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第4章 三人の公爵 9

(声が大きいわよ。バレちゃうじゃない)


 母が注意した。

 七都は思わず、自分の口を押さえる。そして、頭の中の会話に切り替えた。


(そういえば、お母さん。お父さんにはともかく、というか当然だけど、ルーアンまで秘密にする必要あるの? ナチグロにはわたし、ばらしちゃったよ。ルーアンはお母さんの臣下なわけだし、猫ロボットの中にいるのがお母さんだってことを彼にばらしちゃっても、支障なくない? ルーアンだって、お母さんに会いたいと思うよ。生霊のお母さんの姿は見えないかもしれないけど、ストーフィの中にいたらお話しできるんじゃない? お話できなくても、意思疎通はそれなりにできるよね。そりゃあ、お母さん、彼とは何かいろいろ確執があるみたいだけど、別に……)


(だーめ!)


 ストーフィの丸い目が七都を睨んだ。


(ロビーディアンに口止めしとかなきゃね。ルーアンにばらすと、いろいろ面倒だもの。説明したくてもできない事情があるし。私の存在が明らかになることで、風の城の状況は変わってしまうでしょうしね。このままのほうが動きやすいし、便利だわ。それより何より、この中にいるほうがおもしろいもの)


 七都は、「そこ!?」と思わず声を荒げて突っ込みたくなったが、やめておく。またルーアンに何か言われそうだ。

 母は、続けた。


(言っとくけど、ルーアンとの間に確執なんてないからね。そりゃあ、子供の頃は反発してたけど。今は違うわよ)


(彼のこと『愛してる』って、前に言ってたよね。まさか、それは……)


 七都がおそるおそる訊ねると、母は笑ったようだった。


(やーね。もちろん、家族として愛してるという意味よ。ナナトったら、何言葉どおり解釈してるの)


(そ、そうだよね。安心した)


 七都は苦笑いしたが、母の次のセリフに落ち込みそうになる。


(私が愛してるのは、ヒロトに決まってるじゃないの。家族としてとか、あなたの父親だからとかいうのももちろんあるけど、その前に私の夫、旦那様なんだからね)


 それは……果林さんへの宣戦布告に聞こえちゃうんだよね……。

 こっちの世界の法律では、お父さんの奥さんは果林さんだよ。


 そう思った後、七都は自分の考えが滑稽になる。

 こっちの世界の法律とか言っても、そんなの、お母さんには通用しないよね。

 お母さん、果林さんに何か手を出したらどうしよう……。元魔王さまだから、怖すぎるよ。

 自分でお父さんに再婚しろとか言っときながら、実は本当に再婚するとは思わなかった、ひどい! というのが本心みたいだし。


 そして七都は、さらに重ねられた母のセリフに、全く別の意味で落ち込んだ。


(大体ルーアンと確執があるのは、あなたのほうじゃないのよ!)


「な、ないよ、確執なんてっ!」


 七都は、思わず叫ぶ。


「そ、そりゃ、ちょっと上から目線でムカつくけど、いい人だし、すごい人だし、きれいだし……」


(ほら、声が出てるわよ。気をつけなさい)


 ストーフィ=母にまた冷静に注意され、七都は再び両手で口をふさいだ。


 ルーアンがトレーを持って、リビングに歩いてくる。

 彼は附属の紙コップを使わずに、陶器のコーヒーカップをわざわざ出したらしい。トレーの上には、お皿付きのコーヒーカップが2つ乗せられていた。

 けれども、陶器のこすり合うカチャカチャという音を一切たてることもなく、さらには足音をたてることもなく、彼は優雅にテーブルの上にトレーを置く。七都は、ユードが完食してそのまま置きっぱなしだったストロベリーアイスとキャラメルアイスのタッパーをテーブルの下に置いた。


 後でタッパー洗わなくちゃ。まったく、あの魔神狩人ったら、ちゃっかりデザートまで食べて行っちゃうんだから……。

 助けてくれたから、帳消しにしてあげてもいいんだけど。


 とはいえ、洗わなければならないのは、そのタッパーだけではない。流しには冷凍食品が入っていた容器や食器が山のように積み上げられているのだ。おまけに、このルーアンがインスタントコーヒーを入れてくれたコーヒーカップも追加されたことになる。かといって、まさかルーアンに洗ってほしいとも頼めない。

