7日目
「社会性のある作品なら資料が揃いやすいので簡単だろう」
「会社勤めものですか?むしろ現実と比較しやすい分違和感が出そうですね」
激務に追われる社畜を描く小説とか需要があるのでしょうか?同感はされそうではありますが、心が休まらないような。下には下がいると安心する方向性で舵を切る場合もありますが、健全な楽しみかたではないような。振り切った表現でさすがにそれはないでしょうと笑いを誘うとか、ありそうですね。
「なぜに最初に出てくる例えが社畜ものなんだ?」
「作者の実体験が生きるからではありませんか?」
小説を書くにあたって実体験は重要だと思いますし。リアリティを追求するならやはり身近な話題を取り扱った方が良いのではないかなと。おおよそ激務にかられて心身に多大なダメージを受けた上で、退職した方が、その体験を綴ったような物語をよく目にする印象があるのですが。
「偏見だよ、それ。今の社会でそれほどのブラック企業があるわけない」
「現実を知らないお子ちゃまはこれだから」
肩をすくめてやれやれのポーズを取ってみます。冗談ですよ、まあ、さすがに人格が否定されることがデフォルトの会社人とかの描写はフィクションじゃないかなとか、むしろそうであって欲しいとは思っていますが、ただ、そのようなかわいそうなひどい、登場人物を追い詰めるような表現は、読者を泣かせることができる、つまり心を動かすことが計算でできるので、やりやすい、のでしょうね。
「感情を動かして楽しんでもらうなら笑ってもらった方が良いんじゃないか?」
「難しいんですよ、最大多数を笑わせると言うことは」
笑いのツボが各々違っているからでしょうね。悲しませる原因ほど笑わせるそれは決め打ちができない、ようなことが多そうでして。万人を笑わせるより大半を泣かせる方が感情操作がしやすいというわけでしょう。基本、痛みにつながるような表現をすれば容易だからでしょうかね?本能に近いといいますか。
「笑うのは本能じゃないの?」
「どちらかというと文化でしょうね、発明と言ってもいいかも?」
最後には救われるけれどもそこまで行くまでに悲劇が大盛りになっているとか、多いのではないかなと。最後まで救われない物語も需要があるわけでありますね、ただただ泣きたい人もいるわけでありますし。作り方にもよりますけど、陳腐なお涙頂戴ものであると嫌悪される場合もあるでしょうね。
「ハッピーエンドじゃなくてもいいのかな?」
「匂わせエンドも悪くないと感じる人も多いですよ?」
ようはどれだけ上手く嘘がつけるかというお話ではあるのでしょうね。現代社会を舞台にしたものであるなら、確かに資料が多いわけでありますし、リアルなものが書ける可能性は高いとは思いますけれど、それをそのまま持ってきても面白いかどうかというと、どうなのでしょうね、当時の風俗資料としての作品として価値がある、みたいな方向性で執筆するのもありでしょうか?
「普通に、社会人と学生とか、仕事仲間同志とか、純愛物じゃダメなの?」
「良いと思いますよ。先輩にそのあたりの機微が備わっているなら」
じゃあ問題ないね。と自信満々に返答をする先輩を生易しく見守りながら、今日も平和に放課後が過ぎて行きました。