3.
温かい……柔らかいベッドと太陽の温もりを感じる。最後に覚えている記憶とのギャップに、もしかすると私は死んで、ここは天国なのかな……。しかし意識が段々ハッキリとしていき、その目には見知らぬ天井が映る。
(まだ生きてる……?)
現状を把握するために上体を起こそうとするも体は上手く動かず、代わりにまたも脚に激痛が走る。
「あぁっ! つぅ……」
痛みに身もだえていると、足下で何かがごそごそと音を立てた。
「あれ、もしかしてアナタ目が覚めたの……ちょっと、大丈夫!? もしかしてどこか痛むの? お、お父さん、お父さーん!」
私と同年代くらいだろうか、ベッドに突っ伏して寝ていた少女は起きるやいなや、私の苦しがる様子を見て慌てて部屋から出て行った。少しして、バタバタと慌ただしい足音と共に少女が大人を2人連れてきた。少女の親だろうか。少し毛深い大柄の男が落ち着きの無い様子で私のことを心配する。
「大丈夫かい? まだどこか傷むかい? それとももしかして、傷口が開いてしまったかい……!?」
「え、えっと、もう、大丈夫、です」
それをもう1人の女がたしなめ、ベッドの近くにしゃがむ。
「ちょっとは落ち着きなさい、まったく。ちょっとごめんね……血は出てないわね。でもまだ油断はできないし、包帯を替えておこうかね。ほら、ボサッとしてないで包帯と、あと水でも持ってきてちょうだい」
母親は体を拭いてくれたあと、慣れた手つきで包帯を巻き直してくれた。ちょうど水を飲んで落ち着いたところで父親が温かそうな小鍋を持ってくる。
「さあお食べ、温かいシチューだ」
「大丈夫? 腕は痛まない? そうだ、わたしが食べさせてあげるね」
少女が心配そうな眼差しで身を乗り出してくる。
「アンタも落ち着きなさい。この子困ってるでしょう」
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとう、じゃあお願いしようかな」
「ええ、任せて! ふー……ふー……」
少女が私の口にスプーンを運ぶ。こんなにゆったりと食事がとれるのも、なんだかすごく久しぶりな気がしてくる。温かくて美味しいシチューが体に染み渡り、涙がこみ上げてくる……。それなりに量があったように見えたシチューをペロッと平らげ、また一口水をすすって一息ついたところで父親が口を開いた。
「いやぁしかし驚いたよ。森へ狩りに行ったら川端に女の子が打ち上げられてたんだから。しかもボロボロでね。いったい何があったんだい?」
水をもう一口飲んだ後、私はポツポツと語り出した。山賊に襲撃されたこと。火事の中必死で逃げてきたこと。森でレッサーウルフの群れに襲われたこと。話の間中、その家族は口を挟むことなくうんうんと相づちを打ち、終わった後で母親は私を優しくぎゅっと抱きしめた。
「そうかい……辛かったね、苦しかったね。でももうここなら安全だ。だから、大丈夫だよ、大丈夫……よく頑張ったね……」
母親が背中をぽんぽんと叩いてくれる。少女も私の手を握ってくれてる。ようやく自分がまだ生きてるという実感がこみ上げてきて、ついには大声を上げて泣き出してしまった。
*
その家族はとてもよくしてくれた。身寄りのない私を引き取って育ててくれた上に、「本当の家族と思ってほしい」とまで言ってくれた。ちなみに少女とは同い年で、誕生日の差で私の方がお姉さんらしいと判明した。まぁ、さすがにこの程度の差でお姉さん呼びも照れくさいのか普通に名前で呼び合っているが、今では本当の姉妹同然の仲だ。今日はそんな妹、改めベルと山菜採り(兼、遊びに)出かけていた。
「気をつけるんだよー。最近地震があったからね、辺りが崩れたりしてて危ないからねー」
「はーい!」
父親に見送られながら駆け出す。駆けっこをしながら目的地に向かい、途中、花の冠作りに興じているとふとベルが私の髪を一房手に取りながらこんなことを言い出した。
「そういえばアズラの髪って綺麗よね。鮮やかな赤色で、うらやましいわ」
「な、何? いきなり」
アズラと呼ばれた少女、つまり私は狼狽えてしまう。だって本当に急に褒めるんだもの。小っ恥ずかしくなった私は切り返す。
「ベルの方こそ、綺麗な栗色だし、とってもさらさら。女の子って感じでうらやましいよ。それにほら、わたしのはなんだか派手だし」
