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第4章 三人の公爵 10

「いえ、そうでした、と言うべきですかね」


 ルーアンが、呆然と固まっている七都に向かって言い直した。


「過去形?」


「前にあなたにお話ししましたよね。王位の継承者がいなくなったため、風の魔王リュシフィンは、わたしが他から連れてくるようになったと」


「うん、聞いた。あなたがリュシフィンになることを拒否して、リュシフィン候補が風の王族にいなくなっちゃったから、火の王族の親戚から誰か適当に連れてきて、あなたが冠をかぶせてリュシフィンにしたってことだったよね」


 ルーアンは少し不満そうな顔をしたが、一応頷いた。


「適当ではありません。血筋、家柄、容姿、性格など、様々なことを吟味して選んでおりましたので」


「でも、選択肢はそれなりに狭かったでしょ。え。もしかして、そういう人なの? あの公爵……」


「私が正式に火の王族に申し入れて頼んだのです。そのときのリュシフィン……つまり、あなたのおじいさまなのですが、病のためにあまり長くないので、次の風の魔王リシュフィンとして彼が欲しいと」


「ちょっと待って! そんな話、聞いてないよ。あなたは前に、風の王族はお母さんとわたしだけで、リュシフィンの継承者は、今はわたししかいないって言ったじゃない。だから、あなたは、わたしがリュシフィンになることを拒否しているにも関わらず、わたしの外堀を埋めようとしてるわけなんでしょ」


「最後まで聞いてください、ナナト。かつて、そうであったということです。彼の名前は、ヴォルフラム・リンドグレット。火の魔神族です。火の魔王に近い血筋の公爵ですね」


「ヴォルフラム……リンドグレット公爵? うわ、何か、っぽい名前。じゃあ、あの人、やっぱり火の魔王サーライエルさまの親戚……?」


「そうです。リンドグレット公爵はサーライエルさまの近親者であり、彼の祖母が風の王族の姫君だったため、風の魔王の継承権も持っていました」


「過去形ってことは、その話が何らかの理由で破談になったってわけだよね」


「ミウゼリルが生まれたからです。あなたのおじいさまとおばあさま、つまり、風の魔王とその王妃に」


 ルーアンは無表情にそう告げたが、『おばあさま』というのは、彼の元婚約者テルレージアのことだ。

 七都はしげしげとルーアンの顔を眺めたが、特に何も発見はできなかった。彼がどういう思いを抱いているのかは、七都には永遠にわかりそうもない。


「風の魔王に実の子供が生まれたわけですから、わざわざ親戚から次期魔王の候補者を連れてくる必要はなくなりました」


「確かに。それで、気の毒なことに公爵さまは、お払い箱になっちゃたんだ……」


「事情を説明して丁重にお断りをし、もちろん謝罪もして、サーライエルさまからも、ご了承を得ました。けれども、彼には禍根を残してしまったようです。その頃、彼は、もうすっかり未来の魔王としての生活をしていましたから。周囲の者たちも、そのつもりで彼に接していました。それが白紙になってしまったわけですから、彼の嘆きは尋常ではなかったでしょう。彼には本当に申し訳ないことをしてしまったのです」


「突然、梯子をはずされた感じだよね……。バラ色の未来が、いきなり灰色になっちゃったんだ」


「たとえ崩壊した都の魔王であろうと、七人の魔王の一人となることは、魔神族の最高の栄誉です。誰でもなれるというわけではありません。自分が魔王の後継者に選ばれたと知ったとき、彼は相当喜んだでしょう」


「風の王族の事情はともかく、彼を選んどいて、それを反古にしちゃったのは、あなただということになるものね。だから、あなたに恨みを抱いてしまったわけだ。 もちろんあなただけじゃなくて、お母さんやわたしも恨まれてるわけだよね」


「自棄になった彼は精神を病み、素行が悪化しました。悪い友人とつるんだり、グリアモスを引き連れて魔の領域の外で人間を狩ったり、襲ったり……あるいは別の世界に出かけて、そこを荒らしたりしたのです」


「悪行の一つが、あの異人館とディートリヒだったのかな。ゼフィーアのことも……」


「そうでしょうね。先ほどあなたが、セレウスを初めて見てどうのとおっしゃっていたのは、そのことだったのですね。セレウスは彼の子供ではないが、彼が乗り移ったアヌヴィムとゼフィーアの間に生まれた。とすると、彼の魔力の影響は受けていると思われます。だから、姿が似ているのでしょう。確かに似たところはあるなとは思いましたが、セレウスと彼との関係など、全く思いも及びませんでした」


「少なくとも、セレウスは公爵と血が繋がってなくてよかったと思う。姿は似てしまったとしても」


 七都は呟いた。


「やはり親子なんですね、あのアヌヴィム姉弟は」


ルーアンが言う。


「あなたは、それ、最初から見抜いていたんだよね。さすがだよ」


「いえ。姉弟にしては、どこか不自然に思えましたので」


「ゼフィーアが仕えていたご主人は、火の魔貴族の身分の高い人だって聞いた。ちょっと気になったんだけど、ご主人って、その公爵じゃないよね?」


「ゼフィーアの主人は、あなたのお話によると、リンドグレット公爵の悪友の一人だったということでしょう。こちらの世界で言えば、乱交パーティーとかですかね。そういう機会を公爵のために作って、自分のアヌヴィムであるゼフィーアに彼の相手をするよう命令した……。なので、公爵本人が彼女の主人ではないと思いますが」


