4.眠れる乙女
淫猥な表側の世界とは異なり、従業員だけしか通らない通路は暗く質素だった。
その通路を通り階段を何十段も登っていくと、女達の寝室のある階へと出た。
さらにそこから別の階段を登っていくと、今度は急に明るくなり、まるで貴族の邸宅のような空間へと彼らは到着した。
そして、その空間に配置されたある扉の前に立つと、銀髪の男はパーシーに静かにするようにと忠告した。
男が扉を開け、彼らが中に入っていくとーーー
天蓋付きのベッドに、力なく横たわっているエリザベスの姿があった。
「エリザベス!」
パーシーは思わずそう叫んで、彼女の元へと駆け寄った。だが銀髪の男が彼の肩を叩くと、唇に人差し指を当てて静かにするように求めた。
「今は薬で眠らされている。彼女の左手を見てみろ」
男は静かな声でそう言うと、確かに左手首には包帯が巻かれていた。
「幸い発見が早かったが……まあ、元は綺麗な世界にいた令嬢だ。男たちの生々しい欲望を見て絶望したんだろう。お前のことを見た後、お前の名前を言いながら泣く事も増えていたそうだ」
銀髪の男はため息を着くと、落ちぶれた令嬢はこういうリスクもあると呟いた。
「それじゃあ彼女はこの後どうなるんだ?」
パーシーは顔を青ざめさせながらそう尋ねた。
「まあ、彼女の事を考えれば大切にしてくれる人間を選びたい所だが……あいにく、今手を挙げているのはそう言った連中ではないからな。それに私もどうせ自殺するリスクを考えるなら、長期で彼女を保有したがる男よりも、短期で使い捨てしてくれる方がいい」
男の冷たい言い方に、パーシーはなお顔色を悪くさせた。
「じゃ、じゃあさ、そいつらは一体いくら出そうとしてるんだよ。実は最近、俺が自由にできる財産が増えたんだ。俺が代わりに出すって言ったら?」
その提案に銀髪の男は片眉を動かすと、詳しい金額は言えないが、と彼に男達が示している大体の額を伝えた。
「そんなにするのかよ……嘘だろう」
パーシーは口を開け、メアリーから勝ち取った財産を合わせても足りない事に絶望した。
「上顧客にとってはそれが普通の額だがな。それを払えないなら無理だ。やはり、彼女には使い捨てにする客をつけなければダメなようだ」
銀髪の男が彼女の元から去ろうとすると、パーシーは慌てて待ってくれと引き留めた。
「あのさ、ちょっとまってくれよ。実は俺、彼女の家の相続権をもってるんだ。で、前に君が彼女がせめて相続権を持っていればとか言ってただろう? もし、俺が放棄して彼女にその権利を今から譲ったらどうなる?」
パーシーがそう聞くと、銀髪の男は相続権か……と呟くと何やら考え込んでいる素振りを見せた。
「なあ、考えてみろよ。もし、その使い捨てにする以前にまた彼女が自殺騒ぎなんて起こしたら、それこそどうなるんだ? 金を払ってるのに何もできないなんて事になったら、おたくの信用にも関わるだろう? な?」
すると銀髪の男は、パーシーの意見も一理あると言うように頷き、わかったと言った。
「そうだな……では、明日、明後日にでも放棄したという証明を持って来れるのであれば、今の取引は全て中止にしてもいい」
可能か? と男はパーシーに尋ねた。
「そう来なくっちゃ! わかった、じゃあすぐにでも放棄する手続きをしてくる。エリザベスのことをよろしくな」
パーシーは銀髪の男に放棄することを約束して、駆け足で娼館を後にした。
◆◆◆
約束通り、パーシーはすぐに相続権を放棄する手続きを行った。
「ほら、これを見てみろよ。これをエリザベスの父親に渡せば、エリザベスに相続権を移行できるはずだ」
娼館に着くや否や、パーシーは銀髪の男を呼び出すと、放棄した事を証明する書類を手渡した。
「確かに。では、すぐに手続きに取り掛かる手配をしよう」