指先で髪をクルクルと弄びながら愚痴る。実際私は自分の髪の色が好きじゃなかった。派手なのもそうだが、燃える炎の様な真っ赤な髪色はあの日を思い出すのだ。両親の血と燃える家、それと森の中でもこの色を見た気がする。それから……もっと前にも見た気がするが、それ以上は記憶にモヤがかかった様に思い出せなかった。ズキッと痛んだ頭を軽く振り、ベルの方に振り向く。
「あら、竜のおとぎ話みたいでかっこいいじゃない」
「なにそれ?」
「知らないの? この国、タンニア王国の守り神のお話」
そういえばそんな話を聞いたことがある気がする。うろ覚えだが、たしか偉大なる竜がこの国を守ったとか、そんなありふれた話だった気がする。
「あー、忘れちゃった。どんな話だったっけ?」
「よく寝る前にお母さんが聞かせてくれてるでしょ? でもアズラったらすぐに寝ちゃうんだもん」
小さな悪態をついたあと、ベルは息を吸い込み歌い出した。この辺りに伝わる民謡を。あるとき白い竜が多くの蛮族を連れてタンニアを侵略しようとした。そこに一人の騎士と一匹の赤い竜が立ち上がり、瞬く間に追い払ったのだ。人々は大いに感謝し、讃え、その功績を歌にして残した。今でもその赤い竜はこのウォール大陸の南の方の洞窟に住み、タンニアに暖かい風を送ることで白い邪気を払っているのだという。歌い終わったベルが「ふぅ」と息をつく。私は自然と拍手をしていた。
「ベル、歌上手いね。とっても綺麗だったよ」
「そ、そうかしら……たいしたことないわ」
彼女は謙遜するが、本当に綺麗な歌声だった。こう、透き通る声というのだろうか、足りない語彙力では上手く伝えられずにヤキモキする。そう、つまりこう言いたいのだ。
「いや、本当に上手だよ。毎日聞いていたいくらい」
「な、何よ急に。褒めすぎよ……」
自分でもちょっと恥ずかしいことを言ったかなとは思ったが、彼女はそれ以上に照れている様子だった。それこそ私の髪よりも赤いんじゃないかってくらい顔を真っ赤にして。照れ隠しか、ベルが走り出して私を急かす。
「ほら、こんなことやってるうちに日が暮れちゃうよ」
「あ、待ってベル。あんまり走ると危ないよ」
さっきお父さんが言っていた、そっちの方はちょっと危ないんじゃないだろうか。加えてこの下は空洞になっているとも聞いたことがある。
「ベル、待ってってば」
やっと小さな手を捕まえ、ベルがこちらを振り向こうとしたその瞬間、彼女が視界から消える。やはり天然の落とし穴が……!
「ベル!」
「アズラ! このままじゃアズラまで……!」
例え私も落ちようと構うもんか。なんとか引き上げようと踏ん張るが、子供一人では限度がある。そのまま私達はズルズルと穴に引き込まれていった。二人の叫び声がこだまする。
「ううん……べ、ベル……?」
落下の衝撃で気を失ってたのだろうか、気がつくと辺りは真っ暗な洞窟だった。起き上がろうとして体がグラリと揺れる。そういえばさっきから地面の感触がない。よく見ると、私は木の根っこに上手く引っかかったようだ。
「ベル、大丈夫!? どこにいるの!?」
穴から差し込む日光を頼りに辺りを見渡すと、地面に横たわる人影を見つける。ベルだ! 返事が無かったのは気絶しているからだろうか。だが穴も意外と深くなかったし、きっと大した怪我もしてないだろう。根っこから身を乗り出し飛び降りようとしてハッと気づく。そのおぞましい光景と、か細い悲鳴に。
「いや……たすけて……!」
なんと様々な蛇や蟲がベルに食らいついてるではないか。そうか、ここは毒蛇の群生地だ。たしか蠱毒の洞窟と呼ばれていた。あの小さな蛇たちも、顎の力はさほどではないが代わりに強力な毒牙を持ち、獲物の体力をジワジワと削っていくらしい。ベルはそんな蛇に囲まれ逃げ場を失っていた。正直私一人でベルを抱えて逃げ切れる自信は無いが、迷ってる場合ではない。まさに飛び降りようという体勢を取ったところで、洞窟の奥からズ……ズ……と何か這いずる様な音が聞こえる。しかもかなり重さがある。これはまさか……釘付けにされた視線の先には、闇に光る目と巨大な体躯がうねっているのが見えた。あの規格外のデカさ、この洞窟の主と見て間違いないだろう。足がすくむ。今度こそ本当に逃げてしまいたい気持ちに駆られる。あの巨体、毒など使うまでもなく子供なんて丸呑みだ。今ならこの根っこを伝って脱出できるかもしれない。そうだそうしよう。仕方ない、私だって必死だったのだ。
