第2章 探索 3
「誰……?」
七都は、少女を見下ろす。
少女の冷たい手に、ぞくりとした恐怖をふいに感じた。
七都は少女の手を振りほどこうとしたが、その手は七都の動きを察知していたかのように、七都の手をしっかり捉えて離さなかった。
七都がめいっぱい力を出しても、少女は涼やかな顔で笑顔を向けてくる。
(こんな小さな子に、こんな力が?)
七都は抵抗するのをやめた。
少女は満足したように力を抜き、さらに七都の手に自分の手を深く絡めた。
<魔神族の少年少女は、馬鹿力を持っている……>
七都を襲ったグリアモスの言葉がよみがえる。
この子……魔神族?
「やーね、ナナト。私のこと、覚えてないの?」
少女が、おもしろがるように訊ねた。
「え……?」
少女は、いたずらっぽい笑みを浮かべ、七都の様子をじっと観察している。
彼女がそういう質問をするということは、扉の向こう側の世界で会ったということになるのだろう。
けれども、七都には全く記憶がなかった。
子供と関わったことはないはずだ。
向こうの知り合いで、一番年下はセージ。
とはいっても、セージも十代前半。十二歳か十三歳くらいだ。
この少女はどう見ても、小学生にもなっていないくらいの年齢に見える。
そういう年代の人物とは、1回目に行ったときも2回目の時も、遭遇しなかったはず……。
彼女の細い金色の髪にも、夏の空の青い目にも、見覚えはなかった。
もっとも、それはこちら用の配色で、向こうでは色が違うかもしれないのだが。
「ごめんなさい。どこかで会ったっけ?」
七都が言うと、少女は一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「やっぱり覚えてないんだ? まあ、仕方ないかな。あなたはあんな状況だったし、私も全然違ってたし……」
のんびりと少女が呟く。
「誰なの?」
「名前は……そうねえ。『サラ』って呼んでもらおうかな」
少女は、少し考える素振りをして、そう言った。
「サラ?」
もちろん七都には、その名前にも記憶はなかった。
「ね、ナナト。これから義理のお母さんを探しに行くんでしょ。ついて行ってもいい?」
サラが訊ねる。
底抜けに明るい口調だった。
「……何で知ってるの?」
再び七都は、ぞくっとした恐怖を感じる。
この子、何者?
何でわたしの家庭の事情を知ってるの?
自分に養母がいることも、彼女が家出したことも、そして自分が探しに出たことも、全部知っている?
しかし、七都は思い直す。
魔神族なら、そういうことを調べるのは恐らく簡単だ。
「あなたのことに興味があったからね。見張り人とお話ししてるところを後ろから歩いて、立ち聞きしちゃった」
サラが、やはり明るい口調で言う。
(立ち聞きって、結構アナログ。魔法じゃないんだ?)
「魔法を使ったら、見張り人に嗅ぎ付けられて、たちまち連れ戻されちゃうもんね。あの人たち、うるさいのよね」
七都の思考を読み取ったかのように、彼女が呟く。
「あなた、魔神族だよね?」
七都が訊ねると、サラは、こくんと軽く頷いた。
「ね。一緒に行ってもいいでしょう? それとも、こんな小さな子を見知らぬ異世界にたったひとりで放り出す気?」
サラが挑戦的な表情で七都を見上げる。
その青い目が、きらりと光った。
「ひとりで来たの? この世界へ?」
サラは、今度は深く頷いた。
「言っとくけど、初めてよ。ここに来るの。話はよく聞いてたんだけどね。おもしろいところみたいだし、楽しみにしてたの」
「話? 誰から?」
「ミウゼリル」
がん、と頭を殴られたような気がした。
まさかこの少女の口からその名前が飛び出すとは、思ってもみなかった。
母の知り合いなのか?
