第106話 正念場
一方でウィスの容姿の変貌が悪化していた。
魔神の粒子を取り込むたびに肉体の立体感を喪失し、気配そのものが根本から塗り変えられていく。
極寒に等しい空気を醸しながらも、不思議と存在感は薄い。
気を抜くと見失いそうな絶望が、そこに、人型の体を為して顕現していた。
魔神の力に底無しの悪意がへばり付いて馴染んでいる。
私は聖剣を片手に持ちながら声をかける。
「そちらの準備はできましたかね」
「ああ……問題ない。上手く適合できたみたいだ。清々しい気分だよ。存在値は魔神と同等だが、あの頃と違って意識は明瞭だ。理性も繋ぎ止められている。まさに理想の姿だよ」
ウィスは嬉しそうに述べる。
本人に目論見通り、受け答えができる程度には知性が保たれているらしい。
先ほどから劣化した印象は見られない。
満足そうなウィスに対し、私はあえて楽しげに問いかける。
「理想の姿で死ねる気分はどうですか」
「……挑発しているのかね」
「解釈は任せますよ。私はただ実行するだけですので」
そう言って居合いの構えを取った。
シアレスから喜色の思念を感じ取る。
気分が昂揚しているらしい。
この場において後ろ向きな感情を抱えていない。
素晴らしい武器である。
私の言葉を聞いたウィスは先ほどまでのように怒ったりはしない。
むしろ余裕たっぷりに嘲るような声音で語る。
「剣聖リゼン。君は大いなる過ちを犯した。本気で僕を止めたければ、術を起動させる前に行動すべきだった。もう手遅れだ。誰も僕には勝てない。このまま地上……いや、神界の果てまで侵略してみせよう」
「大きな野望を掲げるのは自由ですが、失敗した時に恥ずかしいですよ」
「絶対に失敗しない。もう誰にも負けないからだ。君は規格外の剣士だが、それでも魔神の足下にも及ばない。今ここで証明してあげよう」
ウィスが悠々と宣言して、体内の瘴気を発散させる。
彼を中心に空間そのものが漆黒に蝕まれていく。
そんな中、私は怯まずに歩を進めた。
「私は魔神の復活を待っていました。なぜか分かりますか」
「つまらない嘘はいい。どうせ言い訳だろう」
「違います。戦ってみたかったのですよ。神に挑める機会は滅多にありませんからね。己の力を試したいのです」
微笑の域を越えて、笑みに狂気が差す。
私は己の期待感を隠せずにいた。
ひりつく肌の感触が心地よい。
迫る死の気配に酔い痴れそうだ。
早く、剣を、振るいたい。
その衝動が脳を焦がしかねない。
柄を握り締める手は、己の力で骨が折れそうだった。
私の本音を受けたウィスは困惑と呆れを滲ませて言う。
『汝は、その動機だけで魔神の蘇りを許したのか……?』
「ええ。私にとっては重要なことですので」
頷いた後、居合いの姿勢のまま背筋を伸ばした。
柄を握り直して一歩ずつ進む。
漆黒の空間が、真の魔神との距離が縮まっていく。
「一太刀につき金貨一枚。存分に味わってくださいね」
私は満面の笑みで宣告した。