「アズ……ラ……」
そんなわけがない。家族同然の、妹が助けを呼んでるんだ。弱音を吐いてるときじゃないだろう! そう自分を鼓舞するも、やはりなにか手段があるわけではない。勇気と蛮勇をはき違え、自分まで餌になっては元も子もない。そうしているうちに大蛇は大きく口を開く。
「やめて……」
『また何もできないまま終わるつもり?』
誰だ!? 弾かれた様に顔を上げると、うしろに気配を感じる。懐かしさの中に何かとても黒いものが渦巻く気配を。その声に耳を傾けると場がシーンと静まりかえり、まるで時間が止まっているかの様だった。
『今の君ならできるはずだよ。全部自分の欲しいものを手に入れることが』
どういうこと……それは妹を助けられるの? でもどうやって? 私の疑問に答える様にその気配は大蛇を指さして言う。実際に指が見えているわけではなく、なんかそんな気がしたのだ。
『簡単だよ。君の中の悔しさとか憎しみとか、そういうのを思い切り吐き出せばいいんだ』
悔しさ? 憎しみ? 何を言ってるんだ、ただ私は妹を助けたいだけなのに。言葉の意味が上手く飲み込めず困惑していると、いつの間にか謎の気配は消え、時計の針も進み始めていた。そこでハッとする。ついに大蛇がベルにかぶりつき、まさに飲み込まんとしているではないか。
「だめぇえええええ!」
私の叫び声と同時に洞窟内が激しい光に包まれる。次の瞬間、大蛇は吹き飛び壁に叩きつけられ、ベルはベチャリと音を立てながら吐き出されていた。今のは、私が……? しばし放心したのち我に返り、慌てて妹の元へ駆け寄る。息はあるが明らかに顔色は悪い。ベルを担ごうとすると、今度は仕返しと言わんばかりに激高した大蛇が襲ってくる。
「こ、来ないで!」
とっさに出した両の手から大きな火の玉が飛び出し、丁度大きく開いた口の中にクリーンヒット。勢いよくのけぞった大蛇はそのままその場に崩れ落ち、これは敵わないと奥の方へ退散していった。それにつられて小さな蛇や蟲たちも散り散りになっていく。なんとかなったのか……? 現実を受け入れられないまま、私はベルをおぶり家路を急いだ。
*
幸運なことに、というか不思議なことに、ベルは少し熱を出して寝込んだだけで元気になった。お医者さんは「時に毒の類いに強い免疫を持つ人もいる」と言っていたが、そんなレベルだろうか。あれだけの数を相手に、噛まれた傷跡だけしか残らないなんて……。もちろん良いことなので不満はないが、不思議なこともあるものだ。夜、ベルの様子を見に行くと、起き上がって本を読んでいた。
「もう大丈夫なの?」
「ええ、寝ているだけだと暇なの。それよりアズラ、助けてくれてありがとう」
「うん、ベルもすぐに元気になってよかった……」
「……あの魔法のこと、気にしてるの?」
「見てた……よね」
思い空気が流れる。おそらくベルも違和感を覚えたのだろう。
「できればあれはもう使いたくないな。皆にも内緒にしてほしい」
「アズラがそう言うなら、わかったわ……でも……」
「あれは魔法じゃない」
まず私にあんな高威力魔法を使うだけの魔力も技量も無い。たまに生まれながらにして魔法を操れる子供もいると聞くが、それも違う。そして神の声も聞こえなければ妖精も見えない。なにより、魔法には発動の媒体と発声が必要なはずだ。しかしあのときはそのどちらも無かった。ではあの力はなんなのか?
「あんな力が使えるわたしは、いったいなんなの?」
わからない。私の中に何がいて、そんな得体の知れない恐怖を宿すわたしが何者なのか。そして怖い。いつかこの恐怖が顔を出し、大事なものを失う気がして。
「アズラ」
「……なに? ベル」
ベルが私の手を取り、その掌で優しく包む。
「アズラはアズラよ。ちょっと無口だけどとっても優しい、たまにおっちょこちょい、そんなわたしのお姉ちゃん。他の誰でもないわ。そうでしょ?」
「ベル……うん、ありがとう。そうだね、わたしはわたしだ」
依然として疑問も恐怖も残ったまま、何も解決はしていない。でも大事な家族が無事で、こうして目の前で笑ってる。今はこれで十分だ。私もつられて微笑む。その考えの甘さから目を背けて。