第3話 魔王と剣聖
魔王は翼を上下させながら着地する。
それだけで大地が大きく揺れた。
次に真紅の瞳が私を射抜く。
強烈な殺気だ。
心の弱い者はそれだけで卒倒しそうな迫力である。
魔王は唸るような声で私に問う。
「汝が剣聖か」
「はい、そうです。あなたは魔王ですね。少し話があります」
「……配下との会話は聞こえていた。我と交渉をしたいそうだな」
「話が早くて助かります。お互いにとって利益のある内容です。きっと喜んでいただけるかと」
私は微笑を保って慇懃に語る。
魔王は大きな反応を見せないが、静かな怒りが渦巻いている。
いきなり襲いかかってくるほど理性が飛んでいるわけではないらしいものの、不意に仕掛けてくる恐れは十分にあった。
魔王の動きに注意を配りつつ、私は本題を切り出す。
「単刀直入に言います。私を雇う気はありませんか?」
勇者パーティーに追放された私は次の仕事を探していた。
つまり誰に雇われるかである。
そうして考えた末、魔王に狙いを付けた。
魔王は莫大な戦力を保有している。
瘴気に満ちた大陸を支配する王ならば、金銭的にも余裕があるだろう。
超歩合制の剣聖でも、問題なく契約を結べると思ったのだ。
倫理的な面で言えば暴挙にも等しい判断であった。
世界の支配を企む魔王の味方になろうとしているのだから、非難されて然るべき行為だ。
もっとも、私は善悪などに興味がなかった。
正当な支払いが可能なら、何者のためだろうと剣を振るえる。
すべては金と契約だ。
剣聖リゼンの刃は、世情に左右されないのであった。
私の提案に対し、魔王は沈黙する。
やがて怒気を含ませながら述べた。
「……この状況でよく言えたものだ。よほど豪胆なのか、或いは死にたがりなのか」
「どちらも違いますね。私はただ契約をしたいだけです。話を聞かずに仕掛けてきたのはそちらの部下ですよ」
「剣聖が魔族の領域に踏み入ったのだ。迎撃するのは当然の反応であろう」
魔王が正論を言うも、知ったことではない。
私は剣の柄を指で叩きながら笑う。
浴びせられる殺気を流しつつ、念押しを込めて尋ねた。
「それで、どうします。私を雇いますか」
「……まったく減らず口を。よくもそのような要求を貫けるものだ」
魔王の雰囲気が一段と変わった。
元から重厚感はあったが、それが致命的なほど濃密となる。
魔王の立つ大地に亀裂が走り、滲み出る魔力が電流のように瞬く。
「汝の振る舞いは災厄そのものだ。大方、勇者から派遣された尖兵なのだろう。我に取り入って戦力を削ぐように命じられたのか?」
「やれやれ、魔王軍の方々は話を聞きませんね。疑念と妄想に囚われすぎです」
「黙れ。汝の主張は信用ならぬ。これ以上の会話は不要だ」
魔王の力が際限なく高まっていく。
既に攻撃態勢に移っているのだ。
その場から動かないまま、何らかの術を飛ばそうとしていた。
(交渉決裂ですか。ここまで足を運んだというのに、嫌になりますね)
とは言え、私はまだ諦めていなかった。
ただの直感だが、交渉の余地がありそうなのだ。
ここからの対応次第な気がする。
今にも死闘が始まりそうな気配をよそに、私は平和的な解決策を脳内で模索する。
その間に魔王は長々と語り始めた。
「およそ五百年前、我は当時の勇者に敗北した。傷は未だ癒えておらぬが、それでも汝を屠る程度の力は残っている。たとえ軍勢を葬り去る剣聖でも、真なる混沌の力には耐えられまい」
「試してみますか?」
「無論だ。蛮勇なる剣聖よ。遺言はあるか」
「いいえ、何も」
「そうか。では死ね」
魔王がこちらを向いて口を開けた。
そこに魔力が集束して漆黒の光球となる。
空間を軋ませながら圧縮されていくと、光球は弾けるような音と共に放射された。
すべてを消滅させる破壊の概念と化して直進する。
(直撃すれば消し飛びますね)
私は剣の柄を握り込み、漆黒の光に合わせて居合いを放った。
魔王による必殺の術に刃を打ち当てる。
背筋を巡る死の予感を気力で退けて、そのまま斬り流すように振り抜く。
私の斬撃は漆黒の光を両断した。
破壊の力を取り込んで突き抜けて、その先にいた魔王に直撃する。
逆流した力は大爆発という形で炸裂した。
魔王の巨躯が吹き飛んで大地を転がる。
街の外壁を薙ぎ倒した末に止まった。
白煙を上げる身体は鱗の大部分が剥げている。
その内側の肉も焼け爛れて出血していた。
今の一撃でそれだけ損傷したのである。
魔王は何度か立ち上がろうとして失敗した。
消耗が大きすぎるようだ。
震える両脚を睨みながら呻く。
「なぜ、だ……我が混沌を凌駕するなど……」
「才能と努力の結果です。世界とは残酷なものですね」
私は歩み寄りながら悠々と言い放つ。
疲労は特にない。
互いの優劣は歴然であった。
魔王は悔しげにこちらを見て呟く。
「殺せ。我が野望は潰えた。あとは汝の好きにするがいい」
潔く構えを解いた魔王は、目を閉じて無防備になる。
騙し討ちの兆しはない。
本当に負けを認めたらしい。
大それた目的を掲げる割には諦めが早すぎるのではないか。
そのような感想を抱きつつ、私は魔王の顔に近付いて告げる。
「では私を雇ってください。一太刀につき金貨一枚です」
朗らかに言う私に対し、魔王は奇異の視線を向けてくるのであった。