銀髪の男は書類を受け取った後、その場をすぐに去ろうとした。だが、パーシーがそれを引き留めた。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。俺は彼女の恩人なんだぜ? 彼女からお礼の言葉を聞いても良いはずだ。今はもう具合も良くなってるはずだろ?」
やはりそう来たか、と銀髪の男はため息を吐いた。
「悪いが、相続権を渡すことにしたと言って、彼女に合わす事は出来ない。なぜ、上顧客がわざわざ高い金を払ってるのかわかるか? 彼らはその高い金と引き換えに女を独占できるが、女王の場合は、仮に借金の肩代わりをしたといえど、主導権は彼女達に有るのだから、気にいられなければ袖にされるだけだ。だからいくら希望しても会わすことは出来ない」
男にそう言われてしまったパーシーは、ハァ? と声をあげた。自分は急いで手続きに行ったというのに、その扱いはあんまりだ。
「じゃあその書類を返せ、今から差し戻しに行く!」
と叫び銀髪の男を掴んで書類を取り返そうとした。
しかし、男はパーシーの事をヒラリとかわすと、店の用心棒たちを呼びパーシーを捕らえさせた。
「私の手に渡った以上、キャンセルは不可だ。これは遠慮なく使わせてもらう。お前たち、この男を閉じ込めておけ」
その言葉を合図に、用心棒たちはパーシーの手と口を縛りあげたあげく、頭に麻袋を被せた。
そして、一番体格の良いものが暴れるパーシーを担ぎ上げると、彼らはその場を去っていった。
「おらよ!!」
パーシーは麻袋や縄を解かれると、ランプが一つだけ光っている暗い部屋の中に放り投げられた。
すぐさまドアには鍵がかけられてまい、隙をみて逃げ出そうとすることもできなかった。
窓を見てもピッタリと閉められてしまっており、ドア自体も鉄の扉だったため、体当たりして壊す事も不可能だった。
「ちくしょう! 騙された!」
彼は思い切り壁を蹴りつけたが、壁も鉄でできているのかとても硬く、パーシーはかえって自分の足を痛めるだけだった。
部屋の中をよく見れば、ベッドと机しか置いていない。
ドアの方を見ると、下が開くようにはなっているみたいだが、猫ならともかくパーシーでは通り抜けるのは明らかに無理だ。
彼は大きくため息をつくと、ベッドに横たわって不貞寝する事にした。
それからどのくらい寝てしまったのだろうか。
パーシーがハッと目を覚ますと、扉が解錠される音が聞こえて、廊下から光が室内に入ってきた。
彼はまだ少し眠気が残っていたので横たわったままだったが、扉を開けた主が彼に向かって起きろと言った。
「喜べ。彼女がお前に会ってくれるそうだ」
声の主は銀髪の男だった。
パーシーは寝ぼけたまま廊下の方へ出ると、男は以前行ったエリザベスの部屋ではなく、なぜか別の部屋の方へと案内した。
扉を開けると、何やら湿った空気といい匂いがしてくる。
パーシーが案内されたのは中央に大きな浴槽を配置した湯殿だった。
「エリザベスに会わせてくれるんじゃ無いのか? ここは……?」
「その前に、あそこにある洗面台の鏡で自分を見てみろ」
男の言う通り、パーシーは鏡の前に立つと無精髭を生やして目の下にはクマを作っている自分の姿が映った。
「そんな格好のまま彼女に会うのは失礼だと思わないか? 着替えも用意したから、その無精髭もどうにかしろ」
だが、パーシーは面倒くさいと言いたげな表情を浮かべていた。自分は早く会いたいと思っているのに。
おまけにため息もついたため、銀髪の男はさらにこう言った。
「じゃあ、私が服を脱がすのを手伝えば良いか? その代わり、この湯殿から無事に出れるという保証はないが」
パーシーはその言葉にゾクッと鳥肌を立たせると、慌てて自分の手で尻を押さえた。
「冗談だ。私にだって好みというものがある。さっさと済ませろ」
そう言って銀髪の男は湯殿を出て行った。