第100話 儀式の幕開け
私は明かりも無い螺旋階段を下りていく。
特に罠の類は見当たらない。
侵入者を想定していないのか。
或いは踏み込まれても構わないと考えているのか。
どちらにしても大胆なことである。
黙々と進むうちに異様な力の気配が漂ってきた。
私は抜き見の剣を意識しながら考える。
(禍々しい瘴気と魔力……これは魔王すらも軽く凌駕しますね)
この先では魔神復活の儀式が行われているはずだ。
つまりこの力の気配は魔神のものである。
儀式は既に完了してしまったのだろうか。
それにしては静かすぎるので、これは途中経過に違いない。
蘇りかけた魔神の爪先が覗いているようなものだ。
最大の力となると、果たしてどれほどの規模になるのか。
私には想像も付かなかった。
やがて階段が終わって最下層に至る。
鍾乳洞のような空間には、床いっぱいに描かれた魔法陣があった。
その中央の台座に聖剣シアレスが固定されている。
こちらに背を向けるようにして、ローブ姿の男が魔力を操っていた。
私はあえて気軽に声をかける。
「どうも、こんにちは。見物に来たのですが」
「やあ、待ちくたびれたよ。見物は大歓迎だよ、剣聖リゼン」
振り向いた男は顔が血みどろだった。
見れば手もローブも赤黒く染まっている。
彼の足下にはたくさんの死体が転がっていた。
明らかに高級そうな衣服の者が多い。
十中八九、この国の貴族だろう。
冠を被っているのは国王か。
そのような死体のそばに立つ男の顔は非常に穏やかだった。
開き気味の目は散乱しているが、激情に駆られているようなことはない。
彼は嬉しそうにこちらを凝視している。
私はいつでも攻撃できるようにしながら尋ねた。
「あなたは誰でしょうか」
「僕はペッチホップ。魔導国の軍事開発部で研究者をしている。それと砂漠の大陸の責任者だ」
「ふむ、聞き覚えのない名前ですね」
「偽名なんだ。たまに名を使った呪いで暗殺を試みる輩がいてね。昔、痛い目に遭ったから適当な名前を使うことにしている」
ペッチホップが偽名の男は苦笑気味に述べる。
懐かしむような口ぶりに怒りは含まれていない。
むしろ楽しそうな調子である。
男は両手を広げて改めて名乗った。
「君には本当の名を教えよう。ウィス・ナリハリア・リンドバード」
「魔王軍の四天王――通称は"不明忌憚"でしたね。まさか人間だったとは思いませんでした」
「種族なんてどうでもいい。僕にとっては体調みたいなものだ。日ごとに変わるのだから頓着しない」
"不明忌憚"ウィスは淡々と言い放つ。
彼の目には、曇りなき悪意が爛々と輝いていた。