返してもらわないと。そして今がその時よ。お休みなさい、永遠に。毒入りの聖杯を飲まされて苦しむより良かったと思いなさい」
エリザベスがそう言ったあと、パーシーは首筋に鋭い痛みが走るのを感じた。
……この女は……エリザベスなんかじゃない! 彼女に似せた化け物だ! ……
パーシーはようやくその事に気がつくと、自分に何かしている彼女を急いで突き飛ばそうとしたが、相変わらず両腕は彼女に張り付いたままで動かす事ができない。
唯一動いた口からは
「あ……あ……」
そう声を上げることしか叶わなかった。
さらに遠くまで見えていた視界も、段々とぼやけ始めている。呼吸も次第に浅くなっていく……
パーシーはその時、これが死を迎える瞬間なのだと理解した。
なぜだ
なぜだ
なんで自分が死ななければならないんだ!
自分は大して悪い事はしていない!
もっと自分よりも悪い事をしてる人間は大勢いるはずなのに、なぜ自分が死ぬ番なんだ!
……嫌だ! 死にたくない! 神よ、たすけ……
と、彼は助かる事を強く願ったが、彼のすぐ側まで来ていた深い闇はお構いなしに彼を覆うと、そのまま彼を引き摺り込んでいった。
◆◆◆
黒いローブを着てフードを被った女は、恍惚とした表情を浮かべながら廃墟から出てくると、彼女の事を待っていた帽子を被った老紳士と合流した。
男が彼女に近づくと、彼女は被っていたフードを外し、彼女の黄金の髪とその同色の目をきらきらと月明かりが照らした。
「その表情だと上手くいったようだな」
ザラキエルは彼女の温かくなった頬に、白い手袋をした手を添えて微笑んだ。
「ええ。ぐっすりと」
その言葉に彼は再度微笑むと、よくやったアスタルテ、と彼女の本当の名を呼び褒めた。
「しかしまあ、大変手の込んだ舞台だった」
自分は彼女にエリザベスに化けてパーシーを傀儡にさせ、用が済んだら"食べていい"と言っただけなのに。
わざわざこの廃墟の館を利用し、娼館の幻覚をみせる罠に嵌めるなんて、と彼は肩を竦ませた。
「ふふっ……私たちには時間がたくさんありますから」
だって、ヒマなんですもの。
香を作ったことの礼や、成功した際の褒美なんて要りませんから、プロセスだけはヒマつぶしとして好きにやらせてもらいたかったのです、と彼女は付け加えた。
ヒマつぶしか、と彼は軽く笑った。
それにしても、自分を模した人形をあのような加虐性愛者に仕上げ、わざわざ恐怖を与えたのは闇に巣食う者としての特性か、それとも女としての私怨をあの男にぶつけたのか……
ザラキエルは少々気になったようだが、それ以上聞くのは無粋かと深く聞くことはしなかった。
「ところで、そろそろここから去らなねば。あまりお喋りしている暇はないな」
彼は懐中時計を確認して、もうすぐ夜明けだと彼女に告げた。
「太陽の光が見られる、あなた様が羨ましいですわ」
自分が最期に見たのはいつだっただろうか、と彼女は少し寂しそうに独り言を言った。
彼はそんな彼女に微笑むと、女性一人で帰らせるのは危険だから"隠れ家"まで送っていこうと彼女に手を差し出した。
「次にお会いできるのは何時になりましょう」
エスコートされながら、アスタルテはザラキエルにそう尋ねた。
「さあ……来年また会う事になるかもしれないし、数十年後かそれか数百年後か」
まあ、もしそうなったら確実に今の私は墓の中にいるがと彼は言った。
「ふふふ。では、もしあなた様のお墓を見つけたら、お花を手向けましょう。何のお花が好きでしょうか」
他愛ない会話をしながらアスタルテを隠れ家まで送り届けたあと、ザラキエルは侵入者が入れないように、しっかりと施錠を行った。
東側を見れば、赤みを帯びた空が広がっている。もうそろそろで本格的な日の出だ。
さあ、シェリルたちももう広い海の上に出ている頃だろう。自分も帰らねば……と彼は港へと向かった。
◆◆◆
シャーロットとエドガーの乗った馬車が発車するのを見届けると、両親のウィリアムとマージは笑顔のまま家に戻った。
「エリザベスに続いて、シャーロットも縁談がすんなりまとまって良かったわぁ。しかもタイミングよく相続の件がうちに戻ってきて」
嬉しい事が続いて怖いくらいよ! とマージはとても機嫌が良さそうで、鼻歌まで歌っている。
実は今日、エドガーと婚約したシャーロットが向こうの両親に挨拶するため、彼がロンドン帰るのに合わせて二人は一緒に向かったのだ。
「ご機嫌なのはいい事だが、娘が二人とも居なくなるというのに、寂しくないのかね」
ウィリアムは彼女にそう聞いてみたが、寂しいのはあなたの方でしょうと返されてしまった。
散々、エリザベスの時なんて心配していたくせに。
オーギュストいやシェリルが実は御曹司と知った途端、近所や親戚中に自慢するほど結婚に大賛成するし、娘がいなくなったらいなくなったで、なぜそんなにドライでいられるのだろう。
母親の好物をよくわからない娘達も娘達だが、母親の方も母親のほうだ。女たちのことはよくわからん、と彼はため息をついた。
そして、特に用事が無かったので、ウィリアムはそのままリビングに向かった。
「おおっと。そういえば、今日はまだ新聞を読んでなかったな」
彼はリビングに置かれた新聞を見つけ、それを手に取るといつもの席に腰掛けた。
「ええと、どれどれ今日のロンドンのゴーストニュース……、勝手に動く椅子(魔女の仕業か)、ロンドン塔にまた首なし幽霊が出る、死体安置所から死体が消える……、ほぉ〜いつも通りの気味の悪いニュースだねぇ」
そう彼はそうぼやくと、もっと他に明るく楽しい記事はないかと、そのページの詳細は特に気に留める事なく次のページをめくった。




