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第2章 探索 2

「だいじょうぶだよね。だって、あの人たち、いわばプロだもの。すぐ見つけて連れ戻してくれるよね。ユードと、お母さん……」


 七都は呟いて、キッチンのテーブルにつく。

 取りあえず、すぐ食べられるものから始めなければ。

 お湯が必要なものは、それからだ。


 七都は、取りあえずサンドイッチを二つ、一気に口の中に押し込んだ。

 コンビニのサンドイッチを食べるのは初めてだった。

 口の中がマヨネーズの味でいっぱいになったが、それを飲み下す。

 やはり果林さんが作ってくれるサンドイッチのほうがおいしいが、贅沢は言っていられない。

 七都は焼きうどんの皿をあっという間に空にし、それからおにぎりにかぶりついた。


 食べている。

 魔神族ではない人間の自分の体が、エディシルではなく、ちゃんとした食べ物を食べている。

 舌はきちんと味を感じ、歯は固体を噛み砕く。

 そして、それは喉を通り、確実に胃の中に収まっていく。

 そのことが七都は嬉しかった。

 夢の世界の中ではなく、ちゃんと現実で何かを食べ、それを体の栄養にしている。

 真っ当なことをしているという自信と安心に、七都は包まれる。


 おにぎりが残らずなくなると、七都はお湯を沸かした。

 それから、カップ麺3個の蓋を開け、流し台の上に並べる。


 ナチグロ=ロビンが、ソファから呆れたような視線を送ってきた。

 <カップ麺かよ。果林さんに泣かれるぞ>と言いたげな視線だ。


「仕方ないじゃない。ユードに食べられちゃったんだもん」


 七都は彼を睨み返した。


 胃に食べ物が入ると、少し落ち着いてくる。

 七都は、まだ沸騰していないやかんを眺めた。

 果林さんお気に入りの牛模様のケトルだ。

 殺風景すぎるくらいにきれいに整理整頓されたキッチンで、その白黒のケトルは常にアクセントになっていた。

 けれども、いつもキッチンでこれを使っていた彼女は、今はいない。

 この家から出て行ってしまったのだ。彼女の意志で。そして傷ついた心を抱えて。

 その事実を再び思い出すと、七都の落ち着いたはずの胃は、ずきりと痛んだ。


 「食事が終わったら、果林さんを探しに行こう。ユードのことは見張り人さんたちに任せて。そうだよ。扉の向こう側のことよりも、こちらのことを大切にしなくちゃ。今のわたしにとって大切なのは、この家での生活なんだもの。守らなきゃならないのは、それなんだ。……ああ、でも」


 七都は、溜め息をつく。


「ストーフィの中のお母さん、心配だな。だけど、お母さんはこの世界のこと詳しいものね。何せ以前、住んでたんだから。そりゃあま、十五年ほどブランクがあって、浦島太郎状態かもしれないけど。それに、そもそも元魔王さまだもの。侍従長も、それほど心配してないみたいだし。ほっといてもいいよね」


