5日目
「”ざまあ”要素は欲しいよね」
「表立って公言するようなセリフではないのでは?」
まあ、あらすじにいわゆる”ざまあ”要素があることを明言する作品も多いと言えば多いわけでありまして、どのような展開であるかがあらかじめわかっていなければ安心して読められないという層があるのであろうかなという予想はできるわけでありますが、正直あまり品の良い表現ではないのではないかなという感想はありますね。
「見下していた側が、主人公側の隠された要素によって、驚愕したのちやり込められる展開は、結構カタルシスがあるのではないか?」
「少しかわいそうになるほどだと、普通に引きますね」
そこは塩梅であるのであろうかなとは予想できますが、主人公側が結構人格的にどうなのであろうかとか、驚かせる為、人の意表をつく為だけに、正体を隠したり実力を隠していたりするやり口は、まあ、普通に性格が悪いですよねと、マイナス評価になりますね。
「理由があって実力やら立場やらを隠しているのは良い?」
「まあ、そのくらいはテンプレートですし。最後に印籠を出したり、余の顔を確認させたり、問い合わせたら警察長官の弟だったり」
事例が古いですかね?アーカイブをあさると結構な頻度で目にするのですよね。あと、自宅の本棚とかに小説がシリーズ網羅で鎮座していたりするわけです。結構ネタとしてweb上でも話題に上がっているわけであるわけで。
ただ、”ざまあ”であるというような表現はされていなかったのではないかなと、そこを強調すると、やはりなんだか趣味が悪いように聞こえますね。
「お上品だなぁ、君は」
「先輩が下品に触れてますから、バランスを取っているのですよ?」
自然な流れでそうなるのであるならば、ザマアミロ展開もそれほど気にならないわけでありますし、お約束となるほどの繰り返されている物語ならば、まってました、と、合いの手を入れるくらいには、面白そうではありますが、あまりにやりすぎると、不自然さを感じるわけでありますし、そもそも初見の物語でネタバレはよろしくないのでは?
「ある意味定番の物語であるという共通認識ができているからなぁ」
「それこそ、最初の立ち位置の描写やら解説やらでわかるのでは?」
なるほど確かに、虐げられている主人公が最後まで虐げられているという物語はちょっと予想できないでしょうね。悲劇ものであるならば、そのような展開はあるかもしれませんが、それに付き合ってくれるような読者も少ないのでありましょうかね?
「読みたい展開であるかどうかを確かめなければ読まないという層は確実に存在するわけなんだよね、悲しいけど、これ戦争なのよ」
「後半意味不明ですが、まあ、言いたいことはわかります」
落ちを最後どうなるか知らないと安心して読むことができないという方は昔からいたようですしね。一方で、先の展開がわからないから面白いという方々も普通に存在するわけでありますし。この辺り住み分けが進んでいるのでしょうね。
「先がどうなっているか作者にもわからないというのは結構普通では?実際あーしも、一行前に何て書いたのか覚えていないし、二行先の展開がどうなっているかもわからない」
「昔そう公言している物書きがいましたっけ?」
適当に聞き流しながら、ニヒルな顔で笑っている幼稚園児のような先輩のやわらかなほっぺたを伸ばして遊んでみるのでした。