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第4章 三人の公爵 15

「こ、これ、リビングにあったわよね。ソファの上に! ナチグロの隣に座ってた。出かける前は、確かに!」


 果林さんが、気味悪げにストーフィ=母を見下ろした。


「あ、あは。えーとね。わたしが出がけに持ってきたの。やだなあ、果林さん。見てなかった?」


「ナナちゃんが持ってきたにしても、車から出るとき、助手席にはなかったわよ」


 果林さんが、さらに薄気味悪そうにストーフィから後ずさった。


「そ、それは、果林さんが降りた後、わたしが助手席に置いたんだよ。ちょっとした、いたずら心で」


「後ろから? ベルトまでして?」


「ベルトは、私がした。同じくちょっとした、いたずら心で」


 央人が助け船を出した。央人にとっても気味が悪いはずだが、ありがたいことに父は、向こうの世界がらみのファンタジーに関しては大らかだ。


「まったく、もう。何やってるんですか、二人とも、こんなときに」


 果林さんは、目を釣り上げる。けれども、その目は涙目だ。

 確かに、こういう複雑な状況のときに、そんないたずらをするのは場違いで度を越している。七都は怪我をしているし、果林さんは家出から帰ってきたばかりなのだ。こんなときに悪ふざけをするなど、彼女に情けなく思われても仕方がない。


「ごめんなさい。すぐどけるから」


 七都は慌ててストーフィからベルトをはずし、無造作に足をつかんで、後部座席にドサリと投げ込んだ。


「お母さん、何やってんるんだよ! 何でついてきたの!?」


 ドアを開けて後部座席に滑り込んだ七都は、ストーフィをむんずとつかみ、その耳に口をつけて、小声で叫んだ。


(だって、一緒に行きたかったんだもん……)


 ストーフィ=母が、七色に点灯した目をうるうるさせて、七都を見つめる。


(留守番しててって言ったでしょ。何で助手席に座って、ご丁寧にベルトまでしてるんだよ)


(だって、車の助手席に乗ったらベルトしなきゃいけないって、昔、ヒロトに言われたんだもん)


 ヒロトの隣に座るなんて許せない。そこは私の席なのよ。

 母は七都に対して言い訳をしたが、ストーフィの顔には、そういうセリフが貼りついていた。


 お母さんったら、もう果林さんにバトルを仕掛けたわけ……。

 自分が心配したとおりになっていく。たとえ猫ロボットの中に潜んでいたとしても、母は行動を起こしてしまう。

 となると、やはり、母と彼女を一緒の空間に置いておけない。

 そして、その行動のとばっちりを受けるのは、間違いなく自分なのだ。今だって、あせっていっぱい嘘をついてしまった。この先、フォローなど出来そうもない。

 ぜーったいに、ルーアンに連れて帰ってもらう!

 七都は、改めて心に決めた。


 父と果林さんが乗り込んで、車が滑らかに動き出す。果林さんは、もちろん助手席だ。

 七都はストーフィを自分の横に座らせた。


(さっきの、『治りかけてた』って、どういうこと?)


七都は、頭の中でストーフィ=母に訊ねた。


(あなたはこの世界では人間の体だけど、向こうの世界と行き来するようになったら、こちらの体にも自然とその影響が出るってことよ)


 母が答えた。


(こちらでも魔力が使えるってこと? だってわたし、向こうでもあまり使えないよ)


 一応、他人の体感温度を下げることは出来るようなのだが。

 七都は、父の会社に行ったときのエレベーターでの出来事を思い出した。

 だが、自分でコントロールすることはできない。無意識にしてしまったことだ。


(たとえ、まだ思い通り魔力が使えなくても、あなたは生まれつき魔力が使える魔神族だもの。魔神族の体は、治癒能力が高いわ。大概の傷は短時間で回復する。エヴァンレットの剣で傷つけられたときは別としてもね。あなたの体も魔力が投影されて、少しその傾向になってきてると思うの。その傷も、切られたときよりは塞がってたはず。だから、お医者もほとんど手当はしなくて済んだんじゃないかしら)


 母=ストーフィが答えた。


(じゃあ、向こうで普通の魔神族レベルに魔力がもっと使えるようになったら、こちらでも、もっと使えるようになるの?)


(当然よ。魔神族は、普通どの異世界でも魔力がそれなりに使えるわ。でなきゃ、いろんな異世界に遊びに行ったりできないもの)


(なら、もしかして魔神族の姿のまま、こちらの世界でいるなんてことも可能なわけ?)