「だよね……」


 相槌を打ちながら、『乱交パーティー』などという、とんでもない言葉をさらっと口にしたルーアンに、七都は顔をしかめて見せる。


「それに、幽閉された魔神族にアヌヴィムは仕えることは出来ません。幽閉された時点で全員契約を終了され、解雇されます。彼の糧としては、サーライエルさまが用意されたグリアモスなりが当てられるはず」


「そうだよね……」


 七都は、小さく呟いた。

 確かにそうだ。あの公爵は、たぶんゼフィーアの主人じゃない。きっと別の火の魔貴族だ。

 なのに、何だろう。何かとても不安に思ってしまう。

 この気持ちの悪さは何なのだろう。


「わたし、あの公爵に狙われているらしい。わたしを妃にして堂々と風の魔王になるって、あの人、そんなとんでもない野望を得意げに語っていたよ」


「ディートリヒの死と館の崩壊で、この世界での依り代もアジトもなくなったわけですし、それは不可能でしょう。彼の本体は火の都にあります。精神の病のため、そして悪行が過ぎたこともあって、サーライエルさまがどこかの城に幽閉したと聞きました。彼の意識が本体に戻ったのなら、そのまま幽閉されているはず。サーライエルさまが彼を管理されているのなら、大丈夫だと思いますよ」


 だから、あの洋館の前でディートリヒを見かけたとき、サラはああ言ったんだ。

 七都は思う。


<違うよ。彼がこんなところにいるなんて考えられない。だって、彼は……>


 彼は、私が幽閉してるんだもの――。

 サラは、そう言いたかったのだろう。


「つまり、たとえば誰かがサーライエルさまを出し抜いて、公爵の幽閉を解かないかぎり、大丈夫だってことだね」


「そうです」


 ルーアンは、大きく頷いた。


(でも、サーライエルさま、別の世界でふらふら遊んでおられるんだけど。おまけに魔神狩人と仲いいっぽいし……。本当にちゃんと管理しているのかな)


 七都は、ちらっと思ったりする。


「それに、たとえ彼が魔王になったところで、短命で終わるでしょうね」


 ルーアンが付け加えた。


「今まであなたが連れてきたリシュフィンと同じように、だよね。外部から誰か連れて来ても、冠に拒否されて力を吸い取られ、若くして病気になって死んじゃうんだ。わたしのおじいさまのように」


 七都が言うと、ルーアンは仕方なくという感じで肯いた。


「そういうことです」


「そして、あの公爵は、そのことを知らないんだよね、たぶん」


「そうです。ナナト。あなたがさっさとリシュフィンになってしまえば、問題はすべて片付きますよ。あなたが冠をかぶって玉座に座れば、誰かに王位を狙われることもなくなるわけですしね。彼が付け入る隙もなくなるでしょう。それが一番安全だと思いますが」


 ルーアンが言った。


「またまた、そうやって外堀を埋め始めるんだから」


「いえ、あなたがリシュフィンにならなければならない重大な理由が、また一つ増えたということです」


「あのね。それはつまり、わたしじゃなくて、あなたがリシュフィンになれば、問題は全部きれーいに、すーっきり解決するってことでもあるんだからね」


「そんなことをすれば、彼の憎悪をますます増幅させることになりますよ。彼が幽閉を解かれて報復に来たら、もちろんあなたは風の魔王となった私のために、命がけで彼と戦って防いでくれるのですよねえ?」


 ルーアンが妖しげな微笑みを浮かべて、七都の顔を覗き込む。


「あは。そ、そんなの、無理に決まってるじゃない。リンドグレット公爵にとってわたしなんか、生まれたての子猫みたいなもんだよ」


「ならば、あなたがリシュフィンになるしかないでしょう。私なら彼が報復に来たとしても、風の魔王となったあなたを守って、十分戦えますが?」


「ぐ……」


 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

 短く3回。父の鳴らし方だ。


「あ、お父さんだ!」


 七都は、そそくさと立ち上がった。だが、すぐにくるりとルーアンのほうを振り向き、念のために確認する。


「えーと。ルーアン、お父さんは知ってたよね。確かわたしが生まれる前からの付き合いなんだよね。お父さんに会っても、特に問題はない……と」


「問題はありません。久しぶりに会えるので、嬉しいですよ」


 ルーアンが魅力的に、にっこりと笑う。


 もう、まったく。何でこっちに帰ってきてまで、ルーアンと言い合いっこをしなきゃなんないんだか。

 今は人間の体だから、ルーアンと目を合わせて話すだけで、精神的にも肉体的にも、かなり疲れちゃう。


 七都は口を尖らせながら、父を迎えるために玄関に向かった。

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