怪我をした手でたくさんの汚れた食器を洗わなければならないことを考えて、七都はうんざりしてしまう。

 果林さんがいなかったら、そういうことは全部自分でしなければならない。そのことを改めて思い知らされる。


「ありがとう。ごめんね、そういうことをお客様にさせてしまって」


「いえ、お客だなどと。あなたは王族の姫君で、私は臣下なのですから、当然のことですよ」


 勝ち誇ったようなストーフィ=母の目を、七都はちらりと見返した。

 はいはい、そうだよね。お母さんは魔王さまだったんだもんね。家事をルーアンに押し付けるのは当然だよね。

 七都は肩をすくめて見せた。


 コーヒーの香ばしい香りがリビングに満ちる。

 鏡のような銀のトレーも、高級そうな花柄のコーヒーカップも、七都の知らないものだ。

 七都は、そういうものがキッチンの食器棚のどこかにあったということがショックだった。

 わたしは場所どころか、そういうものの存在さえ知らないのに。

 ルーアンのほうがよく知っている。わたしの家なのに。

 母は確執と言ったが、たぶん七都のほうが勝手にコンプレックスを感じて、それを募らせているだけだ。

 そしてまた、新たなコンプレックスが一つ積み上がってしまった。

 ルーアンは七都の世界でさえ、七都より上位に立ってしまう。


 ルーアンは、『紀州のとれとれまぐろムース仕立て』が入れられたナチグロの皿をソファの下に置いた。

 ナチグロ=ロビンはむくりと起き上がって床に下り、それをガツガツと食べ始める。

 ストーフィ=母は、所在なげにおとなしく座っていた。


「誰か透明人間でもいるのですか?」


 七都の向かい側に腰を下ろしたルーアンが、七都に訊ねた。


「透明人間? 何おもしろいこと言ってんの、ルーアンったら」


「ですが、さっきからあなたは、見えない誰かとお話しているようにひとり言を……。ロビーディアンは話せる状態ではないでしょうし。それとも、機械猫に?」


「そそ、ひとり言だよ。わたしの癖なの」


 ルーアンがストーフィに視線を移しそうになったので、七都は素早く言った。


「風の城ではそのような癖は、あまり……」


「自分の家ではリラックスして、ひとり言を言うの!」


「そうですか」


 ルーアンは微笑んで、コーヒーカップに口を付けた。

 あっさり納得したようなルーアンにちょっと物足りなさを感じながら、七都もコーヒーを飲む。

 おいしかった。インスタントなのに。ルーアンが入れてくれたせいかもしれない。

 今日一日いろいろあって毛羽立っていた気持ちが、すうっと静まっていく。


「さっき、私を見て、少しおびえておられましたか?」


 ルーアンが訊ねた。


「うん、ちょっとだけね。こちらであなたに会うのは初めてだし。あ、赤ちゃんだった頃は別にしてね。だって、こっちではわたしは人間だもの。やっぱり魔神族に対して、本能的な恐怖みたいなものを感じてしまうのかもしれない」


「私はあなたを襲ったりはしないので、安心してください」


「う、うん……」


 襲われたら、たまったものではない。完璧に勝ち目はない。

 七都は、引きつった笑いを浮かべる。


「第一、この世界の人間のエディシルはそれほど美味ではないですしね。あちらの人間のものは最高なのですが。我々があちらの世界に降り立ち、そのまま同じ場所にこだわって住み続けているのは、そのせいもあるかと」


「そうなんだ。まずいの。同じ人間なのにね。魔神族はグルメってことか」


 だからお母さんは、お父さんを食べ物として認識しなかったのかな?

 七都はストーフィ=母を一瞥する。


「言わば、デパートとコンビニのスイーツのようなものですよ」


「そんなの、コンビニに失礼だよ。コンビニだって、おいしいスイーツがあるもん。中の人たちは苦労して、おいしいスイーツを開発してるんだよ」


 全く何という例えをするんだ、この魔神族の公爵は。いや、ルーアンだから、そういう例えを出せるのだろうけれど。

 

「しかし、材料にしても、見た目にしても、デパートのスイーツには勝てないでしょう?」


「そ、それは、コンビニは値段を高くできないもの。コストも違うし、客層も違うし、それに、デパートのスイーツは、たまに食べるからおいしいんだよ!」


「では、こちらの世界の人間を普段使いにして、あちらの人間はたまに食する御馳走という位置づけにすればいいということでしょうか。あなたのおっしゃることにも一理ありますね」


 ルーアンが訊ねる。

 肯定すると、普段はコンビニレベルの人間でも我慢できるという魔神族が、大挙してこちらの世界に押し寄せてくるなんてことになってしまうかも……。冗談じゃない。


「そういう話は置いといて。さっきの話の続きなんだけど」


 答えに詰まった七都は、話を変えた。


「はい?」


「公爵だよ。あなたと同じ、んでもって、ユードと同じ公爵さま!」


「公爵がどうか?」


「あなたの知り合いの公爵さまみたいなんだけどね。わたしの腕を日本刀で切ったのは」


 七都が言って自分の腕のケガを指差すと、ルーアンの顔が険しくなる。


「私の知り合い? というと、魔神族ということですか?」


「あれは誰なの? そうだ、あなたはセレウスに初めて会ったとき、自分の知ってる誰かに似てるとか思わなかった? 全然?」


「ナナト、最初から、私がわかるようにお話してくださいませんか? あなたのケガ、そして日本刀、ユードという魔神狩人、私の知り合いだとかいうその公爵、それからセレウス。これらがどう結びつくのか」


 そこで七都は、ルーアンに話した。

 あの洋館のこと、そこに住んでいたセレウスそっくりのドイツ人、ディートリヒ・アンデルスのこと、街中でグリアモスに拉致されたこと、洋服ダンスを扉にして魔貴族の公爵の意識が向こうの世界からやってきたこと、そして、ディートリヒに乗り移ったこと、彼に日本刀で傷つけられたこと、ユードが助けにきたこと、館が崩壊したこと――。


 サラのこと、それからストーフィ=母のことは、もちろん話からは省いておく。

 サラのことを話そうとすれば、話の流れで母のこともうっかり話してしまうかもしれない。それは避けなければいけないのだ。


 早口でかいつまんで話したが、ルーアンはずっと黙ったまま、耳を傾けていた。

 

「あの公爵は誰? 彼の言ったことは本当? お母さんやわたしがいなかったら、風の魔王になるのは、実は彼なの?」


「そうです」


 ルーアンが言った。

 七都は、あんぐりと口を開け、それから目も見開いて、ルーアンを見る。


(そんな……。そんなあ。認めるの、ルーアン。あなたが私に説明したことと、ちょっと、ううん、かなり違ってない?)

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