七都は彼女を穴の開くほどに見つめたが、当然のことながら、何も答えは見つけられなかった。
「だめだって言っても、ついて行っちゃうからね。ほら、電車が来たよ、ナナト」
葡萄酒色の電車が、ホームに滑りこんでくる。
扉が開くと、サラは七都の手をぐいと引っ張った。
七都は仕方なく、少女にエスコートされるような感じで電車の中に入った。
電車の中は、やはりがらんとしていた。
座席のシートの葡萄酒色の割合が多い。
夏休みでなかったら、おそらくこの時間帯は学生たちで混んでいるに違いない。
沿線には高校はもちろん、大学も幾つかあるのだ。
七都とサラは、席の端に並んで座る。
自分とこの少女は、いったいどういう風に他からは見えているのだろう。
年の離れた姉と妹には、当然見えない。
サラは、見た目は完全に外国人だからだ。
若い叔母さんと姪っ子。姉が外国人と結婚してて、姪っ子は見た目は外国人だが、実はハーフ。
そういうところだろうか。
しかし、七都たちに注目する乗客はいなかった。
携帯をいじったり、居眠りをしたり、文庫本を読んだり、短い電車の旅をそれぞれ思い思いに過ごしている。
外国人が電車に乗っていても、この地域ではさほど珍しくないことも幸いしていた。
「……お母さんを知ってるの?」
七都は、サラに訊ねてみた。
「あなたが生まれる前からね。あなたよりは、よく知ってると思うよ」
彼女が答える。
ということは、こういう年恰好をしているとはいえ、やはりこの少女も中身は百歳以上なのかもしれない。
「そういえば、ミウゼリルは? 彼女、あなたのおうちでおとなしくしてるの?」
サラが七都に訊ねる。
小首をかしげたその仕草は、どう見ても愛らしい人間の少女のものだ。
(よく化けてる……)
七都はひそかに感心した。
「お母さんは連れ出されたみたい。私と一緒にこっちに来ちゃった魔神狩人にね」
「黙って連れて行かれる彼女じゃないでしょ。彼女の意思でついて行ったに決まってるわ。それにしても、ミウゼリルもしようがないわねえ。またややこしい人を選んだものね。魔神狩人ですって?」
サラが、にやっと笑う。
「まあ、それなりにおもしろいかもね。で、ナナトはミウゼリルのほうは探しに行かないんだ?」
サラが、少し意地悪っぽく七都に訊ねた。
七都は顔をしかめる。
だって……。それは少し思ったけど……。
「お母さんは、元魔王さまだもの。この世界のことも、よく知ってるし。ほっといても大丈夫だと思ったの。それに猫ロボットの中に入ってるしね。自分から正体をばらさない限り、安全なはず。見張り人さんたちも探してくれている。でも、果林さん……あ、それが育てのお母さんの名前だけど、彼女は、ただの人間だよ。お母さんとお父さんのことで、傷ついて家出してしまった。お父さんは能天気にほったらかしだし。わたしが探さなくちゃ。探せるのはわたししかいない。果林さんには家に戻ってほしいもの。お父さんにもわたしにも、果林さんは必要なんだ」
「ミウゼリルの前で、そのセリフは言えないわよね……」
サラが溜め息をつく。
七都は、ぎゅっと手を握りしめた。
「まあ、いろいろと大変ね。あなたも苦労するわね、ナナト。頑張ってね。ミウゼリルが戻ってきて、その『果林さん』とやらも帰ってきたら、あなた、もっとに大変よねえ」
「お母さんには、すぐに向こうに帰ってもらうから、だいじょうぶ」
七都は、サラを睨んだ。
「ミウゼリルが、すんなりと帰るとでも? あんなに焦がれていたヒロトを目の前にして?」
サラが、おもしろがるように言う。
「すんなり帰ってもらいます。我が家の平和のために!」
七都が叫ぶように言うと、サラは声を出して笑った。
七都とサラは電車を一回乗り換え、三つ目の小さな駅で降りた。
鞄に入れてあった葉書を取り出し、改札の横の壁にあった大きな地図で、葉書の住所を確かめる。
それはすぐに見つかった。
駅からは徒歩10分くらいでいけるはずだ。それも葉書に書いてある。
「どこに行くの?」
サラが訊ねた。
「この葉書をくれた人のところ」
「ふうん。楽しみね」
七都とサラは黙って駅からの道を歩いた。
いろいろ質問して正体を見極めたかったが、彼女と話を続けると気分が落ち込む。
心をえぐるような質問を無邪気に投げかけてくるからだ。
悪気が全然ないらしいことが、さらに七都をいらつかせる。
その大人びた口調も。何もかもわかっているような、生意気な素振りも。
というより、彼女の言うことが当たっているから腹が立つのかもしれない。
お母さんと果林さん……。
二人とも大切だ。
どちらも自分の母なのだから。
どちらも悲しませたくない。
でも……。でも。
自分の体も心も、一つしかない。
サラは七都と手を繋いだまま、スキップをし始めた。
七都は、さらにうんざりする。
この子、人の神経を逆なでする術でも身に付けているのだろうか。
自分より百歳以上年上なのに、この精神年齢なんて。
光の魔王ジエルフォートが以前、言ったことを思い出す。
魔神族は見た目の若さを保てるがゆえに、いつまでも心が成長しないとか何とか。
七都は、この上なく深い溜め息をついた。