 七都は、ちらっとナチグロ=ロビンを見る。

 黒い毛の中の金色の目が、七都を見つめ返した。


「ユードったら。観光とか、開いた口がふさがらないよ」


 ケトルの笛が、ぴーっと鳴る。

 七都はケトルを火から下ろし、お湯をカップ麺に注いだ。



 食事が済むと、七都は一階にあるサンルームに入った。

 洗濯物をベランダに干したりすると、せっかくのお洒落なアールデコ調の家が台無しになるので、そういうものも父は作っていた。

 白い枠組みにガラス張りのサンルームは、外から見ると宝石箱のようだった。

 七都は子供の頃、よくここで人形ごっこをしたり、友達を連れ込んでゲームをしたりして遊んだ。

 果林さんは、洗濯やアイロン掛けをするだけでなく、小さなテーブルと椅子を置いて、書き物や読書をしていた。

 部屋の隅には、果林さん用の小さな棚も置かれている。


 七都は、その棚を見下ろした。

 本が何冊か、さりげなく並べられている。

 ハードカバーの本。それに寄り添うように、文庫本。

 その間にサーモンピンクのクリアファイルが挟まっていた。

 七都は一瞬、罪悪感に囚われたが、無理やりそれを押さえ込み、手を伸ばしてクリアファイルを取り出す。

 A4のファイルの中には、数枚の書類が入っていた。それから、葉書が一枚。

 葉書の裏面には、おいしそうなケーキの写真がある。

 フルーツがいっぱい盛られた、カラフルなケーキだった。

 その葉書が送られてきたとき、果林さんは七都にそれを見せてくれた。それから、そのケーキにまつわる説明も簡単にしてくれた。

 あれはいつだったのだろう。たぶんゴールデンウイークのすぐ後くらいのことだ。

 あの時の果林さんの浮き浮きした顔が、何となく眩しかった。

 それまで七都が見たことのない果林さんが、確かにそこにいた。

 父の妻や主婦の顔ではなく、七都の義母としての顔でもない、果林さんの別の顔。

 それは果林さんの別の一面を引き出した、不思議な葉書だった。


「あった。果林さん、これ、ちょっと借りるね」


 七都は葉書の表面の下に印刷された差出人の名前と住所を確認し、クリアファイルを元の場所に戻した。


 サンルームのテーブルの上に、きちんと畳まれた洗濯物が置かれている。

 父の央人の分と七都の分。果林さんの洗濯物は、そこにはなかった。

 七都はそのことにまた寂しさを感じながら、サンルームを出た。


 外出用の夏のワンピースに着替えた七都は、キッチンの椅子に置いてあった鞄の紐をつかむ。

 その鞄からは、先程ストーフィ=母が何かを取り出して持っていったのだが、七都はそのことには気づかなかった。

 七都は鞄を肩にかける。


「それじゃ、行ってきまーす」


<どこいくの>


 ナチグロ=ロビンが、まだそのままにしていたパソコンの画面に文字を打った。

 猫の手がマウスを動かし、カチカチとマウスが小さく鳴る。


「果林さんを探しにね」


<!!!>

<さがしにって あてがあるの>


 入力し終わった後、くるりとナチグロ=ロビンの顔がこちらを向く。


(侍従長ったら。もしかして誰もいないときに、ネットでゲームとかチャットとか、やってたりして)


 七都はふと思ったが、その質問はまた次回、向こうの世界に行ったときに訊くことにした。


「うん、ちょっと。でも、違うかもしれないけど、一応ね」


 七都は答える。


<いってらっしゃい きをつけて>


「行ってきます。見張り人さんたちが戻ってきたら、よろしくね。鍵はかけないで行くから」


<りょうかい>


「ああ、シュールだ。猫にパソコンで挨拶されるなんて」


 七都が再び果林さんの真似をすると、ナチグロ=ロビンが肩をすくめたような気がした。



 七都は、つばの広い白い帽子をかぶり、玄関を出た。

 先程の空きっ腹で歩いたときよりは、はるかに体は楽だった。

 もうお腹はいっぱいだし、真夏の太陽を遮る日除けの帽子も被っている。

 あんなにたくさんの食料を胃に詰め込んで動けなくなるんじゃないかと思ったのだが、それほど苦しくもなく、だるくも眠くもなかった。


 沢山の夏の風景を通り過ぎ、七都は駅に着いた。

 改札を抜け、古いタイルが貼られた階段を上って、ホームに出る。

 ホームには、ほとんど乗客がいなかった。

 部活なのか、高校生くらいの制服男子が一人、そして、主婦らしき女性がひとり。

 日陰のベンチに座って、それぞれメールを打ったり、本を読んだりしている。

 のんびりとした夏の午後の駅の光景だった。

 ホームの横に茂った木々が、さわさわと涼しげな音をたてた。


 七都は、ホームに立つ。

 すっと、ひんやりした小さな手が、七都の手の中にすべりこんできた。

 七都が思わず下を見ると、一人の少女が七都の隣に立っていた。

 先程コンビニに行く途中、七都に声をかけてきた青い目の外国人の少女だ。

 七都と少女は、手をつないでホームに立っている構図になっている。


「え……?」


 少女は黙ったまま、真っ直ぐ前を向いている。

 前を向いたまま、七都の反応を窺いながら、笑いを噛み殺しているようでもある。


「えーと……」


 七都は戸惑いながらも、少女に手をつながれたままになった。


(この子の手、何て冷たいんだろ。夏なのに……。子供の手って冷たいんだっけ?)


 メーベルルのマントによく似た色の電車が、二人の目の前を通り抜けて行く。

 七都の黒髪と少女の金髪が、その風でふわっと舞った。

 やがて少女は、我慢できなくなったという感じで顔を上げ、にんまりと笑う。


「ナナト、あなたもいろいろ大変ね」


 少女が言った。

 向こう側の世界の言葉だった。

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