(もちろん。だって、体がいちいち切り替わるのは、元々は自分の体を守るために、あなた自身が無意識でやってること。コントロールできるようになったら、自由自在に魔力が使えるわ。魔神族のままでいることも出来るわよ。反対に、今の姿のままであっちに行くことも出来るし。人間のままだったら、あのタンメンの魔神狩人さんに、あっちでもやさしくしてもらえるわよお)


(かもしれないけど、その代わり魔神族に襲われちゃうよ)


(だいじょうぶ。いただきまーす、うわ、まずっ、ぺっ! になるから)


(ひどい。でも、だから、お母さんはお父さんのエディシルを食べなかったんだよね)


(当然、対象外だわ。別の対象ではあるけれど)


(はいはい。だから、私が生まれたんだっけね。でも、こちらで魔力を使わなきゃならないとか、魔神族の姿でいる必要とか、そんなの、きっと余りないよ。今までみたいに普通の人間として暮らしたほうがいいと思う。今回のことは特別だよ。あの危ない公爵は向こうに戻ったわけだし……)


(こちらにいる悪い人が公爵だけとは限らないわ。無防備で襲われたら、一溜まりもないわよ)


(そりゃあ、そうなんだけど……)


(便利よー。こちらでも魔力使えたら)


(そういう問題じゃないよ)


 向こうの世界では、吸血化け猫の魔神族で、魔王の娘で、魔王の後継者なのかもしれないけれど、こちらの世界では普通の人間の女子高生でいたい。

 こちらでも魔力なんかを使ってしまったら、ここでもまた、自分はそうなってしまう。この世界は、向こうの世界と繋がってしまう。

 今は、扉を抜けること、そして自分の体が変身することによって行くことができる向こう側の世界。その境目が崩れ去り、一気にこちら側と混じり合ってしまうのだ。

 そうなったら、現実と幻想が入り混じり、それでも、それらすべてが紛れもなく現実だと認識しなければならなくなる。

 そこには平安はない。常に緊張し、神経を張り詰めていなければならない。自分はこちらの世界でも魔王の身内であり、たとえそういう行為はしないにしても、やはり吸血鬼の一族だ。


 けれども、そういう考えは甘いのだろうか。七都は思う。

 普通、誰だって、自分が属する世界は一つだけ。どんなに望んでも、夢や幻想、映画やアニメやゲーム、小説の中など以外で、他のどの世界にも行けはしない。

 以前アーデリーズに、あなたは逃げ道があっていいわねと言われたが、つまりはそうなのかもしれない。

 自分はキープしておきたいのだ。平和で気楽なこちらの世界を。ぬくぬくと安心していられる場所、自分が魔王や吸血鬼と何の関係のない、普通の女の子でいられるところ。そういう場所を逃げ道として存在させ、そこを守りたいだけなのかもしれない。


 そして、こちらの世界にいると未だファンタジーや夢の中に思える向こうの世界とて、やはり幻想などではなく現実だ。

 そこでもまた七都は血を流すし、死も存在する。死体さえ残らぬ、魔神族の恐ろしく悲しい死が。

 そんな現実の世界が、もう一つの現実の世界と融合するだけ。双方ともに、七都が受け入れざるを得ないものとして。

 こちらが現実であり、あちらがファンタジーや夢では決してない。両方とも現実だ。


「帰ったら、ナナちゃんに荷物運ぶのを手伝ってもらおうと思ったんだけど、それじゃ手伝ってもらえないね……」


 助手席で果林さんが、ぽつりと呟いた。

 

「荷物? 何の? どこからどこへ運ぶの?」

「荷物なら、私が運ぶが?」


 七都と央人が同時に言う。


「ナナちゃんの隣の部屋なんだけど」


「物置にしてる部屋のこと?」


 七都の隣の部屋には四畳半くらいの小さな洋室があるが、特に何の部屋にもなっていなかった。

 使わなくなった健康器具や古着の入った衣装ケース、お歳暮やお中元でもらった、使う予定のない食器やタオルの箱などが置かれているくらいだ。

 たまにナチグロが入り込んで、昼寝していたりする。

 果林さんはその部屋に、何かまたいらないものを運び込むのだろうか。


「私が寝室に置いてる荷物ね。タンスとかドレッサーそのものを動かすのは大変だから、また後程ってことで、取りあえず必要な中身だけ、そこに運ぶわ」


 果林さんは、一体何を言っているんだろう。

 父は黙って車の運転を続けていたが、静かに息を飲むのがわかった。

 ストーフィ=母も、猫ロボット雑貨のふりをしながら、しっかりと耳をそばだてている。


「今夜から、そこを私の部屋にするから」


 真っすぐ正面を向いたまま、果林さんが言った。

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