第121話 交渉成功
私の提案を聞いた商人は思考停止する。
その後、我に返って凄まじい剣幕で怒鳴ってきた。
「はぁ!? あんた何言っているんだ!」
「だから金貨一枚を私にください。海の神が死ぬ瞬間を見れますよ」
「冗談を言ってる場合じゃねぇんだ。悪いが他を当たってくれ!」
商人が逃げ出そうとするも、その場から動けない。
私がしっかりと掴んでいるからだ。
彼の腕力で振りほどけるほど私は貧弱ではない。
たとえ商人が百人いたとしても結果は変わらないだろう。
焦る商人は、涙を浮かべている。
迫る海の神を感じ取っているのかもしれない。
一般人でも分かるほど濃密な魔力が周囲に漂い始めている。
「こ、この放せぇっ!」
「嫌です。我ながら交渉には自信があるのですよ。ここですげなく流されると傷付いてしまいます」
これでも世界最強の剣聖なのだ。
本来なら引く手数多で戦力を貸し出す側である。
成り行きとは言え、こちらから持ちかけた提案を蹴られるのは好ましくない。
私も人間なのだ。
そういった自負や誇りは持ち合わせている。
こだわりを捨てるほど切迫した状況ではないので尚更だろう。
しばらく問答を続けた末、急に商人が大人しくなった。
少し冷静になったようだ。
疲労で汗を垂れ流す彼は私に確認する。
「金貨一枚で放すんだなっ?」
「まあ、そうですね。契約成立ということで、海の神を殺しに行きますから――」
私が答える途中で、商人が金貨を押し付けてきた。
彼は血走った目で必死に訴えかけてくる。
「どうだ、金貨一枚だ! これで、十分だな!? 分かったら、さっさと、放してくれぇ!」
「できれば果物も欲しいのですが」
「勝手に持ってけよ! どうせ放置して避難するんだ。大した価値もねぇ商品さ!」
商人が私を突き飛ばすようにして逃げていく。
あの感じだと、私が海の神を殺すことについては信じていないだろう。
単純に放してほしかっただけかと思われる。
それでも金貨を受け取ったのは事実だ。
私は微笑を浮かべて呟く。
「――契約完了、ですね」
許可を貰ったので果物を手に取って齧る。
仄かな酸味と甘みが合わさって清涼感を生み出している。
一口ごとに味わいが深まってくる代物だった。
私は何度も頷きながら果物を食べ進める。
「ほう、美味しいじゃないですか。大した価値はありますよ」
しっかりと完食してから鞘に手を伸ばす。
そこには安物の剣が吊り下がっていた。




